許されざる者入るべからず
図書館は静寂に包まれた。傘から滴る水滴の床を濡らす音がピチョン、ピチョンと響くだけ。そんな部屋の中でどこか寂しげな表情で何かを考え込んでいるサラを、ピピは心配そうな眼差しで見つめている。
だがそんな空虚な部屋の中には似合わない声を発した人物がいた。
「おわ! なんだこの甘い香りは!?」
ルカはようやく正気を取り戻したみたいだ。
サラとピピは表情を一転させ、ハッとルカを見た。
「ルカ! 良かった、元に戻った!」 と、サラが言うと、ピピが続けた。
「ルカー! 私、心配だったんだから! シャルムの魔法のせいかと思ったらそうじゃないって言うし。もう気味が悪くて悪くて。あれはなんだったのよー!」
ピピの怒濤の勢いに、ルカは体を引いた。瞬きを数回繰り返すと、苦笑いを浮かべてしどろもどろに言葉を並べる。
「え、えっとー……。ナンノコトデショウ?」
ルカには自覚がなかったようだ。苦い笑みが消え、眉を寄せるルカの表情から察するに、自覚がない以前に記憶がないようにも思える。
するとピピが不思議そうに尋ねた。
「覚えてないの? あなた、シャルムに会ってから可笑しかったわよ?」
「……悪魔じゃなくてとても美しかった? ……いや、恐ろしかった? 全然覚えてないぞ、ここに来てからの記憶が曖昧だ……」
頭を整理するように沈黙が続くルカ。少しすると困惑した表情で続けて言った。
「でも……今はなんか嫌な感じがない。少し前までは胃が締め付けられるような感じがしてた……と思う? よく覚えてないけど……うん。今は全然そんな感じしない」
本人は記憶にないようだが、ルカはシャルムに凄まじいストレスを感じていたらしい。悪魔のようなオーラに当てられた恐怖から思考がおぼつかなくなり、自身の感情もコントロールが効かなくなってしまったのだ。そんなルカのストレスの元凶であるシャルムが姿を消した今、負のオーラが遠ざかり我に返ることができたのだった。
「まあでも、本当に良かったわ。気持ち悪かったから」
サラが飾り気もなくそう言うと、「えっ! 俺どんなだったんだよ……」 と、ルカは血の気の引いた表情で言った。
ピピはこんな表情よ、と、あの時のルカの顔真似をしている。ルカをおちょくるように
「さて! どうする? ここにはブレスレットないみたいだし、一旦帰る?」
サラはピピの言葉に考えるように間を少し空けてから口を開いた。
「……その前に、魔法の書を読んでいっても良い? 広範囲で使う探し物の魔法、知らないから。それだと魔力も反応してくれないのよ」
「ここに置いてある魔法の書は上級魔法のやつだぞ!? まさかそれも使いこなせるのか?」
ルカの驚きように、サラはクスッと笑った。
「そんなに驚かなくても良いでしょう。今まで挑戦したやつは全部成功したわ。正確に言えば、自然魔力が私の願いを叶えてくれただけなんだけどね」
ルカはため息を吐くと、「驚くに決まってるんだよ。俺なんか一回も成功した事ないのに」 といじけた様に言った。
「じゃあ、探しましょう!」
ピピの言葉が合図となり、三人はこの広い室内でそれぞれ棚を分けて探すことになった。ルカが真ん中の通路から右側。ピピはその反対の左。そしてサラが部屋の奥を探している。
本棚はとても高く、一番上の本は背表紙に書かれているタイトルだって読めない。棚の一つ一つに備え付けてある横移動式の
ルカはストレスから解放されて身軽に梯子を攀じ登って行く。ストレスフリーとは天にも昇る気分なのである。
ルカは棚の中段に並べてあった一冊の本を手に取った。それは、ここに置いてある他の本に比べればまだ真新しい。
「人間の文化……おお、発明品の本か。どれどれ」
ルカは梯子に掴まりながらその本のページをめくっていく。
「最新型スマートフォン? の取扱説明書? なんだ? スマートフォンって」
最新型と書かれているが、その本が発刊されたと示している日付はもう何年も前のものだ。きっとあちらの図書館から回ってきたものなのだろう。
「ちょっとルカー! その棚は魔法の書と関係ないんじゃないの!?」
通路を挟んで反対側の棚を探していたピピが部屋の中に響く声で言った。ピピは梯子を使わずとも棚の上段をスイスイと調べている。
また本のページをめくったルカが、途端にイキイキとした声で言う。
「この本、落とし物を探す方法が書かれてるぞ! 『失くしたスマートフォンを探す場合は、GPS機能を利用しよう。GPSとは、人工衛星から発せられた電波を受信し、現在位置を特定するもの』 だって! 何言ってるのかよく分からないけど、なんかすごいよな! 魔法みたいじゃん!」
