月と芳香と子守唄

「うわあ……」

 ルカの開いた口が塞がらない。

 三人を出迎えたのは、月。遮るものは何も無く、手を伸ばせば届きそうなくらいに距離が近く感じる、丸みを帯びた大きな月。視線を逸らすことは許されない、圧倒的な存在感。ただそこにあるだけなのに、恐怖とはまた違う、しかし重圧感からくる緊張。息を呑み言葉が出ないとはこのことだ。

 心地良い風が身体を吹き抜ける。目は月に奪われたままだが、三人の鼻はまた違うものに占領された。

「はあ……この香りは図書館の……」

 ため息を吐いたルカは鼻に意識を向けたことで、ようやく目が解放されたようだ。香りの出所を確かめようとキョロキョロしている。

 するとサラがウットリとしたように息を吐いた。

「はあ。何回ここへ来たか覚えてないけど……毎回、同じリアクションをさせられるわ。あの月はね、人間界でも同じように見えるんだって。本当に綺麗……それに、この香りも大好き」

 魔力の塊が浮遊している三人の足元一面は、緑色で埋め尽くされていた。サラがしゃがみ込んで葉っぱを手ですくうように撫でると、小さな白い花々が姿を覗かせた。

 ルカがそのサラの手を覗くと、鼻をヒクつかせて言う。

「これか、この香りの正体は」

 恥ずかしがるように葉っぱに隠れているこの小さな白い花たちが、周囲を包み込む、独特で上品な甘い香りを発していたのだ。それはサラがシャルムに渡したキャンディーのあの香り。サラはここの花の香りを、魔法のキャンディーに閉じ込めていたのだ。

「どう? ルカも気に入った?」

 そう言い、にこやかに笑うピピの桜の花びらのようなピンク色の髪が、緑色の葉っぱと相まって、ピピ自身が花のようだ。

 ルカはもう一度辺りを見回すと、ゆっくりと大きく首を縦に振った。

「うん。さっきの湖も星が映ってて、キラキラしててすっごい綺麗だったけど、ここは……言葉では言い表せないな。月と、甘い香りと、風。シンプルなのに圧倒される。美しい……俺にはその言葉しか思いつかないや」

 ルカとは思えないような、落ち着いていて静かな口調。その甘いルックスにセクシーさが醸し出されている。

「なあ、サラ。歌ってみせてくれよ。ここでサラの歌を聴きたい!」

 そう言うルカの目は、湖に映る星と同じくらいキラキラしている。

 サラはルカの黄色にも見えるその瞳に、身体を後ろへ逸らした。

「うっ……でも今日はあの子の声も聞こえないし。そんなつもりじゃ……」

「私も聴きたいな! オルゴールの曲だし、サラの歌声綺麗だし、私すっごく好き!」

 ピピもルカ同様にキラキラ光線を目から飛ばしているのだ。

 サラは「ええ、ピピまで……」 と、困ったように眉を下げた。

 ピピは畳み掛けるように言う。

「それに、今日はたまたま聞こえないだけで、苦しい悪夢を見てるかもしれないわよ。ねえ、ルカ?」

「おう、そうだぞ、サラ。だから良いだろう?」

 ルカは胸の前で手のひらを合わせ、上目遣いでサラを見た。ついさっきのセクシーさはどこへ行ったのか……まるで子犬。愛犬ルカ。まさにそんな感じだ。

「ああ、もう。はいはい、分かったわよ」

 そう言いため息を吐いくサラは、キラキラでウルウルな光線には勝てなかったようだ。

 サラは足元の花々を潰さないように、慎重に緑色の草原の真ん中まで歩いて行くと、瞼を閉じた。そして祈るように両手を胸元へ。深く息を吐き出すと、自然と澄んだ空気が身体に入り込んでくる。

 歌い出しは静かに、穏やかにサラは言葉を紡いでいく。その言葉の一つ一つが辺りに響きわたる。

 風が強く吹いた。灰色がかったブロンドの髪が揺らいでいる。それと同時に葉っぱがザワザワと、音を立ててそよぐ。低音から高音へと変化するその葉の音は、まるでサラの紡ぎ出す言葉に反応するかのようだ。

 サラのエメラルドグリーンの瞳が月を映した。すると、その月の金色の淡いスポットライトがサラを照らし出す。サラはその光を受け止めるように両手を広げ、全身でメロディーを奏でていく。

(届くかな……私の気持ち。感謝の想い……)

 魔力の塊が、チカチカと激しくその煌めきを主張すると、葉の音色が変わった。サラの歌声に、煌めく光の粒に共鳴するように、白い花々が自ら姿を見せたのだ。おしとやかに風に靡くそれらは次第に大きく成長しだす。

 サラの気持ち、あの子への想いが溢れ出すように、純白の大輪の花々が辺り一面に咲き誇る。甘い優美な香りが強くなった。光の粒はサラを囲うように踊っている。

 繊細に波打つサラの歌声が小さくなって行くと、風がスーッと吹き抜ける。すると辺りは何事もなかったかのように、音も立てずに元へ戻っていった。

 サラはフゥと、息を吐くと照れ臭そうな笑顔を浮かべた。

 パチパチパチと拍手をしながら駆け寄ってきたのは、圧巻のサラの歌声に息を呑んでいたルカ。

「……ブラボー!」

「あの子にちゃんと届いたかな」

 恥ずかしそうにそう言うサラに、緑の絨毯の上を飛んんできたピピは「ええ、きっと。ううん、絶対に」 と力強く頷き、言葉を続けた。

「今ならブレスレットにもサラの想い、届くんじゃない?」

「……うん、そうだね。やってみる」

 サラの表情に、羞恥はない。あるのは探し出すと言う決意のみ。

 サラは瞼を閉じた。そして頭の中で思い浮かべるのは、あのブレスレット。サラの支えであり、父親という憧れを身近に感じることのできるもの。

(ブレスレットへの想いはただ一つ。私にはあなたが必要なの。だからお願い……何処にいるのか教えて)

