湯船に浮かぶ気持ち

 お店からリビングに続く扉を開け、サラがそぉーっと顔を覗かせると、ミレーヌはソファに座り読書をしていた。扉が開いたことに気づいたミレーヌと目が合ったサラは様子を伺うように言う。

「ただいま……」

「お帰りなさい。ピピはどうしたのかしら?」

 ミレーヌの言葉に、ピピは恐る恐るサラの肩から顔を出し言った。

「……ただいま」

 ミレーヌはパタンと読んでいた本を閉じると、溜息をついた。

「二人とも、出かけるのは良いのよ。でもね、遅くなるならそう言ってくれないと。私が心配するのは分かっているんでしょう? だから、そんなにオドオドしているのよね」

 ミレーヌの口調は怒ってなどいない。ハキハキとした中に優しさが感じられる。

 サラがミレーヌの前まで歩いていくと、ピピもその後をついて行った。

 すると、ミレーヌが続けて言う。

「サラ、連絡の魔法は教えてあるわよね? あなたは自分の意思で行動しているのよ。その行動には自ずと周囲の人が関わってくる。私を含め、その人たちへ配慮する気持ちを忘れないでちょうだい」

 ミレーヌの愛情ある強い眼差しがサラを見つめている。その眼差しは次にピピへと移動した。

「ピピも同じよ。貴方たちの意思なら私は何も言わないわ。だけど、このことは覚えておいてちょうだいね」

「はい、ごめんなさい」

「ごめんなさい、ミレーヌ」

 サラとピピが交互に反省の意をみせると、ミレーヌは立ち上がり穏やかな口調で言った。

「さてと。食事を温め直すから、二人は手を洗ってきなさい」

 サラは着ていたコートを脱ぎ、ピピと洗面所へ向かう。手を洗い終えた二人が再びリビングへ戻ると、良い香りが漂っているではないか。ミレーヌが魔法で温め直したのだろう、早業だ。

 テーブルに並んでいる食事はどれも美味しそうなものばかり。ピピの好きなチーズはないが、それでも二人はミレーヌの作るご飯が大好きなのだ。

 ミレーヌと向かい合わせで座るサラの横に、脚の長いお子様用の椅子にチョコンと座るピピ。

 食事をしていると、サラがふと何かを思い出したように、手を止めてミレーヌに尋ねた。

「さっき図書館へ行ってきたんだけど」

「あら、シャルムのところ?」

「うん、そうなんだけど……空門の歴史と言う本を読んだの。それには、空の門を閉ざすと言うことは魔力を絶つと言うこと、って書いてあったんだけど……クラリス女王様はこの話知ってるのよね? それでも門を閉ざしたのはどうしてなのかなって思って。ミレーヌも知ってるんでしょう?」

 サラの問いに、ミレーヌは難しい顔をして手に持っていたフォークを静かにテーブルに置いた。

「……ええ、知っているわ。空の門とこの国は一心同体。私たち王族はそれら全ての歴史を受け継ぎ、また、引き継いで行くのよ。……あの子もそのうちの一人。あの子が、女王が国の人々の為を思ってした事に変わりはないわ。サラは女王が信じられない?」

 ミレーヌの表情は悲しいような、切ないものだった。

 サラはすぐさま首を横に振り言った。

「ううん、違うの。ただ気になっただけ」

 サラの女王様に対する不信感が消えたわけではない。ただ、ミレーヌにそんな顔をして欲しくないのだ。サラが幼い頃に両親のことを一度尋ねたきり、それ以降何も聞かないのも、ミレーヌの悲しそうな表情は見たくないと言う思いがあるからだ。

「そう……」

 ミレーヌは食事を口に運ぶサラを見て儚げに微笑んだ。だがその表情も次の瞬間、驚いたものへと変わるのだった。

「サラ、あなたブレスレットはどうしたの? 身に付けていないなんて、珍しいわね」

 サラはハッとし、左手を押さえた。長袖を着ているサラだが、食事の際に袖口がまくれ、手首があらわになっていたのだ。左手を押さえたままでテーブルの下へ隠すようにすると、口をパクパクさせながら言った。