ピピはそのルカの声だけで彼のキラキラとした表情が分かってしまったのだろう。呆れたように鼻で笑うと、今度はサラに向けて言った。
「サラの方はどうー? 魔法の書あったー?」
サラは二人よりも奥の棚を梯子で移動しながら探していた。
「うーん……もうちょっと奥を探してみるー!」
そう言うと梯子を降り、歩き出したサラ。部屋の奥は入り口付近と比べ、灯りが極端に少ない。室温も打って変ったように冷気が肌を撫でる。
建物の突き当たり、壁際には通路と同じように棚が設置されていた。その棚は部屋の角の手前で何故か、途絶えている。サラが確かめるように近づくと、その
「お城の旗と同じ模様……」
サラは惹かれるようにその扉に手を伸ばした。すると、手が触れた瞬間ーー光った。扉は温かなオレンジ色の光に包まれ、その文様は一段と強い光彩を放ちボワーンと浮かび上がった。
「えっ?」
辺りが明るくなったのも一瞬のこと。サラの驚いた声と共に、消えていってしまった。
不審に思ったサラがその扉を押してみるも……開かない。引いてみてもビクともしない。
するとーーカツンカツンと、床に響く音がサラに近付いてくる。
「その扉は開かないよ、サラ」
サラがその声に振り向くと、シャルムが立っていた。
「……そうみたいね」
サラはもう一度扉に触れてみるが……先ほどの光は現れない。「この中には何があるの?」と、サラはシャルムに尋ねた。
「さあ、私も入ったことがないから分からないねえ。そこは王家の血族者しか立ち入ることができないんだよ。そういう風に魔法で管理されているのさ」
確かに、シャルムの言う通りだ。ドアノブの上にも、扉の何処を見ても、鍵穴らしきものは見当たらない。魔力に反応して開く仕組みのこの扉は、鍵を偽装しようが、それを差し込む鍵穴がない以上、どう
(じゃあ、ミレーヌや女王様しか入れないのね。あの光はなんだったのかしら……歓迎されているのかと思ったのに)
サラは頭の片隅でそんなことを考えていた。
「この扉、触れたら光ったんだけど……そういうものなの?」
サラのこの問いに、シャルムは固まった。度肝を抜かれたというような表情だ。
「……そうか。やはり君は面白い子だね、サラ……」
小さな小さなシャルムの呟きは、静かな部屋の中でも扉を見つめているサラには届かなかった。
「いいや、扉が光ったところなんか見たことないねえ。見間違いじゃないのかい? 今日は月明かりにしては眩しいくらいだからねえ」
気付けばもうそんな時間。天窓からは月が覗き、ちょうど、扉を照らすように明るい光が差していた。
サラは上を見上げ、その月を見つめている。
「ねえ、シャルム……」と、ゆっくりと口を開いたサラは、シャルムに目線を戻した。
「……私のお父さんはいつ亡くなったの?」
シャルムは儚げな笑みを浮かべながらサラを見つめて言った。
「ディオンは……君が生まれた年に亡くなったんだよ。彼は君に会うことをとても楽しみにしていた」
「じゃあ……どうして亡くなったの?」
サラは消え入りそうな声でシャルムに尋ねた。するとシャルムの顔からは笑みが消え、サラに向ける眼差しは力強いものに変った。
「それは私も知りたいさ。彼がどうして死ななきゃならなかったのか……それを知っている者は少ないと聞く。だがその者たちは口を割らないんだ」
「……そう」
サラのその一言には覚悟を感じられる。誰も教えてくれないのなら自身で答えに辿り着くしかないのだと。サラは再度尋ねた。
「じゃあ、私のお母さんのことは何か知ってる?」
「さあ、それには興味がないからね。ディオンからも聞いたことがないよ」
シャルムは心底興味がなさそうに言い放ったのであった。
シャルムはサラと似ている。興味のないことには関心を持たない。唯一の友達であるディオンと、その娘のサラ。そしてサラが命を与えたピピにしか、シャルムは興味がないのだ。ディオンの愛する人であろうが、サラの母であろうが、シャルムにとっては赤の他人としか思えないのだ。
するとシャルムは片手を上げて、月の光の届かない暗い部屋の奥に消えていった。
この時、シャルムの背中を見つめるサラの瞳には映ることは無かった。微笑みにも似た、腹の底からフツフツと湧き上がるような怒りを含んだ彼の表情など。
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