イヨとスルア

 いつもの修練場。

 今日は本当に風が冷たい。

 みんなからつまはじかれて、一人寂しく離れたところに居ると余計に寒い。

 薄い灰色の雲が邪馬台国を守る北の剣山つるぎさんにいくつもぶつかっては砕けていく。

 剣山つるぎさんは邪馬台国人の御本山ごほんざんだ。

 邪馬台国のたみすべては戦時や災害があったときは剣山つるぎさんに避難することになっている。

イヨ壱与から少し離れた場所でムノベ《務伸瓶》が小さな菫青石きんせいせきを持ち上げ緩い軌道に沿って空中に飛ばしている。

 目の不自由なトゥアは赤い布で目を覆いそれを見てるかのように微笑んでいる。

 サムリは翠石を自分の体より自由に操れる。

 イヨと<御子みこ>たちとの間に再び風が強く吹きぬける。

 イヨと他の<御子みこ>たちとは溝ができてしまった。

 理由はイヨにもわかるほど簡単。

 トゥアがイヨに距離を置き始めたからだ。

 他の<御子>たちはトゥアの兵隊だ。弱虫だ。根性なしだ。

 邪馬台国に着てもイヨは一人ぼっちらしい、それを考えると気丈なイヨも少し悲しくなる。

 しかし本当の理由は別にある。

 イヨの<御力みぢから>が抜きん出て強いから。

 小さな幼子の泣き声がイヨの頭の中で響いたような気がした。

 イヨがさっと振り向くとそこには、スルア素留亜が立っていた。

 ここ数日、やたらこの女は近づいてくる。

 今までにはなかったことだ。少なくとも<宣旨会>までは。

 以前は、何処を見ているのか何を見ているのかわからない細い目だったが、今はわかる。

 イヨをじっと見ている。

 目と同じく薄い唇はスルアらしくもなくうっすら微笑んでいる。

 相変わらず、世界と決別したような決意をもった無表情さをたたえている。

 イヨは手に握っていた小さな翡翠ひすいを落とした。

 何があったとしても、何事もこの女にだけは頼りたくない。


翡翠ひすいは重いか?」


 スルアが尋ねた。

 イヨは答えなかった。些細な事もこの女には知られたくない。

 スルアの微笑みが大きくなる。


「着いてはべれ」


 スルアはそう言うとスタスタ歩き出した。

 <御子>たちは修練場から出ることも禁じられている。

 イヨはしばらく考えていたがスルアに着いていくことにした。

 トゥアを中心にして周りに集まっている<御子>たちの脇を抜けていく。

 誰も何もしゃべらない。

 イヨもしゃべらない。

 門番代わりの屈強な男性指導士が見張る門を抜けてスルアが歩いて行く。

 着いていくしかない。

 修練場は聖場せいじょうの中にある。

 スルアとイヨは修練場から聖場せいじょうをも抜けてあゆみを進める。

 聖場から、政務を司る内城にも出た。

 スルアはスタスタと歩みを進めていく。

 此処から先というか、この内城より外はイヨもどうなっているのかわからない。

 イヨの目の前には剣山つるぎさんがそびえ立っていることから北に向かっていることだけはわかる。

 が、あまりにも剣山つるぎさんに近づきすぎていてその山腹しか見えない。

 内城の板塀の城壁と邪馬台国の北側の土塁兼城壁は同一のものとなっていて、内城の北側に平民の家屋はない。

 直営隊の兵が守る内城の北門が邪馬台国の北門なのである。

 そこもスルアは番兵に会釈一つせず歩いてゆく。

