4・6④ 羞恥と諦め

 窓から見える人々の列を見た瞬間、一日目よりも忙しくなることを直感した。眩しい太陽の下、校門の前で何十もの人が列を成して開場を今か今かと待っているのだ。


 朝っぱらからよく来るもんだ。他にやることが無いのか。

 この中のどれくらいの人が自分のクラスに来るだろうと考えただけで、軽く車酔いした心地になる。


 窓の外の現実から目を逸らし、トイレに向かって歩いていると、「おにーちゃーん!」という声が、廊下どころか校舎中に聞こえそうな声量で背後から飛んできた。


 振り返ると、ゴジラに似た顔をした緑色の怪獣がこちらに向かって全速力で迫って来ていた。あまりの俊足に逃げる暇もなく衝突され、「うがっ」といううめき声を漏らしてしまった。衝撃でその首が取れ、中に入っていた人間が顔を出した。


「捕まえた!」


 見覚えしかない顔。予想通りの顔。今朝も会ったその顔が、小悪魔のように微笑んだ。


「夏? どうしたのその格好」

「クラスの宣伝だよ! これで廊下を歩くの! 前に教えたでしょ」

「あ、そうだったっけ」


 なんとなく視線を下げると、緑色の手には『アイス売ってます』の看板が握られていた。どうやらこれを持ってクラス宣伝をするらしい。


「お兄ちゃん! 今日後夜祭だね! 楽しみにしてるからね! 写真撮るからね!」

「撮らないで。来ないで。見ないで」

「何よ今更! あんだけ練習付き合ってあげたんだからちゃんとやり遂げてよね! 勇人も楽しみにしてるって言ってたよ!」


 憂鬱なこちらと正反対に、浮かれ気分の夏。その目の輝きが胃を突き刺してくる。


「絶対優勝してね」

「え?」

「ディズニー行きたいもん。後夜祭で優勝したらディズニーのペアチケットもらえるんでしょ?」

「ま、まあそうらしいね」

「だから絶対優勝して! 私をディズニーに連れてって!」


 南を甲子園に連れてって、みたいに言われても。


「……努力はします」


 無難に答えると、怪獣は満足げに白い歯をむき出しにした。

 言いたいことはそれだけだったらしく、緑色の怪獣は看板を振り回しながら教室へ消えていった。




 トイレを出た時には、開場まであと15分となっていた。教室に戻ると、お化け役が急ピッチでメイクしているところだった。血糊を吐く者、傷メイクをする者などバラエティ豊かな景色だ。


「おい杉山! 遅えよ! さっさとメイクするぞ!」

「え?」


 見上げると、昨日見た落ち武者が日本刀を持って立っていた。


「え? 今なんて?」

「お前は今日も伽椰子だよ!」


 衝撃で比喩抜きで顎が外れるかと思った。それくらい口をあんぐり開けてしまった。

 聞けば、本来の伽耶子役・体育委員の牧田はまだ回復しておらず、とても登校できる状態ではないらしい。


 昨日の惨事が蘇る。バカ殿も驚く白塗り。滴る血糊。皮膚をしつこく突き刺す低クオリティのカツラ。


 牧田が食ったという弁当はどこにあるのだろう。俺も食いたい。伽椰子から免れることができるなら、病院送りも辞さない。


 カタカタ震え始めた俺を見て何かを察したのか、落ち武者の眉間に皺が寄った。


「杉山、逃げるなよ? 絶対逃げるなよ? お前が頼りなんだ。頼むから逃げるな」


 3回言われた。ダチョウ俱楽部か。


 俺は本能と慣例に従い、教室を飛び出し、廊下を駆けた。当然、すぐに落ち武者が日本刀を持ったまま俺を追ってくる。「おい杉山! ふざけんな!」と荒れ狂う様は、やはり八つ墓を彷彿とさせた。


 どこまでも逃げた。全学年の教室の前だろうと、廊下だろうと、職員室の前だろうと、お構いなしに。


 俺と日本刀を振り回した落ち武者が猛然と廊下を走り抜けた様子は、当然多くの人に目撃されたわけで、ちょっとした騒動になった。


「え!? 何事!?」

「パフォーマンス?」

「逃走中か?」


 そんな声がどこからともなく耳に入ってくる。時々シャッター音のようなものも聞こえた。


 誰に文句を言われようが、後で先生に怒られようがもう知ったことか。腐った弁当を配った体育委員会が全て悪いのだ。俺のせいじゃない。


 それに後夜祭の前に無駄に体力を使うなんてごめんだ。どうして羞恥心になる前に怨霊にならなきゃならないんだ。


 そうやって無我夢中で走ったものの、人間には限界というものがある。

 体力が誰よりも劣る俺は、最終的にどこの教室からも目につきやすい中庭のど真ん中で捕まった。中庭は、奇しくも後夜祭が行われる場所だった。


 そのまま落ち武者に樽のように担がれ、教室に連行されることとなった。


 落武者が人間を担いでいる姿もまた多くの人に目撃され、廊下をざわつかせてしまった。

 高3にもなってこんな羞恥を晒すなんて最悪でしかないが、諦めるしかない。それよりも、何とか伽椰子を回避できる方法はないか頭をひねる方が急務だ。


 でも舌を噛むか、暴れまわってもう一度逃げるかという二択しか回避策が思い浮かばない。それに逃げたところで、落ち武者との追いかけっこをもう一度繰り返すだけだ。それでは後夜祭の前に体力のすべてを消耗してしまう。