 胸の前で祈るように両手を合わせると、サラは足元に浮遊する魔力の塊にささやきかけるように呟く。

「私に力を貸して……この高く、広い、果てしない空の彼方まで、私の想いを連れていって」

 あちこちに散らばっていた魔力の塊が、その願いに反応し、サラを目掛けて飛んできた。するとサラの身体は光のベールに包まれて行く。そのベールは一段と眩しい光彩となり、夜空の星が流れるように、サラの元から飛び立って行った。サラの背後の大きな月の光にも劣らないその光は、サラの想いを、願いを運んでいく。

 風に揺れる葉っぱの音色が心地良い。しかし、その音色も次第に荒れたものに変化して行く。

「ーーキャッ!」

 突如、音のない雷のような激しい閃光が三人を襲った。ピピの咄嗟の悲鳴にバッと目を開くサラ。

「っ! 眩しっ!」

 いきなり強い光に当てられたサラの目は再びキツく閉ざされる。

「大丈夫か? って、おい! 光が消えて行くぞ!」

 ルカの言葉にサラが恐る恐る瞼を開けると、太い光の柱が細く細く、糸のようになって行く。

 三人がすぐさま駆け寄り、雲の切れ間から下を覗くように顔を出すと、天まで登っていたその光の糸は、地上に降りて行くように姿を消したのだった。

 わずか数秒の出来事に唖然とする三人は、未だ光の消えて行った方向を見つめている。

「……今のって……サラの魔法よね……」

 ピピが途切れ途切れに言葉をこぼすと、サラも静かに口を開く。

「ええ……そうだと思う……下の方から反応を感じた」

 するとルカがバッと、上半身を起こした。

「ってことは……ブレスレットは地上に!? まじか!? どうすんだよ、サラ!」

 サラは「はぁー……」 と、安堵の息を吐きながら、後ろに倒れこむようにドサッと仰向けになった。

「なんか安心した。取り敢えず、ブレスレットは無事なのね」

 ピピは「良かったね、サラ」 と微笑んでいる。

「でも、どうして地上に?」

「あの時かなぁ……サラ昨日、キャンディーの仕込みで魔法だいぶ使ってたのに、声が聞こえたからここへ来て歌ったでしょう? その後、いきなり倒れたのよ。その時に落ちちゃったんじゃない?」

 ピピの言葉にサラは眉を寄せた。

「そうだっけ? 覚えてない……あっ、でも確かに、ヘトヘトで家に帰ったのは覚えてる! そっかぁ、そうだったんだ」

 男の子の『助けて』 と言う願いを叶えるために子守唄を歌うサラ。その歌には魔力が込められているのだが、それはサラが自然魔力に願うのではない。魔力自体が歌に反応しあの子へ届けようとするのだ。

 魔法のキャンディーを大量に仕込んでいた昨日のサラは、その歌を歌った後、疲労困憊で倒れてしまったのだった。

 安堵の笑みを浮かべるサラとピピが二人だけで盛り上がっているなか、ルカはそれどころでは無かった。

「ちょっ! おいおいおいおい! そんな悠長に話してる場合か!? 地上だぞ!? ブレスレットは地上にあるんだぞ! どうすんだよ!?」

「うるさいな。どうするって、行くに決まってるでしょう」

 寝転んだまま、ルカに嫌悪感をぶつけるサラ。しかし、相手はあのルカだ。

「言うと思った! そう言うと思ってたけどよ!」

「何よ、ならどうして聞くのよ」

「地上へ行くには、女王様と誓いの儀を行わなくちゃいけないだろう!? それに俺たちはまだ十七歳なんだから、十八歳から権利が与えられるそれに参加できない! そして空の門は明日、また閉ざされる! この意味が分かるか!?」

 サラとピピは顔を見合わせると、「分からないわ」 とピピが口にした。

「来年まで待つしかないんだよ! でもその間に、地上にあるブレスレットが無事かどうかも分からない。だから! どうすんだって聞いてるんだ!」

 魂の叫びのように言い切ったルカの息は、だいぶ切れている。

「だから、行くに決まってるでしょう。ブレスレットは私の想いに応えてくれたのだから選択肢はないわ。……それに、門が閉まる前に帰ってくればいいんでしょっ?」

 サラは語尾を上げ、純粋な笑顔でルカを見た。その反対にルカは青ざめた表情をしている。

「……おい、ピピ。元女王のミレーヌ様に育てられたと言うのに、平然と法を犯そうとしてるぞ。サラってこんな奴だったか?」

「そうよ、こんな奴よサラは」

「ちょっと、聞こえてるんですけど。そもそも、それに関して言うのなら、ミレーヌが言ったのよ? 進むべきレールは自分自身で引きなさいって。法を破るのは良くないけど、これは私が決めた道だもの。……とは言え、ミレーヌをガッカリさせたくないから、門が閉まる前に帰ってくる。以上……!」

 サラはそう言うと、気を失うように眠ってしまったようだ。今日は朝から些細な魔法や、歌や、今さっきも上級魔法を発動したのだから、サラは限界を迎えたのだろう。

 そして眠ってしまったサラには当然、ルカの言葉も届かないのである。

「以上って……人間界のことほとんど知らないのに……その自信はどこから来るんだよ……」

 丸みを帯びた今日の月は小望月。幾望きぼうの月。翌日の満月を楽しみに、希望を抱き待つその月の光を浴びながら、サラは穏やかな寝息を立てているのだった。

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