第二十章 自然への回帰

 水口局長の計らいで俺と和美は西へ向かっている。他のメンバーはナショナルフィットネスの業務をこなしつつ回復プログラムに集中しているらしい。最年少の俺とそのひとつ上の和美にとってはこの旅行が回復プログラムに当たるとのことだが、果たしてどこに向かっているのだろうか。


「うちの生まれ、西の街や」

『そっか、和美、西の生まれだもんな』

「うちもこっちのほうに来るのはめちゃくちゃ久しぶり。力と来られて嬉しいわ」

『そ、そっか。で、その西の街は何があるんだ?』

「せやなぁ、うちらが帰るべきところ……っていうのがええかな?」

『帰るべきところか……』

「あんた、ナショナル教育プログラムを受け取ったけど、ずっと行けてへんかったところがあるやろ?」

『っていうか外出すらままならんかったんだが』

「せやな。だから今回の旅は力にとって大きいもんになると思うよ。案内はうちがしたるから、何も心配せんとついておいで」


 西の街。和美の生まれた街。そう言えば昔修学旅行で来た。確か電車を降りてバスに乗って……。そうだ神社だ。そんなところばっかり巡ったよな。なんか皆は友達同士ではしゃいでたけど、俺は一人でなんかボケっとしていたような。でも不思議と嫌じゃなかった記憶もある。心地良かったっていうか、別に友達と一緒じゃなくても楽しめるというか、むしろワイワイガヤガヤするところじゃないなって思ってたんだっけ。今になればその理由も分かるな。ナショナル教育プログラムで大切されてきた概念、それって神社に宿ってるんだよな。でもナショナルフィットネスの近くにも神社はあったし、日本全国あるんだよな。なぜ局長はわざわざ西の街へ行くように言ったのだろうか。

 バスはいよいよ山道を進む。右手には川が流れている。綺麗な水だ。淀みのない水。確かにナショナルフィットネスの近くではこんな綺麗な川はなかったか。俺たちの闘いに必要だった水の概念……この景色を見る為に来たって言うのか。山道を進んで十分弱だろうか。バスの終点。ここからは川を右手に見ながら徒歩で進む。水の音が心地よい。風の匂いも美しい。季節を彩る木々に包まれる。また十分ほど進むと……神社だ。


 「ここに龗がいはるんやで」

 『オカミ……って、水の神様か』

 「正解、よぉ覚えとったな。ここはうちが一番お世話になってきた神社や」

 『和美自身がオカミだって』

 「せや、憧れてるっちゅうか、誰かにとってこんな存在になりたいってずっと思ってたんや。せやから料理とか水回りの仕事は誰よりもちゃんとせなって思って。その思いが強すぎて競泳まで始めたわけやけど、やっぱり塩素まみれの水より自然の水の方が心地ええね。海の水が雨になって山に降り注いでそれが川となって流れて海へ流れる。やっぱりこの循環が大切やなって。ほんでその水で作物が育って、うちらの身体になる。そんな奇跡を感じるにはちょうどええ場所やと思うで。ま、とりあえずご挨拶や」

