4・6⑤ ピンチヒッター

 事情を説明すると、「くれえぷぱらだいす」とプリントされたクラスTシャツに身を包んだ勇人が「は?」と声を上げた。いつも香水臭い勇人からは珍しく、甘いスイーツのような匂いが漂ってくる。よっぽど糖質に囲まれた世界にいたのだろう。

 

 申し訳ないと思いながらも「俺と一緒に後夜祭に出てほしいんだ」「口パクで踊ってくれればいい」「とにかく俺と木田の三人で羞恥心をやろう」「できたらセンターを頼む」とこちらの要望を伝える。そのたびに「は?」「はあ?」「はああ?」「はあああん!?」と勇人の反応の大きさも比例していった。


 なんだかいたたまれなくて、とりあえず「ごめん」と言うと、「ほんとだよ!」と勇人が怒鳴った。

 

「一生のお願いって言うからわざわざ抜け出してやったのに! お前、こんなんに一生の願い使っていいのか? それに俺は何でもやる便利屋じゃねえんだよ! お前俺を何だと思ってんの?」

「運動ができて歌もうまくて顔も性格もいい世界一素晴らしい素敵な弟です」

「お世辞が過ぎるだろ!……まあいいや。で? お前はその世界一素晴らしい素敵な弟に何をやれって?」

「羞恥心です」

「はあ!? 何考えてんだ! やってられるかよ! クレープ作ってたのになんだよ!」


 落武者に捕まった中庭で、弟に怒鳴りつけられている。身長差が余計に迫力を倍増させ、悲しみよりも虚しさが胸を締め付けた。


 まあ勇人からしてみれば、なんの前触れもなくクレープ職人から羞恥心のセンターに転職してくれと頼まれたのだから、文句の一つでも言いたくなるだろう。

 でも中庭ステージでは後夜祭の準備が着々と進んでいる。なんとか説得しないと間に合わない。


 「うん」と言ってもらえそうな方法はないかと考えあぐねていると、「そういえばさ」と勇人が口を開いた。


「落ち武者に追いかけられてたの早人って本当?」

「え」

「さっき女子から聞いたんだけど。杉山くんのお兄さんらしき人が落ち武者に捕まってたよって」

「……」


 言葉に詰まっていると、「おーい!」という声が飛んできた。振り返ると、木田が羞恥心の衣装である赤いマフラーを振り回しながらこちらへ駆けていた。突然な照英の襲来に勇人の顔が青く染まる。


「いやー勇人くん! 電話以来だね! 噂には聞いてたけど、ほんとにいい男だな! ピンチヒッターにしては上等すぎる!」


 バカみたいに底抜けた明るさを放つ木田が、この冷え切った空気を逆走していく。そんな唐突に現れた荒波に勇人は挙動不審になっていた。


「あ、あの節はお世話になりました。で、でも、やるって決めたわけじゃないんで。すいません。ほんと、勘弁してください」

「まーまー! ちょっと待ってよ! もし優勝したら特別な品を君に献上してあげるから」

「特別な品?」


 首を傾げている勇人の肩を、「ちょっとおいで」と木田が抱える。俺から数メートル離れた木陰で、二人は内緒話を始めた。

 何を言っているのか聞き取れないが、時々勇人が「え!? マジすか!?」「新作もあるんですか!?」と声を上げている。それだけで木田が何を吹き込んでいるのかある程度察してしまった。


「本当に優勝したら全部くれるんですよね?」

「ああ。どうせ近い将来に手放す運命だったんだ。捨てるくらいなら譲ってやるよ」


 そんな会話を繰り広げながら二人がこちらへ戻ってきた。どうやら買収が成立したらしい。

 帰還してきた勇人は謎に満面の笑みを浮かべている。誇らしげな姿は、まるで地球を救ったヒーローだ。


「やるよ。後夜祭。絶対優勝しようぜ」


 下衆な欲望に塗れた笑顔。こいつが素晴らしき俺の弟らしい。人違いだと嬉しいが。これほどまでに他人のふりをしたくなる瞬間はない。


 いっそこいつら二人で修二と彰でもやったらどうなんだ。







 夕方5時。ほぼ全校生徒が集まった中庭で後夜祭はスタートした。司会が中庭ステージに立っただけでも爆発音のような歓声が学校中に響いた。やはりロックフェス並みの迫力だ。


 トップバッターから頭のネジが全て外れたようなやつが登場していた。

 全身黒ガムテープでぐるぐる巻きになった野球部員が、『HOT LIMIT』を全力で完コピしたのだ。周りでは坊主頭の部活仲間が送風機を抱えて風の演出までしていた。


 会場はバカみたいに盛り上がっていたが、正直目も当てられないくらいキツかった。でももっと辛いのは、俺がそんなキツいやつの一員になろうとしている事実。黒ガムテープの西川貴教と同じ土俵に立つなんてどんな地獄だ。