 北門を抜け出ても歩みを止めない。

 二人は気がつくと、獣道だけが通る雑木林に入っていた。

 ここは人と獣がお互い分け合って暮らす剣山つるぎさんの里山である。

 熊笹の藪の奥に沢が流れる音がする。

 剣山つるぎさんには水源が豊富に存在する、だからたとえ戦になっても要塞として邪馬台国の民全員が籠もれるのだ。

山の中腹の洞穴には食料庫まで用意してあるという。

 すべて司台国したいこくマキヒコ巻彦が用意させたものだ。

 二人は少し開けた場所に出た。

 スルアの後ろには樹齢400年の赤樫あかがしが立っている。


「ここならよかろう」


 スルアが言った。

 今日はこの女いやに饒舌である。

 イヨは少しスルアから距離を置いて立った。

 神岩を押さえつけ<宣旨会>をぶち壊したのはイヨである。

 姫巫女様の額には傷跡まで出来た。

 ここで兵士や首切り役人にゴミのように切り捨てられても文句は言えない。

 今まで生かされていただけでも不思議なくらいだ。 

 イヨの頭の中を幼い少女の泣き声が小さく響く。


「前置きは良い、ずかっと聞こう、どの程度使える?」


 イヨは沈黙。


「先読みはどうだ?明日は晴れるか?曇か?」


 心地よい沢のせせらぎと熊笹を渡る風の音だけが二人を包む。


「心配はいらぬ、口がきけぬけものしかここにはおらぬ」


 スルアの白い衣が強風に煽られはためきその哀れなほど細い体型があらわになる。

 どうすればこんな痩せた体のままで居られるのか?。

 

「以前にもなれが砂利を弾き飛ばしたのをこの目でみたがその倒木はどうじゃ」


 イヨの脇に苔むした倒木があった。

 刹那キーンとイヨの脇を何か鋭いものが走ったような気がした。

 途端、大人二人分はあろうかという太さの先程の倒木が粉々に弾けとんだ。

 木片から身を守るためにイヨは屈み腕で顔を覆う。

 小さな痛みが走る、木片の一部がイヨの頬に小さな切り傷を創った。

 イヨがスルアをにらみつける。

 

「よいぞ、怒りや感情は<御力>をより強く引き出す」


 これが挑発であることはわかっていたが、もう止まらなかった。

 邑で邑長むらおさの子にしたときと同じ。

 イヨはさらにスルアを睨みつけた。


 バキッ。

 大男が斧でも振るったような音がするとスルアの右隣の楢の木が周りの木の枝を押しのけてバリバリと倒れだした。

 スルアはさっと身を反らす。


「なるほど」


 とスルアが答えるまもなく、真後ろの大木が倒れ始めた。

 次は左の大木。その次は斜め後ろ。

 何本もの木がどんどん倒れていく。

 大木が幾本も倒れたので辺りは土煙と木々の入り組んだ枝で何も見えなくなった。

 

『仕留めたか?』


 スルアを殺したことになると大変なことになる、感情に任せて<御力>を使ってしまった。

 イヨの心配など杞憂きゆうであった。

 たくさんの大木の倒れた枝が絡み合う中から衣が破れ血を流した女が幽霊のようにゆらっと立ち上がった。

 スルアである。

 顔には微笑みさえ浮かべている。

 顔や腕など小さなすり傷だらけだ。


「薪がたくさんできてしまったな、<御力>には人により色々と得手不得手がある。どうだ火は使えるのか」


 スルアはそう言うと近くの倒木の枝をポキっと折りその先にぽっと火を付けた。

 