 『えっと……』

 「まずはお辞儀して鳥居をくぐる、それから境内の手水で手と口を清める。それからご挨拶、やで。これぐらいちゃんとできなアカンよ」

 『そっか、俺ナショナルフィットネスに入ってからこういうのしてなかったから……』

 「あんたぐらいやで、神棚にちゃんと手を合わせてへんの」

 『え?』

 「やっぱり。あれは自分で気付かなあかんから誰も教えてくれへんのよ。人に言われて無理やりやらされてるようじゃ意味あらへんから」

 『みんな部屋にも神棚が?』

 「当たり前や。あんたの部屋だけやで、なんもないのは」

 『なんか今になってめっちゃ恥ずかしい』

 「そうやって反省することが大事なんよ。だからええんとちゃう?さ、お詣りの仕方は分かるやんな?」

 『えっと、二拝二拍手一拝だっけ』

 「正解。心を込めて、やで。それから、これはお願い事をするところちゃう。単純にご挨拶と感謝。それだけやで」

 『お願い事……じゃないんだ』

 「あんたここ来るん初めてやろ?」

 『もしかしたら二回目かもしらんが……』

 「それでも一回や二回しか会ったことない人にお願い事されてみ?」

 『なんだよってなるわな』

 「そう。お招きいただきありがとうございます、とかそんなんでええんよ」

 『なるほどな……』

 「ホンマは日々お詣りすることやけど、それは物理的に難しい。だから神棚を置いとくんや。こうやって来られたことは奇跡。その奇跡に感謝をする。それが大事やねん。しかも神社はずっと辿っていけば皇に繋がる。つまりこの国で生かされていることへの感謝にも繋がるんよ。皇は我が国の国民の安寧を日々祈って下さってる。うちらがせめてもの恩返しせんでどないすんのよ」

 『神棚……帰ったらちゃんと作るわ』

 「そうそう、こういうきっかけで行動が変わればそれでええのよ。それから、あそこのあれ、見える?」

 『……鏡!』

 「鏡には何が映る?」

 『えっと、自分だな、この角度なら』

 「そう、だから誰に祈ってることになる?」

 『自分!?』

 「正解。回りまわって自分に戻ってくるのよ、この祈りが。でも全面鏡張りっちゅうわけやない。鏡の後ろには自分の後ろがずっと広がってるやろ?」

 『神……鏡……自分の後ろ側……』

 「なかなか意識することはないわな。でもトレーニングでも背面が大事やったやろ?前は見えてんねん。でもその後ろにはなかなか意識が向かへんもんやねん。背景っちゅうのはつまり自分が辿ってきた道やな。今の自分には必ず背景がある」

 『歴史の連続性……』

 「そういうこっちゃ。ナショナル教育プログラムでも出て来たやろ?こういう大切な概念が断ち切られた上に外側の世界が成立しとる。そら未来への概念も狂うわな。現代への愛も失われる」

 『でもみんな神社には行くよな……』

 「そう!せやからうちはまだ諦めてへんのよ。我が国の精神性は完全に失われたわけとちゃうって。初詣も行くし、七五三も、お宮参りも、なんやったら結婚式やって神式でやる人らが少なくない。そこに何かがあるっていう精神性がそうさせてる証拠やな。まぁうちはこの神社で結婚式を挙げるのが夢……やけど」

 『え、あ、その……いずれ、な』

 「いずれっていつなん?もう顔赤して!焦らんでええよ。もっと世界が落ち着かんとゆっくり結婚式を挙げることも難しいやろし」

 『する前提!』

 「ま、次行こか!」

 『次?』

 「奥の方へ」


 和美に連れられ更に奥へ進む。どうやらこの先にまだ宮が二つあるらしい。二つ目は縁結びの神様なんだとか。カップルよろしくそこへ詣り更に奥へ。空気が変わる。ひんやりと心地よさが増す。辿り着いた宮は最初の宮と同じ神が祀られているが明らかに雰囲気が違う。穏やかに、そして恐ろしさもある。確実に何かが存在する、そんな空気。しかし最初の宮では人が賑わっていたのに、奥は人が少ない。どう考えてもこちらの方が重要に感じるが、辿り着ける人間が少ないということなのだろうか。何より怖いぐらいに静かだ。この和美ですらあまり口を開かないのだから、やはりここには何かが確実に存在する。

 それに上流だからだろうか。手水が更に冷たく感じる。山から直接注がれる清めの水。こういったものに触れたのはいつぶりだろうか。最近は地下で暮らし、せめてもの太陽の光を浴びてはいたが、やはり何かが足りていなかった。その足りていないもの。自然。もしかして局長がここを指定した理由って……


 「そういうことやな」

 『自然に帰れってことか』

 「自然に勝るものはないんや。人間によって無理矢理作られたものなんか、いつか壊れてしまう。全面に張り巡らされた鏡やってそうや。何かをきっかけに割れてしまう。そのきっかけっちゅうのをうちらはずっと探し続けなあかん。そのヒントはきっと自然への回帰なんやと思う」

