歌う理由

 月が真上まで昇っている。太陽が眠りについた夜の道はとても幻想的だ。幾つもの光の粒があちこちに漂い、月光に反射するとキラキラと輝きを見せつける。魔力の塊だ。空の門によって生み出されたそれは、確かに昼間も存在していた。しかし、陽の光では姿を見せることはなく、夜の月に反応するように煌々と輝くその存在を主張し始めるのだ。

 そんな道を噴水広場とは逆方向に歩いていく三人。鼻歌でメロディを奏でるサラの横にピピ。その後ろを追いかけるように付いて行くルカ。住宅街の奥地にある家から、更に奥へと向かう。

 ルカは辺りを見渡しながら、前を歩く二人に尋ねる。

「なあ、これからどこへいくんだ?」

「お花畑よ。小さい頃に、よくミレーヌに連れて行ってもらったところなの」

 そう答えるサラは、家を出てから何個めかの角を曲がり、細い路地へ侵入して行く。

「すっごい綺麗なところなの! ルカもきっと気にいるわ!」

 後ろを振り返りながら言うピピの明るい声が細い路地に反響する。

 その路地の影に潜んでいた小規模な階段を進むと、心落ち着くような音が聞こえてくる。路地を抜けた先にあったのは細い川だ。三人はその川の流れに逆らうように花畑までの道を辿って行く。

 川の流れる音とピピの鈴の音のような可愛らしい声はとてもよく似合っている。

「サラ、今日はどう? あの子の声、聞こえる?」

「ううん。今日は聞こえないから大丈夫みたい」

「声? あの子って誰だ?」

 ルカは頭にハテナを浮かべるように眉をひそめて尋ねた。

「うーん、誰って言われるとなあ……私も分からないの。でも、男の子っていうのは声で分かるわ」

 サラの答えに、ルカのハテナマークが増えた。

「……いつもは声が聞こえるのか? その誰かも分からない男の子の?」

「いつもじゃなくて。えっとー、なんて言えば良いのかな……」

 サラは腕を組んで考え込んでしまった。

 するとピピが代弁する。

「サラは物心ついた頃から、その子の声が聞こえるんだって。『怖い、助けて』 って。その子は悪夢を見ているらしくって……ね?」

「そうそう。初めのうちは子供の声で毎日のように聞こえてきたんだけど、今は私たちと同じ歳くらいの子の声に変わったの。最近は悪夢を見る頻度が減ったのか、成長したからなのか、声が聞こえてくる回数も月に三回とかになったのよ」

 ルカはサラの言葉に納得したのかしていないのか、どっちもとれる表情だが、ハテナは消えたようだ。

「へえ、それで昨日は聞こえたけど、今日は聞こえないって訳か……」

 川の流れが早くなってきた。何やら騒々しい音も聞こえてくる。

「でもよ、一体誰なんだろうな、その子。……ってか、どうしてサラはその子が悪夢を見てるって分かったんだ? 声が聞こえるだけなら、もしかしたら違うかもしれないだろう?」

 ルカの頭には先ほどのハテナが再び現れた。

「それはね、最近になって分かったことなんだけど……その子の見てる映像が、所々なんだけど、私にも伝わって来るようになったの。……その男の子のものじゃない声がもう一つあって『憎い、苦しい』 って言うの。それで、その声の主は炎に包まれるんだけど……男の子はそれを見て『助けて』 って私に訴えかけて来るのよ。だから悪夢を見てるんだな、と思ったの」

 サラのしんみりとした声とは逆に、ザァーと言う激しい物音がしている。どうやら三人が歩いてきた川沿いの道は、ここで途切れているようだ。三人の背丈よりも高いところにある雲から滝が流れ落ち、音を立てていた。

 サラとピピはその滝の手前に設置してある橋を渡って行く。ルカがその後を付いて行くと、川の向こう岸、滝の裏には小ぢんまりとした水車小屋があった。

 その小屋には入らずに、裏手に回って行くと十数段の段差があった。それを登った先にはあったのは湖だ。先ほどの雲から、こちらにも滝が流れている。あの雲からは二つの滝が流れていたのだ。一つは川に水を流し、また一つは大きな湖を作る滝。

 その夜空の星を満遍なく映す湖は、宇宙に放り出されたのかと錯覚してしまいそうにもなる。

「わあ! すごいな! こんなところがあったなんて知らなかったよ……」

 ルカは湖の手前まで走って行くと、夜空と湖を交互に眺めた。

「でもよ、サラが行きたいのは花畑なんだろう? ……花は見当たらないぜ」

「あそこを見て。ちょっと見えづらいけど、階段があるの分かる? 目的地はあの階段を登ったところよ」

 サラが指差した先、三人の真正面である湖の奥の方には階段がある。だが、それは目を凝らさなければ見えない。無数の星が夜空に浮かび、その眩い光を湖が反射している。薄い雲で出来たその階段は、姿を隠されるように存在していたのだ。

 大きな湖の輪郭に沿って歩いて行く三人。サラが段差に足を乗せると、くっきりとその長い階段が姿を現した。

「なあなあ、サーー」

「もう、今日は一段とおしゃべりね」

 ルカの言葉を遮って、サラはため息交じりに呆れたように言った。しかし、へこたれないのがルカなのだ。

「さっきの話と、花畑って何か関係があるのか? だからピピは聞いたんだろう?」

「ええ、サラは声が聞こえると、ここへきて歌うのよ。あの子のための子守唄を」

 そう言うピピは自在に身体を操り飛行し、階段を登っていく。

「ああ、夢だから子守唄か。それをするとどうなるんだ?」

「声は聞こえなくなるから、ちゃんと眠れるみたいね。昔、私もミレーヌに歌ってもらってたから……あの子にも安心して眠って欲しいじゃない?」

 軽い足取りで階段を進むサラは、微笑みを浮かべた。

(それに、あの子には感謝しなくちゃいけないもの。翼の小さい私に、魔法を使わせてくれてること。助けが必要なら、あの子のために私はできる限りのことをしてあげたい)

 図書館で読んだ本に書かれていた、サラが自然魔力を操れる理由。空の門を介さず、サラに直接届けられるあの子の願い。これまでは自身の経験した寂しい思いから、その男の子の助けに応えようと思ってきたサラ。だけど今、その想いには感謝の気持ちがじわじわと込み上げて来るようになった。

 あの男の子に対する強い想いを胸に、階段を登りきったサラに続き、ピピとルカも頂上に辿り着いた。

 そして横一列に並ぶ三人は、目の前に広がるこの光景に目を奪われ、この独特で優美な甘い香りに包まれたのであった。

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