5・7 散っていく
――2011年7月――
最悪なことに、月曜は一コマから始まる。
選択科目なら最悪落単してもいいだろうと二度寝をかますところだが、無情なことに一コマは必須科目で出席点が非常に重たい。
チャリで駅まで爆走し、電車に揺られ、それから直通バスに乗りようやく大学にたどり着く。受験勉強で得たものは、そんな片道二時間の懲役刑だ。
「おい杉ー。お前また俺の服勝手に着てったろ」
人がごった返す教室内を掻き分け話しかけてきたのは、同じサークルの山内だった。ド派手な金髪と大量のピアスという大学デビュー全部乗せのような男。
新入生歓迎会で、悪酔いする先輩たちへの囲まれながら一人一人控えめに自己紹介する中、一人ハイテンションで「将来は公務員になりたくてえ、それで入学しましたあ!」と高らかに叫んだやつでもある。隣の席で飲んでいた女子大生たちにしつこく絡んでいて、どの面して公務員を志望しているのか小一時間問い詰めてやりたくなった。
その視線は、俺が着ているユニクロのTシャツに注がれていた。
「ごめんごめん。服持ってくるの忘れてさ。今度洗って返すから」
「いいけどさあ、近い将来下着までパクられそうで怖えよ」
最近から、大学近くにあるこいつのアパートに日曜の夜のうちに押しかけ泊まらせてもらっている。もう二度と遅刻できないほど、月曜一コマの欠席日数がピンチなのだ。
本当はもっと家から近くて、知名度のある中堅大学を目指していたはずだった。だが、勉強をサボってきたツケをたったの一年で完済できるほど、世の中うまくはない。
唯一受かったのは、中の下レベルの文系大学だった。目立った特長があるわけでも特別就職率が素晴らしいわけでもない。とりあえず「大卒」という肩書が欲しいやつらが集まるようなところだ。
早人とは偏差値が30以上離れている気がするが、それでも受験勉強しなければきっと入学できなかっただろう。それだけ自分が底辺にいたわけだが、これならいっそ高卒で働いた方がよかったかもしれない。
「そういえばさ、お前また先輩んちで飲んだんだって?」
「まあ……。あんま覚えてないけど」
「やっぱ今回も記憶ないんか。杉はほんと酒弱いよな。普通もうちょっと強くなるもんだろ。しかも毎回記憶無くすってどうなんだよ」
「うるせえなあ。俺だって好きで弱くなったわけじゃねえっての」
こいつはなぜか初対面の時から俺を「杉」と呼ぶ。そのせいでサークル内でも「杉」というあだ名が定着している。別に嫌ではないが、「杉」と呼ばれた時に自分のことだと気が付くのに時間がかかる。
「杉は酒入ると人に電話したり変な暴露始まるから面白いんだけどな。そのうち爆弾投下するかもしれないからほどほどにしとけよ」
「分かってるよ。俺だって自分の知られたくないこと口走ったら困るからな」
大学生になって一番に学んだのは、自分が相当酒に弱いということだ。入学ガイダンス後、フットサルサークルの先輩から「君、運動できそうだねえ」と強引な勧誘に遭い、勢いのまま入ることとなったのが全ての始まりだ。
もともとフットサルは嫌いじゃなかったし、大学では適当にスポーツをしておきたいという希望もあったものの、蓋を開ければそこはただの飲みサーだった。
フットサルなんて月に二、三回、大学の隅っこでお遊び程度の試合しかしない。一度もフットサルをしたことのない先輩も存在する。
ただし飲み会は週一ペースで開催される。誰かの家で宅飲みすることもあれば、飲み屋をハシゴすることもある。
毎回参加するわけではないが、サークルを通じて先輩から教科書を譲ってもらえたり、過去の試験内容を教えてもらえたり就職の話を聞かせてもらえるなど多少の恩恵はあるらしく、人脈づくりのために渋々顔を出している。
そんな生活を送っていると、たまに名前も知らない先輩のアパートの廊下で大の字になって寝ていた、なんてことが起きる。まさに「ここはどこ、私はだれ」状態だ。
さらには、俺は泥酔すると勝手に秘密を暴露する癖があったらしい。「なんでSMAPが嫌いなの? 恨みでもあるの?」とか「今度医大生のお兄さん紹介してよ」とか、顔も名前も覚えていないような人に声をかけられらようになった。
この前なんて、酔った勢いで早人に電話したこともある。電話をかけたこと自体は微塵も覚えていなかったが、着信履歴と通話時間が現実を物語っていた。
