圏外【12月30日】
「……それでは、お二人の馴れ初めをお伺いしてもよろしいでしょうか」
数時間に及び理想と現実、豪華さと質実さ。それに夢と正気。
相反する全てを擦り合わせる作業を終え、今、やっと肩の力が抜けた僕らには、プランナーの言葉の意味が上手く理解できなかった。
確かめるように彼女が僕を見る。思い出すように僕も彼女を見る。二人の意識は間違いなく同じ時間に旅立っていた。
ガタンゴトン。ガタンゴトン。
一定のリズムに身を預けながら、僕は今日も携帯を睨み続ける。文章を書いて。消して。下書きとして保存された文章はもう三十を超えた。
かれこれ1週間はこうして、慣れない作文に励んでいる。
おかげで満員電車にも関わらず、最近は苦痛を感じることがない。
それは良いことなんだか、なんだか隣のサラリーマンや女子高生に覗かれているような気がして、つい、開閉扉のすぐ隣を確保してしまう。僕が降りるのはだいぶ後なのに。本当に申し訳ない。
とは言え、なんだか書けば書くほどメールを送りづらくなっているような気がする。
ただ一言で済む話なのに。
ガタンゴトン。ガタンゴトン。
うん、これ、いいんじゃないかな。よし、次の駅に着いたら送ろう。
――――ちょっと待てよ。ここ、文法がおかしい気がする。やっぱりなんかもうちょっと考えようかな。
ガタンゴトン。ガタンゴトン。
うん、これならいいかな。よし、次の駅に着いたら送ろう。
――――なんかキザっぽいかな。やっぱりなんかもうちょっと考えようかな。
ガタンゴトン。ガタンゴトン。
うん、やっぱこれがいいな。よし、次の……降りるのはあと3駅か。
――――やっぱり、こういう事は直接のがいいのかなぁ。
プシュー。【ユーガットメール、ユーガットメール】
メール?
『勇気が出ず、メールでごめんなさい。
ずっとずっと好きでした。良かったら付き合ってほしいんですが……ダメ、でしょうか』
それは、僕が恋焦がれている彼女からの、メールだった。
彼女が、僕を?信じられない。嬉しい。どうしよう、返事を。急いで返事をしなくちゃ。
プルルルル……
想像もしていなかった事態にあたふたしているうちに、僕の気持ちを置き去りにするかのように電車は動き出す。暗い闇の中に潜り込んでいく。
待ってくれ。慌てて電話をかけるも、コール音の途中で切れてしまった。圏外だ。
しまった。慌てて外を見るが、そこには閉塞的なトンネルの壁面が見えるだけ。
ガタンゴトン。ガタンゴトン。
今まで作った文章を全て消し、たった一言だけが書かれたメールを送る。紙飛行機は送信中を示したまま。外を見るが、景色も気持ちも変わらない。
ガタンゴトン。ガタンゴトン。
もしかして、このまま次の駅に着かないんじゃないか。そう思えるほどに電車は走り続ける。僕を嘲笑うかのように。
足の指先がむずむずする。じんわりとした汗でTシャツが貼り付く。唇が乾き、思考がぐるぐる回っている。
どうしよう、まだ着かないのか。早く。今日の2限、哲学だよな。彼女もいたっけ。まだ着かないのか。大丈夫だよな。
携帯を見つめ続ける。圏外。
ガタンゴトン。ガタンゴトン。ガタン……
電車が速度を落とす。
電波が入った。急いで電話をかける。隣のサラリーマンが怪訝な表情をするが、それどころじゃない。目で謝罪。
プシュー。
ドアが開く。ガチャ。繋がる。
隣のサラリーマンに肩が当たる。思いっきり目を閉じて、頭を下げて謝罪。転がるように外に出る。
「もしもし!ごめん、電車だったから……」
宝箱のパスワード キョウ・ダケヤ @tatutamochi
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