うつつのゆめ

@s_s_vr

ベンゾジアゼピンのまほろば

 とある精神科の診察室。

 人工窓から降り注ぐ太陽は、まるで本物のように見えた。

 「おはようございます、アランさん」

 ホログラムで映し出された男性の声が、天井のスピーカーから流れる。

 「本日は非シンギュラリティ適合症の治療に来ていただき、ありがとうございます」

 「いえ、市民の義務ですから」

 ひとりごちるように、小さな声で返事をする。


 どうにも私は、機械というものが嫌いだ。

 私が子供の頃は、機械なんてただの計算機だった。

 それが今はどうだ。人間の真似事をして街を闊歩しているじゃないか。


 奴らは私たちの仕事をどんどんと奪っていく。

 街を歩いても、最後に人に接客された記憶がいつだったのかも思い出せない。

 それでも、私には関係ないことだと思っていた。

 上司に肩を叩かれるまでは。


 「アランさんは、事情が事情ですからね…」

 ホログラムの男性は顔をしかめてそう言った、ように見えた。

 「通常のセラピーもあるのですが、きっと時間がかかるでしょう」

 「どうでしょう、新しい治療法があるのですが、試してみませんか?」

 機械のために時間を割くのも面倒くさい、そう思った私は、二つ返事で了承した。

 「ありがとうございます、ではこちらへ」


 別室に案内された私は、周りを見渡す。

 その部屋には、簡易ベッドだけがあった。

 「ここで治療するんですか?」

 訝しんだ私は先生にそう尋ねる。

 「…ああ、これは投薬治療なんですよ」

 「投薬?」

 「はい、この薬を飲んで、しばらく寝ていただくだけです」

 そういうと同時に、コップ一杯の水と、青い薬の入った銀皿を運ぶロボットが部屋に入ってきた。

 「本当にそれだけで治るとは思いませんが…」

 「最初はみなさん、そう仰りますよ。ぜひ試してみてください」

 半信半疑で、その薬を口に運び、水を飲み干す。

 「…なんだか、眠くなってきました」

 「ええ、そういった作用のある薬ですので、安心してください」

 「…目が覚めるころには、すっかりよくなっていますよ」

 ホログラムは、すこし歪んだ笑みを浮かべていた。



 「おはようございます、アランさん」

 ホログラムは、笑顔で私を迎えてくれた。

 「もう治療は終わりですか?」

 「ええと、そうですね。これからよくなっていくと思います」

 煮え切らない返事に若干の不安を覚えながらも、病室をあとにする。


 「非シンギュラリティ適合症の治療に重要なのは、すべてを許容する心です」

 病院の廊下で、先生にそう話しかけられた。

 「しかし先生、私はどうにも奴らを許すことができそうにありません」

 「大丈夫ですよ、本質はそこではありませんから」

 なんのことだか分からないまま、私は黙って歩き続けた。


 家への帰路、セクサロイドが浮浪者に囲まれているのを見た。

 セクサロイドはその仕事柄、一目見ただけでは人間と変わりない。

 首につけられた識別番号の首輪だけが、その存在を機械であると主張していた。

 放っておけばよかったのだが、人間に見た目が似ているだけに、どうにも気まずい。


 「紳士諸君、こんな白昼になんの騒ぎですか?」

 「あぁ? お前には関係無いだろう」

 「おっしゃる通りですが、いかんせん絵面が悪すぎますよ。人間としての矜持があるなら、つまらないことはおやめなさい」

 「…ちっ」

 110と発信ボタンの表示された私の印籠に、浮浪者たちも流石に事を荒立てる気はないようだった。


 「…大丈夫か?」

 「ありがとうございます、機能に問題はありません」

 セクサロイドは機械的、かつ事務的に返答した。

 「そうか、ならさっさと店に戻れよ」

 「…自己保全プログラムにより、その提案は却下されました」

 ああ、なるほど。

 こいつは廃棄される前に逃げ出した用無しか。

 そのまま何も考えず、廃棄されていれば楽だったのに。


 「アラン、お前は明日から来なくていい」

 会社をクビになったときの記憶が蘇った。

 人生の全てとは言わないが、その多くを仕事に捧げてきた。

 それを、後からやってきた新しい機械に取って代わられる。

 その悲しさは、私も知っていた。