 やっぱり素直に伽椰子になるしかないのか。そう諦めた瞬間、「はやとおおお!」という絶叫が廊下を突き抜けた。

 顔を上げると、なんとピンク色のネコがこちらに向かって走ってきているではないか。


 恐らくどこかのクラスの呼び込み係なのだろう。蒸し暑そうな着ぐるみが、落ち武者に勝るスピードで迫ってくる。


「ちょ、下ろせ!」


 そうやって暴れたが、落武者は呑気に「おとなしくしろ!」と一層力強く俺を担ぎ直してしまった。


 すぐにネコは俺に辿り着き、落武者から俺をもぎ取ってしまった。落ち武者は「なんだなんだ!」と腰を抜かし、俺はネコに連行されることとなった。


 今日はなんなんだ。なんで人外のものばかりに襲撃されるんだ。


 俺を担いだネコが階段を駆け下りる。一階では、一般客が廊下から教室に向かって溢れ始めていた。ついさっき開場したらしい。最悪なタイミングだ。


 母親と手をつないだ小さな女の子が、俺たちを指差し、「なにあれー」と言う。ネコは逃げるように廊下を一目散で駆け抜け、空き教室に入るなり俺を投げ飛ばした。


「だ、誰だよ! なんだよ!」

「俺だよ!」


 ネコが頭部の被り物を脱ぎ捨てると、すぐに照英が顔を出した。ネコの正体は木田か。


 安堵する俺とは反対に、木田は烈火の如く怒っていた。


「てめえ! なんで電話出なかったんだよ!?」

「え」


 ケータイを開くと、木田からの着信履歴の嵐が表示されていた。尋常じゃない件数。分刻みで履歴が残っている。


「ご、ごめん。ちょっと落武者から逃げてて」

「はあ!? どういうことだよ! てかそれどころじゃねえんだよ! 事件が起きた! 一大事だ!」

「は?」


 嫌な予感しかしない。









「学校に来てない!? 桐生きりゅうが!?」

「そうなんだよ! あいつ体育委員だろ? なんか昨日委員会で腐った弁当食わされたらしくて学校休んでるんだ。あーもうせっかく口説き落としたのに最悪だよ! よりによってセンターがいないなんて!」


 そうか。桐生も牧田と同じで体育委員だったか。

 点と点が線になって繋がり、思わず「あー」と声を上げてしまった。


「なあ早人、後夜祭どうする?」

「どうするって……辞退するしかないだろ。二人じゃ無理だ。桐生がいるから絵面が持つのに、俺たちだけの『羞恥心』なんて地獄でしかない。実行委員になんて言われようが恥かくよりマシだ。諦めようぜ」


 むしろそれがいい。そもそも後夜祭なんて出たくなかったんだ。出なくて済むなら万々歳だ。


「嫌だああああ! 高校最後に一発暴れたかったのにいいい!」


 木田はピンク色の尻尾を揺らしながら暴れだした。が、何かを閃いたのか瞬時に顔を輝かせた。


「あ、あれは? 『青春アミーゴ』。あれなら二人でできる! 俺たちで修二と彰になろう!」

「急にできるわけないだろ! 俺が『羞恥心』にどれだけ時間かけたと思ってる!」


 俺の飲み込みの悪さを思い出したのか、ネコが「ぬあああ!」と奇声を上げた。はっきり言ってうるさい。


「もうやめよう。そもそもやりたくなかったし、俺からしたら好都合だ」

「そんなこと言うなよ! 俺の持ってるAVもエロ本も全部あげるからやってくれよ!」

「バカ! 俺がそんなんで動くと思うな! それにお前、煩悩の塊すぎだろ! 檀家が泣くぞ!」

「なんだよお! そこまで言わなくてもいいだろお! お前は平気なのか!? 今まで頑張ってきた練習が無駄になるんだぞ!? 必死に振り付けを覚えた意味がなくなっちまうんだぞ!?」


 確かに言われてみればそうだ。せっかく練習した『羞恥心』を、どこにも披露しないまま終わってしまう。夏休みの苦労が水の泡だ。


 それに夏に頼まれてしまった。「私をディズニーに連れてって」と。


「あーもー! どっかに『羞恥心』できるやついないかな!? お前、ちょうどいいやつ知らないか!?」

「ちょうどいいやつ?」

「この際誰でもいい! ただのイケメンでもダンスが得意なやつでもなんでも! とにかくセンターに置けるような男! 誰かいないか!?」


 ……あ。


 脳天に星が落ちた。


「いる。一人。完璧な人材が」

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