羊様御一行の三秒ルール
三人は道の途切れである、雲の切れ間までやってきていた。視界が開かれ、広い空の上にいるのだと思い知らされるような景色が広がっている。
この国で生まれ育った三人には当たり前の光景だが、ルカは青冷めた顔をしている。
「あ、あのさ。俺、カフェを出てから思ってたんだけどさ……」
ピピは「どうしたの?」 と、不思議そうに尋ねた。サラも言葉の続きを待っているようだ。
するとルカは、顔を青くしたままぎこちない笑顔を作って見せた。
「道、間違えてないか? 図書館に行くんだったら逆方向だぞ? 引き返そうぜ、な?」
ルカのその言葉に、サラは何を言っているのかわからないと言った表情だ。
「間違えてなんかないわよ? 図書館はこの先だもの」
サラが指をさした先には、雲海が広がっている。雲海を超えた先に図書館はあるのだと、サラは言った。
ルカの顔はますます青くなっていく。冷や汗が額から首へ流れていくのが目に見えてわかる。ルカが唾を飲み込むと、喉仏が大きく上下した。
「ま、まさかだよな? 二人は昨日あそこへ行ったと言うのか? 冗談だろ?」
まるで、『お願いだ、冗談だと言ってくれ』 とでも言いたげなルカの表情に、サラは真顔で答えた。
「いや、最初から本当のことしか言ってないけど。冗談抜きで、私が行きたいのはこっちの図書館よ」
空の国には図書館が二つ存在する。
その内一つは、噴水広場の東側、住宅街へ入る手前に位置する。図書館ながら開放的で、コーヒースタンドも併設されており、綺麗な外観が特徴的だ。日常生活で必要とする魔法の書も数多く置いてあり、人間界の本も、本屋さながらに流行の物を取り揃えている。『図書館』 と言えば、国の人々はこっちを思い浮かべるであろう、人気の図書館だ。
ルカの言う図書館とはこっちだ。だがサラが昨日行ったのはもう一つの図書館。
国の外れで、忘れ去られたように存在する古びた図書館。国の歴史に関する物や、難しいとされている上級魔法の魔法の書などが置いてあり、重要な本の保管場所でもある。その為、一般の人々とは縁が無く、近づく者も少ない。だが人が近づかない理由はそれだけではないのだった。
するとルカは、道の端に建てられた<時刻表> と書かれた看板を指差した。
「で、でも! もう最終便も出ちまってるし、向こう岸へは行けないぞ」
ルカが必死にそう言うが、サラは何食わぬ顔で言い放つ。
「私たち、昨日も船には乗ってないし問題はないわ」
この目の前に広がる雲海を超えて向こう岸まで行くには、船に乗らなければならない。小型ながらも豪華客船のように贅沢なその船は、この雲海を渡る為だけに用意されたらしい。魔法で船を操作する為、料金を支払う代わりに魔力をほんの少し分け与えるのだ。
しかしサラとピピは昨日も船には乗らなかった。それは……
二人の会話を横目に、ピピは身に付けていた小さな鈴を首元から取り外した。そして手に持ったそれを高く掲げると、弧を描くように大きく揺らし始める。辺りに響き渡る繊細なモスキート音は、サラとルカには聞こえていないようだ。
「二人とも、強風にご注意くださいな」
ピピのこの言葉を合図に、サラは何歩か後ろへ下がった。
雲の下の方から何やら地響きのような騒音がこちらへ迫ってくる。
何も知らないルカが、その正体を確かめようと、雲の切れ間から顔を覗かせたその時ーー
「うわぁ!」
突然、下から上がってきた物凄い強風。ルカの身体は宙へ浮かび上がり、尻餅をつくように後ろへ叩き落とされた。
ピピは「だから言ったのに……」 と、苦笑いだ。サラは「大丈夫?」 と言いながらも、声を出して笑っている。
状況を把握できていないルカの目に飛び込んできたのは、その風に乗って現れた羊の群れだった。
ピピは風が止むのを待ってから、見ただけで柔らかいと分かる毛に覆われた羊たちに近寄って行った。
「今日も来てくれてありがとう! メリー、今日は一段とご機嫌ね!」
羊たちの真ん中には子羊がいた。ピピはその子をメリーと呼び話しかけると、メリーは前足を動かし、はしゃいでいる様子。
ルカは初めて見る光景に、戸惑っている。
「羊……メリー? 名前があるのか?」
「もちろんよ。ところで、今日も向こう岸まで運んでもらいたいのだけれど。良いかな?」
羊たちはサラの言葉を理解しているようだ。群れのリーダーと思われる一際大きな羊が「メエェ!」 と鳴くと、羊たちは橋をかけるように、サラの足元から向こう岸まで一直線に二つの列に整列しだした。
サラはその羊たちのフワフワな毛の上に足を乗せると、慣れたように軽快な足取りで雲海を渡っていく。
その様子をただ唖然と見ていたルカは、一人取り残されてしまった。
「お、おいサラー! そんなことして大丈夫なのかー!?」
サラはもうすでに向こう岸へ到着している。いつの間にか、ピピも向こう岸まで飛んで行っていた。
「みんな優しいから大丈夫よー! 顔は踏まないようにね! あと、同じ羊さんに三秒以上乗っていると落ちるわよー!」
ピピのアドバイスを聞いたルカは意を決して最初の羊に足を乗せた。
「三秒以上乗ってると落ちる……」
小さな翼のルカは飛べない。落ちたら死ぬのか、と羊の上を渡りながらルカが考えていると、またもやピピの叫び声が聞こえた。
「ルカ! その子はだめー! アンバーは気分屋なの! 隣のヘイゼルに乗せてもらって!」
ピピがアンバーと呼んだ羊は少し赤みがかった毛の色をしている。まさにルカが足を乗せようとしていた羊であった。
間一髪、ルカは身体の向きを変えアンバーの隣、他の羊より毛量の多いヘイゼルの背中に着地した。
「危ない、危ない。怒って、落とされるところだった……」
安堵のため息とそんな独り言を言っているも束の間。ーーヘイゼルが鳴いた。この時ルカは、ヘイゼルのその言葉が理解できた気がしたのだった。
「やべっ! 三秒!」 と、焦った声で言うと、すぐさま足を動かした。
そしてようやく、無事に雲海を渡りきったルカに掛けられた言葉はなんともキツイものだったーー
「ルカ遅い! 日が暮れそうよ!」
サラは珍しく不機嫌だ。羊たちにお礼を伝えると、一人歩き出して行ってしまった。
そんなサラの後ろ姿に、ルカはポツリと呟くのだった。
「いつも以上に厳しいな……」
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