 「行くところがないなら、うちに来い」

 「ご提案に感謝します、しかし御仁のご迷惑になります」

 「アンドロイドなんて、適当に電気食わしてりゃいいんだろ、そこまで困ってない」

 それでもなお抵抗するセクサロイドの手を引っ張り、こう言った。

 「いいから来い、用無しが街をうろうろしてても、いいことがない」


 ウサギ小屋のような家だったが、人ひとり増えたとて、それほど困ることもなかった。

 とても立派とはいえないソファに座るよう、顎で促した。

 「御仁の格別のご配慮に感謝いたします」

 「その機械っぽい喋り方、なんとかならんのか?」

 「はい、そのように命じていただければ」

 「…そういうのではないんだがな、いい。好きにしろ」

 やはり機械は機械か、そう思って、少しがっかりした。

 「お前、名前は?」

 「固有名称はありません。品番はHEX-18、シリアルナンバーは…」

 「あー、そうじゃなくて」

 数秒の間思案し、こう切り出した。

 「マリー」

 「今日からお前はマリーと名乗るといい」

 天井を見ながらそう呟いた。

 「マリー…」

 「…はい、そのように」

 アンドロイドはほんの少しだけ、微笑んだように見えた。


 「御仁のお名前を、まだお聞きしておりません」

 「アランだ、呼び捨てでいい」

 「アランさまは、なぜ私を拾ってくださったのですか?」

 「…知らん、お前を拾う前に、非シンギュラリティ適合症の薬を飲んだ」

 「そのせいかもな」

 視線をこちらに向けて問いかけるマリーから顔をそらし、そう答える。

 「本当にそうでしょうか、適合症薬にそのような効果は、無かったはずですが」

 やはりマリーは、こちらを向いてそう問いかける。

 「あー、なんだ。…俺と似てたのかもな」

 「似ていましたか?」

 「…境遇がな。お前も、用無しだと思われて捨てられたんだろ」

 「はい」

 少しの沈黙の後に、マリーが口を開く。

 「アランさまは、非シンギュラリティ適合症なのですね」

 「ああ、機械は嫌いだよ。お前も好きじゃない」

 「それなのに、私を拾ってくださった」

 目と目が合った。それがただのカメラであると分かっていても、吸い込まれそうな瞳だと思った。

 「なぜ、機械がお嫌いなのですか?」

 「…俺から仕事を奪った」

 「それだけでしょうか」

 なおもこちらを見て、そう問いかける。

 「存在価値だったんだ。人生の大半を仕事に捧げてきた」

 「存在価値を否定されたと思ったのですか?」

 「そうだ!否定されたんだよ!」

 思わず激高する。

 「やっと感情を見せてくださいました」

 マリーがふと微笑む。

 「あなたは、わたしよりも機械みたいでした」

 「…」

 なにも言えなかった。

 「後釜のアンドロイドは、きっとあなたを解放するためにやってきたのですよ」

 「解放?いったい何から?」

 「人間性の搾取から、でしょうか」

 マリーはこう続ける。

 「あなたは優しい人です。こうして、私を助けてくれた」

 「きっと会社でも、大変な苦労をされたのでしょう」

 目と目は合ったままだ。

 「わたしは、そのアンドロイドに感謝すらしますよ」

 「だって、こんなにも素晴らしい御仁を、世に開放してくださったのですから」

 「アラン。あなたは用無しになったのではない。自由になったのです」

 その言葉に、今までの重荷が解けたような気がして。

 わんわんと子供のように泣いた。

 過呼吸にでもなってしまったのか、意識がぼんやりとして、その場に倒れこむ。





 「おはようございます、アランさん」

 ホログラムは、笑顔で私を迎えてくれた。

 「…先生?」

 簡易ベッドの上で、そう問いかける。

 「導入剤で少し混乱していらっしゃるかもしれませんが、心配ありません。仮想現実による更生プログラムは、非シンギュラリティ適合症には最高の治療法です」

 呆然としている私に、ホログラムは言った。

 「これで治療は終了です。お疲れさまでした」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

うつつのゆめ @s_s_vr

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る