 舞台袖からこっそりと観衆の様子を見ると、見覚えのある顔が最前列のど真ん中で、あぐらをかきながらデジカメを構えていた。長時間着ぐるみを着ていたせいなのか、髪が乱れている。なりふり構わずカメラを構えたり調整したりしていて、両隣の人が迷惑そうにしている。俺たちをガッツリ撮影する気だ。


 勇人が後夜祭に出ると知った時、怪獣は「兄弟共演じゃん! 激アツだ!」と信じられないくらい興奮していた。


 だからこそ撮影に熱が入ったんだろう。最前列のど真ん中という格好のポジションを確保できたということは、何時間も前から張っていたということだ。もしくは力ずくであの場所をもぎ取ったのか。さすがSMAPのチケット争奪戦で闘志を燃やしてきただけある。


 舞台裏にそっと戻ると、白のセットアップに赤いマフラーを巻いた勇人が、同じ衣装に青いマフラーを巻いた木田の手を握っていた。


「絶対優勝だぞ。頼むぞ。優勝すれば譲ってやるからな」

「分かりました。絶対優勝しましょう。こう見えてダンスは得意なんですよ。それに野球で4番やってたんで勝負にはめっぽう強いんです。任せてください」


 つい数時間前まで嫌がっていたのはどこへやら。こんなに醜い合掌があっただろうか。


 溜息を吐いていると、勇人がこちらに気付き、手招きをした。


「おい! 早人! マフラー巻けよ! それに振り付け大丈夫だろうな?」

「……大丈夫だよ」

「ほんとか? 絶対手え抜くんじゃねえぞ」

「抜かないけど……優勝できるかな」

「俺がいるから大丈夫だって! ほら早く!」


 勇人が無理やり俺の首に黄色いマフラーを巻く。首から上だけ熱い。サウナみたいだ。



 舞台裏で振り付けの最終チェックをしていると、とうとう俺たちの番が回ってきた。実行委員が俺たちを舞台袖に誘導する。頭の中で振り付けを何度も確認していると、カメラを構えた夏がこちらに気付いた。ニヤリと笑う夏の口が、「が・ん・ば・れ」と動く。


 もう、やるしかない。


『次は! 今年大ブレイクしたあの三人組! 「羞恥心」です! どうぞ!』


 司会の声と同時に舞台にあがる。俺たちに待っていたのは、想像以上の熱狂だった。








「結構いいんじゃねえか!? これなら優勝だって!」


 踊り終えた木田が、舞台袖を歩きながら感無量といった様子で俺の背を叩いた。勇人も「ですよね!? もう決まりでしょ!」と賛同する。


 俺も同意見だった。今までで1番盛り上がっていたと思うし、優勝できそうなくらい観客の心を掴んだ自負はある。その証拠に舞台裏に回っても歓声と拍手が続いている。後夜祭の結果を表しているようだった。


 踊っている時も、大地が割れるのではないかと思うほどの盛り上がり様で、音楽が聞こえなくなりそうなほど悲鳴や雄叫びが上がっていた。

 狂ったように踊ったが、観客も信じられないほどノリノリで、サビでは『ドンマイドンマイ』の大合唱が中庭を轟かせた。それに、勇人のビジュアルのおかげで女子の黄色い声援も飛んでいた。冗談抜きで優勝するかもしれない。


「優勝したら本当にもらっていいんですよね!? 約束ですもんね?」


 額から汗をダラダラ垂らした勇人が木田の肩を掴んだ。


「もちろんだとも弟よ! 君に俺のコレクションの全てを託してやろう!」


 木田と勇人が手と手を取り合い、乱舞し、抱擁した。羞恥心のコスプレをした勇人と照英が抱き合う絵面に周りの実行委員たちがぎょっとした顔になる。


 冷たくそれを見ていると、急に木田が俺を睨んだ。


「早人、お前あんまり汗かいてないな? まさか手え抜いたんじゃないだろうな!?」


 木田の声に、勇人が「なんだと!?」と勢いよくこちらを向いた。


「は? いやいや、めちゃくちゃ必死にやったよ! もともとあんまり汗かかないタイプなだけだって」


 慌てて弁解するが、二人は「ほんとか?」と俺を疑ったままだ。勇人の首から、涙のように汗がきらりと輝いたその時。


『では! 後夜祭最後のステージです!』


 司会の声が、俺たちを現実に引き戻した。


『最後はなんとなんと! 先ほどの対抗馬的か!? 数学の田中先生、化学の山本先生、用務員の鈴木さんで、「悲壮感」です! では、どうぞー!』


 えっ。


 ステージを見に行くと、会場は俺たちの何倍もの歓声とボルテージで嵐のような激しさになっていた。ステージ上には、三人の細身の男たち。まさに悲壮感が漂う背中。


「……大玉どころかとんだ変化球だな」


 勇人が吐き捨てるように呟く。何かを悟ったその顔を見る勇気は、俺にはなかった。

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