 『でも俺たちがいるところって』

 「そう、ごりごりの不自然空間。仮想空間やからな。そもそも論やけど、あんなところで闘っても誰もが消耗するだけやと思うねんな。でも直接ドンパチやり合うよりはマシ。でももっと本質的に、みんなが自然に回帰すれば、食べへんダイエットをする必要ないし、無茶苦茶な筋トレがおかしいことは分かるはずや。分からんようになってるってことは、センスの欠如やわな」

 『センス……感性か』

 「そう、ここに来ると研ぎ澄まされるやろ?この後川床でご飯も食べるけど、味覚、嗅覚はもちろんのこと、自然なものに触れることで研ぎ澄まされる触覚、水の音を聴くその聴覚、自然の彩を見て感じるその視覚、それから……」

 『第六感か……』

 「そうや。変にスピリチャルなことを言うつもりはあらへんよ。でも絶対見えへんし匂わへんし触れへんし無味無臭のものってあるやろ?その感性を研ぎ澄ますこと。これがTND教にもTTTにも足りてへんし、もっと言うたらこの俗世に足りてへんもんやねん。物質的なものにばかり気をとられて、それしか信じられへんようになる唯物思想。概念とか愛とかって、見えへんのに何を言うてんのってことや。誰かを好きになるって気持ちかて、見えてへんくせに偉そうなこと言うとったらアカンで」

 『俺たちが闘っている姿って、確かに可視化できないもんな』

 「可視化できひんし、言語化するのも簡単やない。それでええのよ。でもそういうことに蓋をして、自分の周りを鏡で囲って、狭い世界で生きて、見えへんかったり答えがないもんを嫌悪する……。そら成長するわけあらへんわな」

 『世界はこんなに開けているというのに……』

 「でもあんな風に仮想空間にだけ留まる生活をしてみ?そらおかしなるよ」

 『って言っても普通の人は仮想空間にログインする事なんてないだろ?』

 「アホ、普通の人ほど仮想空間にどっぷりや。ずっとスマホ見て、パソコン見て、テレビ見てんのやで?もっと広い視野持たなあかんねん。それができひんから、食べへんダイエットして、TTTのトレーニングを受けるんや」

 『そっか。愚民になるって話か』

 「そうや。世界は画面上にはないんや。でも画面から垂れ流される世界を世界そのものやと思い込む。それ以外の意見を受け入れる容量がない。これはどうしようもない状態や。うちらが立ち向かってる相手はそういうところにあるんや」

 『途方もない闘いなんだな』

 「だからTND教の時も、TTTの時も必要以上に深追いせぇへんのよ。闇が深い問題やから今すぐに根絶できる話やない。でもこういうところに来て感じると分かるやろ?ちょっとでもええから分かってほしいっていう気持ち……」

 『そうだな。しかし果てしない話だ』

 「分かってくれる人を一人でも多く増やす。うちらの闘いはそういう地味なもんなんよ。だから目立たへん。でも意義深いことなんやと思うで」

 『でも世の中は途轍もない速度で進んでいて、司令やジョンだってキャッチできなかった情報があるわけだろ?もっと強気に出てもいいんじゃないか?』

 「それで死人が出たら意味があらへん」

 『まぁそれはそうなんだが……』

 「うちらは特にその概念を大切にせなアカン。石山さんが大切な人を亡くした話聞いたやろ?」

 『あぁ、意外だったよ』

 「敵にも家族がおるんよ。誰かが亡くなるってことは石山さんみたいな想いをする人をまた増やすってことになる。だから絶対アカンねん。戦闘機は革命の為にあるんちゃう、教育の為にあるんや」