朝になって慌ててかけなおし、俺が何を言ったのか問い詰めたところ、早人はケラケラ笑いながら「先輩の家でゲロってそのまま一晩中泣きながら便器にしがみついてたこと以外、特に何も言ってなかったよ」と暴露内容を明かした。
「勇人から急に電話来るから何事かと思ったよ。でも久々に話せて楽しかった」と早人は言っていたが、だったら会いに来ればいいのにと思った。
上京して二年目だというのに、早人は一度も帰って来ていない。
去年の年末は、大学の同期と初日の出を見る旅に連れ出されたらしく、キャンピングカーをレンタルして静岡まで走ったのだとか。
寒空の下無理にバーベキューをして鼻水ダラダラだったとか、酒に酔った隣グループのおっさんに絡まれて無理やり一升瓶を飲まされたとか、全員二日酔いで初日の出どころじゃなく、昼まで寝て終わったとか、そんな話を電話越しで延々と聞かされた。
元々アウトドアなやつじゃなかったはずだったのに。東京のやつらのせいだろうか。あんなに映画にしか興味を示さなかった男が、朝日を見るためにキャンピングカーではしゃぐようになるものだろうか。
一体いつになったら帰省するんだと尋ねると、「分かんないや。でも今年のお盆なら帰れるかも」と言っていた。
今年は本当に帰ってくるのだろうか。
もうすぐ夏休みになる。お盆もすぐやってくるだろう。ゼミの絶叫がすでに始まりつつある。暑い暑い季節。暑すぎて、死にそうになる。外に出ることが億劫になるほど、運動なんかとてもしていられないほどの熱気だ。
どうしてフットサルなんて入ったのだろうと今でも思う。ただ適当に運動できる場が欲しかっただけで、別に他のサークルでもよかったはずだ。
入学当時は、ロック研究会、略して「ロッ研」に入ろうかとも考えていた。それでも少し見学しただけで二度と行かなかった。誰一人として知らない顔だけが並ぶ部室と得体の知れない空気管に触れて、もう一度音楽をやりたいという気にはどうしてもなれなかった。
卒業してもまた集まろう。誰の言葉なのか思い出せない。お揃いの卒業証書をもらって、校庭でみんなで誓った記憶だけは鮮明だ。
あの頃は楽しかった。みんなでバカやって、バンドをしていられた時間は腹の底から笑えていた。
それは確かなことなのに、会えるのならば今すぐにでも会いたいのに、なぜか誰にも連絡をしていない。地元を離れた森崎や由利はおろか、三木とは電話の一本もしていない。
散ると、かつて共に花を咲かせていた場所に舞い戻ることはないのだろう。
あれだけ田舎臭かった早人も、すっかり東京に定着しているようだ。俺の知らない場所で、聞いたこともないような店に行って、俺とは違う時間を過ごしているのを感じる。
夏が俺の家に訪ねてくることも無くなった。俺もあいつの家に滅多に行かなくなった。壁一面に貼られたSMAPが今も変わらず鎮座しているのかすら把握していない。
ここ最近、あいつの部屋から聞き慣れた音楽が鳴り響くことがない。それどころか友人の家に泊っているのか、深夜になっても一切明かりが点くことがない日もしばしばだ。
先日、駅前のコンビニで木田の兄貴に遭遇した。まだ坊主頭ではなかったが、長めの髪をワックスで固めていた高校時代よりは明らかに短髪になり、子持ちの中年のような落ち着いた服装になっていた。
木田の兄貴は、「前よりもイケてるメンズになったじゃないか」と笑いながら、俺にコーヒーを奢ってくれた。
「なんだかんだ、羞恥心、楽しかったよな。早人は元気にしてる? 久々に会いたいなあ」
別れ際、「早人に伝えといてくれ」と告げられた言葉が、なぜか脳内で旋回して離れない。今もまだ早人に伝えられずにいる。
「俺、ちょっとだけ東京に憧れてたんだ。俺の頭じゃ上京なんてする意味もないけどさ。ただ、異空間というか、地元とは違う世界観というか……そういうものに夢見てたんだと思う。だから俺の分まで、向こうで頑張ってほしいんだ。そんで俺に、東京はどこにでもある平凡な街だってこと、こっそり教えてほしい」
最近、誰かと話がしたいと思うようになった。
何の話がしたいのかは、はっきりとしていない。ただ誰かに、ポツポツと零れてくるとりとめのない話を、うんうんと聞いていてほしい。
できれば俺のことを知らない誰かがいい。俺の人生になんの責任もない、俺の人生なんてどうでもいいと平然と言って見せるやつがいい。
どうして散るのになんで咲くんだよ。桜はまだ答えてくれない。
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