「え、えっとー。あれなのよ、あれ。そう、そうなの、さっき手を洗うときに外して、それで洗面所に置き忘れちゃったの! ねっ! ピピ!」

 助けを求めるサラの視線に、大好きなミレーヌのご飯に夢中になっていたピピは、「へっ?」 と、間抜けた声を発した。

「そうよね!? ピピ!?」

「う、うん! そう!」

 圧倒的に言わされた感が満載なピピ。ピピ自身はきっと何がそうなのか分かっていないのだろう。

「そんなに焦って、どうしたの?」

 ミレーヌが不審がるのも当然だ。ブレスレットを失くしたことを隠そうとしているのに、サラは全然隠し切れていないのだから。

「焦ってなんかいないわ! そうだ! 私たちこの後、あの花畑に行くの! ルカが迎えに来るって言うから早くお風呂に入らないと!」

 どう見ても焦っているサラ。早口でそう告げると、バクバクとご飯を食べ進め、「ご馳走様でした!」 と席を立った。食器をキッチンまで運ぶと、風のようにリビングを後にした。

「えっ? サラ食べ終わるの早すぎ。私もご馳走様でした! とっても美味しかったー!」

 ピピはそう言いながらサラを追いかけて行った。

 ミレーヌは二人の勢いに押され、ただ唖然と見つめることしか出来ずにいた。二人の出て行った扉に視線を送り、「……お粗末様でした」 と、呟いたのだった。



* * *



「フウゥ。極楽極楽……気持ちいいなあ」

 鈴の音のような可愛い声でおじさんのような言葉を発したのは、湯船にプカプカと浮かぶピピだ。

 身体の芯まで温まるような心地良い湯加減は今日一日、ブレスレットを探し回った疲れを癒してくれる。ジャグジーのように泡が出る魔法のキャンディーを入浴剤として使ったこの湯船は、まさに疲労回復にぴったりなのだ。

 サラは浴槽のふちに頭を乗せ、湯船から漂う湯気をボーッと眺めている。

(私、ミレーヌに同情して欲しくなかったんだわ……ブレスレットを失くしたと言えば、きっとミレーヌは探すのを手伝ってくれる。でも、私が大事にしてるものだと知っているからこそ、私の気持ちを汲んで悲しそうな顔をするわ……だから失くしたことを知られたくなかったんだ……)

 サラにとってミレーヌは元女王のミレーヌ様と言うだけではない。サラを引き取り育ててくれた、家族として愛情を注いでくれる大切な人だ。この湯船と同じように、サラを優しい温かさで包み込んでくれる人。気を遣わせて心配をかけたくなかったことに、サラは自身の気持ちに気付いたのだった。

 お風呂で疲れを癒した二人は、サラの部屋へ向かった。

 サラは部屋に入ると真っ先にベットへダイブ。バフッとふかふかな布団に吸い込まれるように埋もれていく。

「スッキリしたー。疲れたー……」

「あの湿気で、ベタベタだったからね」

 そう言うピピは、オルゴールの中で何やら顔をペチペチと両手で叩いている。

「サラも化粧水するー?」

 化粧水を塗っていたのだ。ピピはレディーなのだから当然だ。

 ピピの言葉に、サラは布団にうつ伏せになりながら、「んー……」 とだけ答えた。

 お風呂に入りポカポカな身体で布団に横になると襲ってくるものがある。言わずもがな、眠気だ。頭も心も身体もクタクタのサラは負けてしまいそうになる。……が、それにも負けられないのだ。閉じかける瞼を、必死に阻止している。

 すると、部屋の扉がカチャッと開いた。

「サラ、ルカくんが来てくれたわよ。今日も行くのでしょう? 早く支度なさい? 湯冷めしないようにするのよ」

 ミレーヌが、ルカの訪問を知らせにやってきたのだ。



* * *



 サラが支度を済ませてリビングへ降りていくと、ソファの横で棒のように突っ立っているルカがいた。

「ルカ、早かったのね。座って待ってたら良かったのに」

 サラの言葉にミレーヌは賛成するように頷くと、「私もそう言ったのだけどねえ」 と言った。

「そ、そんな、良いんです僕は」

 ルカは両手を左右に振っている。ミレーヌ様と同じソファだなんて緊張して息ができない、とでも思っているのだろう。ルカにとってミレーヌは幼馴染のサラの保護者と言えど、元女王の立場があるのでどうしても緊張してしまうのだ。

 サラは、「じゃあ、行ってくるね」 とドアノブに手を掛けた。

「ええ、行ってらっしゃい。夜遅いのだから、気をつけてね」

 ミレーヌはいつも笑顔でサラを送り出してくれる。サラはそれが嬉しいのだ。信頼されている、勇気を与えてくれる気がするから。

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