 『だからナショナル教育プログラムってことか』

 「ナショナル革命プログラムやったら、きっと今頃もっと壊滅的なことになっとるな」

 『しかしまぁよくもまぁこんな風に話が進むな』

 「この場所がそうさせてるんちゃうかな?だから局長は言って来いって言うてはったんやろ」

 『優秀な案内人もいるからな』

 「うちのこと?ほなご飯行こ!局長のお金やし!」


 川床で振舞われたのはジビエ料理だった。猪肉を使った鍋、牡丹鍋というやつだ。人生初のジビエ。久しぶりの肉だというのもあるが、肉と言うのはこんなにも味わい深いものだったろうか。和美いわく、山を自由に駆け回っている動物の肉は質がいいらしい。それに引き換え、狭いところに閉じ込められた命は病んでいて本質的に美味しさの欠片もないとのこと。これは俺たち人間にも言えることだ。ちゃんと動いていれば健康的な身体。社会と言うしがらみに閉じ込められていれば病んでしまう。その上食べないダイエットをして無茶な筋トレをすれば、そりゃ身体の質も低下するってもんだろう。しかもこのジビエ、シンプルな味わいで十分美味しい。安物の肉は加工して味付けに味付けを重ねて漸く食べられる。この違いは自然か不自然かの違いと言ってもいいだろう。卵にしても鶏舎に閉じ込められている鶏から生まれるものと、大地を駆け回った結果生まれるものとでは大違い。そいう選択ができるのかもセンスによるってことだよな。


 「力、あんた聞いてる?あの話」

 『ん?どの話だ?』

 「新人隊員が入るって話。あんたにも後輩ができるんやで」

 『え!?知らんぞ!!』

 「しかも教育係、あんたやって」

 『え!?無理なんだが!!』

 「これも本部の計らいやろな」

 『いや、相変わらず無茶ぶり!俺全然戦闘で役に立ってないのに!』

 「だからちゃう?」

 『自尊心を奪いに来るのか!』

 「ちゃうよ。教える経験がなかったから身にならへんかったってことや」

 『教える経験?』

 「うちも力が来てくれて色々教えるようになったから成長できたんや。人に教えられるようになって初めて一人前やからな」

 『かと言って早すぎないか?展開が……』

 「期待ゆえやろ!」

 『相変わらずの無茶ぶり!重荷ばかりだ……』

 「でもそのプレッシャーが力を強くする。あんたには耐えられる。だから与えられてるんやで。我が国と一緒や。大変な状況やけど、試されてるんや。この状況を耐え忍び、次の展開へ持って行けるやろって。これは運命や」

 『運命が動き出すってか。やってやろうじゃねぇか!端からそのつもりでナショナルフィットネスに来てるんだからな!』

 「そうや、そうやって運が動き出して、概念と愛を伝えるきっかけをどんどん作っていくんや」

 『小さなズレを早い段階で修正しつつ、我が国の魂を守り続けるんだな』

 「せや!でも問題があるねん……」

 『問題?』

 「その新人、童貞やねんて」

 『人型戦闘機が使えない!!誰がそれを奪う!?』

 「さぁもしかしたら……うちかもな」

 『それは許さん!』

 「そう言ってくれるなら、うちはやめとこかな」

 『じゃあ誰が……』

 「別所さんは長浜さんがいるし……」

 『司令!!!!!』

 「マネージャーには内緒やな」

 『いや、絶対バレるだろ!』

 「バレへんように指導するんがあんたの仕事やで!」

 『いや、俺の心は駄々洩れなんで無理っす』


 俺たちはこの神社近くの旅館で一泊し、翌日ナショナルフィットネスへ帰還した。和美が言う通り童貞の新人が俺の部屋の隣へやって来た。教育なんてやったこともないがまずはこいつの童貞をどう捨て去るか……。相変わらずこの物語における俺の悩みはどこにあるのだろうか。我が国を守る?そんなことに目が行かなくなるほど重大な問題がここにある様に感じる。ただ……それも含め、俺はこの世界を愛せるようになってきた。

 この先世界がどうなるかなんて誰にも分からんが、違和感だらけのこの世界を、なんとかレジリエンスを保ちつつ、本来の身体で自然に生きていきたい。生きる世界が危機に瀕しているなら、やはり概念と愛を胸に闘い続けるしかないんだろうな。この闘いに終わりはない。俺たちが動かすしかない。連綿と続く川の流れの先にある、我が国の命運を。

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ジムに入会したら国を救う破目になった まえだたけと @maetake88

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