穏やかな笑い声は静寂の中で

 分厚い本や、高く積まれた書類の束がそこら中に散乱している薄暗い部屋の中は、パレードで盛り上がっている広場の声すらも届かなく静まり返っている。

 聞こえるのは、穏やかな笑い声が一つだけ。

 その声の主は、寂しげな机の上にポツンと置かれた写真立てを眺めながら微笑んでいる。

 そこに写っているのは、ブロンド髪の女性と深い緑色の短髪の男性に挟まれ手を繋いでいる、灰色がかったブロンド髪をハーフアップにした女の子。写真の中の三人は幸せそうに笑みを浮かべている。

「お父様。今年も、彼らは人間界へ行きましたよ。地上の人たちは喜んでくれるでしょうか。お父様のように、人々を笑顔にしてくれるはずですよ」

 声の主は昔を思い出しているのか、「今でもはっきりと覚えていますわ。地上の人々の、あの宝石のように輝いた表情」 と、幸せに満ちた声で写真に話しかけた。

 すると声の主は徐に立ち上がり、壁に取り付けられた顔の半分くらいの小窓から外を覗いた。

 その窓からは、遠くの方で空の門へと続く長い長い階段を登っていく騎士たちが小さく見える。

 声の主は、騎士たちが雲に飲まれていくのを、幸せなあの頃を思い出し浮かべる笑みで、尚且つ、強い眼差しで見届けている。

ーーコンコンッ

 静かな部屋に乾いた音が響いた。

 声の主が「はい」 と返事をすると、錆び付いたようなギィーという音を鳴らしながら重いドアが開く。

 部屋に入って来たのは、身形の整えられた男性だ。

 礼儀正しくお辞儀をしたその男性は、姿勢を伸ばし硬い口調で言う。

「失礼致します。只今、一番隊の騎士団が空の門を通過したとの連絡が入りました」

「そう、ご苦労様」

 声の主は窓に顔を向けたまま、振り返ることもなく淡々と言い放った。

「はっ。失礼致します」

 そう言う男性は素早い動作で敬礼をすると、またもや深くお辞儀をした。

 部屋に先ほどの錆び付いたような音が響いた。

 窓辺に佇んでいた声の主がドアが閉まるのを待ってからフゥと重い息を吐き、窓の外から目線を外そうとした、その時ーー声の主の表情が一瞬にして固まった。

「あの子……」

 視線は灰色がかったブロンド髪の少女に注がれている。

 少しの間その固まっていた表情が、途端にボロボロと崩壊して行く。

「……いや……嫌よ、やめて!」

 声の主は頭を抱え、その場に崩れ落ちた。目には涙が滲んでいる。

「ダメなのよ今日だけは……騎士たちが帰ってくるまでは……嫌! ダメ、やめて!」

 溢れ出てくる涙を零さないようにと目を見開き、部屋の外にまで聞こえるくらいの大声で叫んでいる。

 するといきなり、ノックもなしに開けられた部屋のドアからあの男性が心配そうに駆け寄ってきた。

「陛下! どうされました!? お気をしっかりとお持ちください、陛下!」

 男性が声をかけても尚、「ダメ、やめて!」 と、頭を抱えて息を切らしながら叫んでいる、『陛下』 と呼ばれた声の主。

 どうやら男性の声は声の主に届いていないようだ。

 するとその男性は、机に置かれている写真立てを手に取り、声の主の目に映るようにかざした。

「陛下、ご覧ください。本日は何月何日ですか?」

 声の主はその写真を見て、少しだけ落ち着いた声で言葉を零すように言う。

「……今日は……十二月……二十四日」

 写真のことだけに意識を集中させるように、ただ見つめている声の主。

「そうです。ミレーヌ様と一緒にご覧になったお父上様は、地上の人々を笑顔にしていましたね?」

「お母様と一緒に見た……お父様……笑顔で溢れる人たち……」

 声の主は自身の頭から手を離すと、写真立てを握りしめた。そして目に涙を溜めながら笑みを浮かべたのだ。

 男性はその様子を見て安心したように息を吐くと、すぐさま自身の耳に手を当て呪文を唱え始めた。誰かと連絡を取るようだ。

「私だ。門の様子はどうだ」

 男性がそう言うと、彼の耳に別の誰かの声が届いてきた。

「こちら、空の門正面。一度閉まりかけましたが、持ち直したようです。門には異常ありません」

「そうか、一先ず安心だな。引き続き、警戒を怠るな」

 男性が耳から手を離すと、彼の耳にはもう、声は届いてこなくなったようだ。

 そして男性はゆっくりと立ち上がると、写真立てを胸に当てて抱きしめているその声の主を残し、部屋を出て行った。

 再び静寂に包まれた部屋の中には、微かに聞こえる穏やかな笑い声だけが響いたのだった。

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