「卑弥呼は<紅蓮の和議>において神託に背いたと言いがかりをつけ、二人の<国主くにぬし>と九人の<国老こくろう>、十人の<戦頭いくさがしら>を焼き殺したという」


 スルアは姫巫女を尊称を付けて呼んでいなかった。

 イヨがまたスルアをにらみつける。

 突然一迅の突風が二人の間を駆け抜けた。

 女人ならば足を踏ん張っていなければ立っていられないような大風である。

 スルアの持っていた枝の火はその風によって一瞬で吹き消された。

 と、あたりのかげりやや薄暗くなってきた。

 風に乗り小さな黒雲がやってきたのである。

 またもや突然急に雷鳴が轟き、バシーンとなにかが弾けた音がした。

 スルアでさえ、腕で顔を覆った。

 イヨが倒しまくった倒木の先に居た猿に雷が落ちた。

 猿は黒焦げになりパタンと倒れた。


「あの<宣旨会>の嵐もなれが起こしたものなのか」


 スルアが小さい声で言った。

 途端もう一度雷鳴が轟いた。

 スルアの眼の前に落雷した。

 さすがのスルアも口をつぐんだ。


「天候でさえ己が力で変えられるのならば、<先読み>で天候を当てるどころではないな」


 もうスルアは微笑んではいなかった。


「以前、なれは邑に帰りたいとよく言っていたな。今でもその気持ちは変わらぬのか?」


 どうだろう?。

 以前は邪馬台国までの方角や山の形を覚えていたものだが、今ではかなり怪しい。

 獣のように野を彷徨さまよい、二、三日ひもじい思いをして辿りつけるかどうか?。


「邑でも<御力>を使ったが為にに来たのではないか?」


 スルアに笑みが戻る。

 トゥアが使う心の内を読む<御力>だ。

 スルアが正しい。

 イヨの耳に子供の悲鳴が突き刺さる。 

 イヨは妹と弟を馬鹿にした邑長むらおさの子供を焼き殺していた。

 その時の想いがイヨに薄っすら蘇る。

 報復という名の空っぽの達成感と虚無。

 小さな女の子の小さな泣き声がイヨの頭の中を駆け巡る。


「見えるぞ、なれもあや卑弥呼のように火も操れるらしいな」


 その場にイヨと邑長むらおさの子しかおらず証拠もなにもないので罪人ざいにんとして罰せられなかったが、がえんぜない少年が火元のない野原で焼け死んだのだ。

 邑人の誰の目にもイヨが行ったことは確かなことだった。


「邑に戻っても、いやから逃げ出しどこぞの集落で平穏に暮らしても隠しきれるものではない一度露見すれば、怪物やとして扱われるぞ。なれもよくわかっていよう」


 それを聞いてイヨは崩れるように膝をついた。

 スルアが脛でイヨが折った大木の枝を蹴散らしながらこちらに向かってきた。

 よく見ると脛で折っているのでなく、スルアが進む度に枝が一人でに折れていく。


「卑弥呼は倭国の七カ国では鬼道の女王と呼ばれている。<御力>とは鬼道なり。<御力>を使うことはまさしく人ではなく鬼の道なのだ」


 さらにスルアが枯れ木や枯れ枝を踏み越えて近づいてくる。


「卑弥呼のしてきたことを考えてみよ。<紅蓮の和議>で<国主>を二人焼き殺し二国を得、<じゃの峠>では道を崩し断崖絶壁から万余まんよの兵を奈落へ叩き落とし大勝を得た。<連衡れんこうの役>では卯ノ川うのかわを遡上させ干上がらせ四カ国を水害、疫病と飢饉で苦しめ屈服せしめた」


 スルアが一拍おく。

 まだ幼いイヨにもわかる。

 全てが<御力>でなされたと言い切れないことも。

 <紅蓮の和議>は放火すれば済むだけだし、峠の崖の道も幾人かで崩すことも可能だ。

 川を遡上させることも、兵を集め浚渫しなおせば可能だ。

 このあたりが<御力>の捉え方の難しいところだ。

 邑長の子もイヨが気がついたときには燃え上がり悲鳴を上げていた。

 そのあと自分が付け火したのではないかと何度も疑ったみたものだ。


「なれももっと大きな<御力>を使ってみようとは思わぬか?。卑弥呼がなしたように<御力>が万余の民を殺すのなら、<御力>で万余の民を救えるとは思わぬか?。このスルアとともに鬼道を正道に正してみようとは思わぬか?」


 スルアが細い傷だらけの手をイヨに差し伸ばしていた。

 イヨの頭の中にはいつもの幼い女の子の弱い泣き声が聞こえる。

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