矛盾する心

 シャルムが姿をくらまし、広い建物の隅にポツンと一人、佇むサラ。眩しくも感じる月の光に左腕を伸ばすが、冷たい空気が指をすり抜けて行くだけ。

「お父さん……私も会ってみたかったよ……どうして失くしちゃったのかなあ……」

 サラの独りでに呟かれた切ない思いは、静まり返った部屋の中に溶け込んでいった。

 お父さんには会うことはできないという、現実。もしかしたらそうなのかも知れない、とサラは思っていたものの、希望は捨てられずにいた。この、お父さんのブレスレットを持っていればいつかは会うことができるのではないか、キャンディーショップに訪れる幸せそうな親子を見るたびに、会ってみたい、両親のことをもっと知りたいと、期待していたサラ。それも儚い夢に終わってしまった。

 しかし、ブレスレットを探す意味がなくなったのではなく、むしろサラにとっては何としても探し出したいと決意を改める理由になった。あのブレスレットは今までサラを支えてくれていたもの。ディオン・アルマンと言う名前や、騎士隊長だった素性もハッキリと分かった今、もっと身近に感じることのできる大切な宝物になったのだから。

 月の光を浴びながら、未だ佇むサラの心は寂しさに濡れていた。不安は勇気で吹き飛ばす。だがこの寂しさはあのブレスレットでしか補えない。涙は出ない。見つけ出すと言う決意があるから。

 矛盾する心を落ち着かせるように、フウゥっと、長い息を吐いたサラ。

 月から視線を外すと、本棚の中段で視点が留まった。手を伸ばしその本を取ろうと試みるが届きそうにない。

(お願い。私の元に降りてきて)

 サラは心の中でその本に話しかけるように願った。すると、風もないのにユラユラと揺れながらサラの手の中へ降ってきたのだ。

 <空門の歴史> と表紙に書かれたその本は所々に色の焼けが目立ち、角が取れている。古びたと言うより、ぼろぼろだ、と言う方が適切だろう。

 サラはページをめくった。


ーー空の門の歴史は空の国ができるより前に遡る。

 地上の人間たちの願いを具象化したもの、それが空の門であると言い伝えられている。そうして生まれた空の門は、人間の願いを魔力に変換する機能を持つとされる。

 その膨大な魔力を求め集まった、七人の騎士と二対四枚の翼を持つ一人の女性。それらは七つの騎士団を作り、女王として空の国を築き上げたとされる。

 故に空の国は、空の門と切っても切り離せない繋がりがあるのだ。

 空の門を閉ざすと言うことは、その繋がりを断ち切ると言う意味を持つ。だがそれは人間の願いを魔力に変換する空の門であるからに、その魔力を絶つと言う意味を含めるもの。

 また大抵の者は空の門と共鳴し、翼に魔力を宿すとされる。しかし稀に空の門を介さず、願いを直接受け取る者がいると言う。初代女王がそうであったように、空の門から生み出される自然魔力を操る者であるーー


 気になった箇所を一頻ひとしきり読んだサラは、穏やかな笑みを浮かべた。

「私が自然魔力を操れる理由はあの子のおかげだったのね……それに初代女王様と一緒だなんて。私の翼もそんな風になるかな……」

 そして確認するように再度手元の本に視線を送った。

(パレードで騎士たちが人間たちの願いを叶えに行く理由って、魔力をくれるお返しなのかな。地上の人たちが私たちの生活を支えてくれてる……繋がり……)

 読み返す傍、そんなことを考えていると、何か引っかかる、とでも言いたげな顔をしたサラ。するとブツブツと独り言を言いだした。

「えっ……確か、初代女王は『地上に住む人間たちが必要。繋がりを切ってはいけない』 と言ったのよね。必要というのは、願いが魔力になるからでしょう? 繋がりだって、ここに書いてある通りだし。……じゃあ、どうして? クラリス女王がこの話、知らないはずがないわ。『万が一に備えて』 で、門を閉ざすだなんて……フランネルさんが言っていた、魔法のパワーが落ちていく話。原因はこれしかないじゃない」

 ふと気になって手に取った本が、サラが自然魔力を扱える理由を示した。だがそれ以上に、クラリス女王に対する不信感とも言える疑問を深めるものとなったのだった。



* * *



 サラが入り口付近に戻ると、ピピとルカが棚に寄りかかるようにして待っていた。

 サラの足音に気づいたピピは、「サラ! もう、どこまで行ってたの?」 と不機嫌な様子だ。

「待たせてごめんね。魔法の書、見つけられなかったわ」

 サラがそう言い二人に近寄ると、ルカが古びた一冊の本を片手に持っているのが見えた。

「ルカ、それは?」

「見つけたんだ、ほら!」

 ルカが自慢げに差し出したそれは、まさしく、探し物のための魔法の書だ。

「ルカが見つけ出した訳じゃないでしょう。通路の途中に落ちていたのよ」

 ピピがため息混じりにそう言うと、サラは心の中で思った。

(きっとシャルムだわ。会話を聞いてたなら教えてくれてもよかったのに……まあ、あの人らしいけど)

 するとピピが焦ったようにサラの腕を引っ張り出した。

「サラ、早く帰らないとミレーヌが! 遅くなるって言わずに出てきちゃったから、きっと怒ってるわ!」

 この図書館に来てからだいぶ時間が経ったのだ。沈みかけていた日はもうとっくに沈み、代わりに月が高く登っている。

 サラはハッと思い出したかのように言った。

「大変! そうだわ。連絡もしてないし……少しだけ待って、これ読んじゃうから」

 魔法の書の開いたサラは次々にページをめくっていく。目当てのページを見つけた途端、サラの瞳は右に左に動き回るのだった。注意深く読み、関心を深めたサラは本を閉じた。

「よし! 帰りましょ!」

 サラは読み終えた本を、通路に置くようにそっと棚に立て掛けた。

 ルカが入り口の重たい二枚扉の片方を、足を踏ん張って引くと、ルカ、ピピの順で図書館を後にする。サラは二人を追うように外へ出るが、扉を閉める寸前で中を振り返った。

「本、ありがとう!」

 図書館内に響き渡るサラの声に、返事は帰ってこない。すると、通路の灯りが奥から順に消えて行く。一番手前の灯りが消えた瞬間、あの香りがサラの鼻に届いた。サラがシャルムに渡したキャンディーの作用、あの独特な甘い香りだ。シャルムの仕業に違いない。

 サラはクスッと笑うと、扉を閉め二人の元へ駆け寄っていった。



* * *



 外は真っ暗だ。月の明かりは背の高い木々に遮断されてしまっている。霧が更に立ち込め、辺りを見通すことなどできない。一段と冷たい空気が湿気とともに肌を撫で、風が吹けば生い茂る葉っぱがざわつく。夕方とは打って変わって、薄気味が悪い。

「ああ、ヤダヤダ! だから暗くなる前にここを出たかったのよ」

 ピピはそう言うと耳を塞ぎ、大きな声で何やら歌を唄いだした。カフェを出るときに言っていたピピの言葉は、この気味の悪い状況が怖かったからなのである。人々に悪魔と恐れられるシャルムに食ってかかるピピにも、怖いものはあるのだった。

 だがルカは平然と霧をかき分けて進んでいく。ルカは目に見えるものしか信じないのだ。悪魔の存在を体感したルカにとっては、この森なんか怖くもなんともないのだった。

「なあ、サラ。この後はどうするんだ?」

 ピピの歌を他所に、ルカはサラに尋ねた。

「一旦帰って、その後もう一箇所出かけるわ。ルカも行く?」

「もちろんそのつもりさ。じゃあ晩飯食べたらサラの家に行くよ」

 森を抜けると、ピピの歌もエンディングを迎えた。それから三人は帰りも羊たちに乗せてもらい、雲海を渡ると広場に戻ってきた。昼間のパレードの騒ぎが幻だったのかと感じられる夜の広場は、噴水から溢れ出る水の音が静かで心地よい。

 ルカの家は商店街のある南側だ。サラとピピがミレーヌと暮らすキャンディーショップは、東側の住宅街の奥地。そのため、広場でルカと別れたサラとピピの二人は急ぎ足で家へと向かうのだった。

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