3・7① その人と付き合う理由
――2008年8月――
「いらっしゃいませー」
「アメリカンドッグ2つください」
「はい。210円です。はい、ちょうどお預かりします。ありがとうございましたー」
帰っていく客を見送り、時計を確認するともう21時だった。今日のシフトはこれで終わりだ。コンビニは忙しい時間と暇な時間がはっきり分かれている。多分、これから徐々に客が減っていくだろう。
商品在庫の山でいっぱいのバックワードに回ると、学生バイトの有田さんが雑誌を読んでいた。金髪のショートカットで、ブリーチのし過ぎなのか毛先が荒れている。ボーイッシュだから一見男にも見えるが、一応女性だ。
耳は俺以上にピアスが付いていて、爪は黒く塗られている。雰囲気が誰かに似ている気がする。
確か有田さんは22時からなのに、もう来ているなんて暇人なんだろうか。そもそも女性なのに深夜に入っているなんて珍しいが、きっと時給が高いからなんだろう。時給680円でこき使われている俺とは違う。
「お疲れ様です」
挨拶したけれど、聞こえなかったのか有田さんは大きなあくびをしながら雑誌のページをだるそうにめくるだけだった。
シフトが被ったことが無かったから有田さんがどんな人なのか詳しく知らないけど、なんとなく付き合いにくそうに見える。
ポケットからコムを出し、発信ボタンを押す。遅いから出ないかと思ったが、意外とすぐ繋がった。
「あ、もしもし凪咲? 今バイト終わった。うん、そう。これから着替えて帰る」
凪咲と一緒に買った黄色のコム。三木のように「彼女専用」として買ったわけではないけど、なんだかんだコムで電話をするのはほとんど凪咲だ。ほぼほぼ「凪咲専用」になっている。
「あ、そうなの? 分かったよ。ありがとう。また明日な。後でメールする」
通話はあっという間に終わってしまった。でも声が聞けただけで十分だ。凪咲と付き合って特に大きな喧嘩もなく過ごしてきたが、やっぱり凪咲が決めたルールのおかげなのだろう。
先日の一件でほんの少し気まずい雰囲気が流れたけど、毎日の電話の中で徐々に忘れることができている気がする。
待ち受け画面に設定している凪咲とのツーショット。大きなクリスマスツリーの前でピースサインをして恥ずかしそうに立っている。去年の冬に撮った写真だ。
この頃の俺はまだピアスもしていなければ、凪咲とキスもしたことが無かった中学生だった。それが今ではピアスを開け、髪も伸び、バンドをやっている。本当、人生何が起こるか分からないものだ。
コムをしまい、振り返ると有田さんがこっちを凝視していた。驚きでビクッと肩が跳ねた。
ぼんやり見ているとか、チラッと見ていたとかではなく、がっつりガン見されているせいだ。
「な、なんすか……?」
「今の彼女?」
顔に似合わず、有田さんの声は高めだった。てっきりガラガラな声か、ハスキーな感じかと思っていたのに。これがギャップというやつなのか。
「え、そうですけど」
「ふーん。なんで付き合ってるの?」
「へ?」
「どうしてその子と付き合ってるの?」
「え……普通に好きだからです、けど」
有田さんはポケットからタバコを取り出し、火をつけた。
そのままタバコを一息で吸い、ふーっと細い息を吐く。有田さんの口から白い煙が天井に向かって伸びていった。
「君、何歳だっけ?」
「16です」
「マジ? うわぁ若いねー」
思い出した。NANAだ。NANAに出てた、中島美嘉にそっくりだ。クールで細身のあの感じ。
「さっき使ってたのウィルコムでしょ?」
「あ、はい」
「便利だねー。無料で通話できるなんて。私が高校生の時なんかまだポケベルだったよ。ほら、広末涼子のCMのやつ。見たことある?」
「あー……あんま記憶ないっすね」
「そっかー。じゃあポケベルで数字の語呂合わせしてたのは知ってる?」
「数字で『愛してる』とか表現するやつですか?」
「そうそう。いやー懐かしい。ポケベルも楽しかったけど、休み時間とか放課後は公衆電話に行列できちゃって彼氏に連絡とるだけでめちゃくちゃ大変だったんだよなぁ……。それが今じゃケータイでテレビが見れたり写真が撮れたりするんだもんね。いい時代になったね」
有田さんて、意外とよくしゃべる人なんだな。というか、話している雰囲気的になんか普通だ。もっと不愛想でとっつきにくい無口な人かと思ってたのに。
「君さ、彼女と結婚したい?」
「へ? 結婚?」
あまりに突拍子もないことを言われたせいで、裏返ったような変な声が出てしまった。
「考えてないの?」
「いや、だって俺も彼女もまだ高校生ですよ? 結婚とか早すぎないですか? まだ付き合って1年経ってないし……」
「ごめんごめん。じゃあ聞き方を変えるね。今の彼女のこと、結婚したいくらい好き? もしくは……一生一緒にいたいと思うほど好き?」
「え……」
質問自体驚いたが、一番意外だったのは有田さんが真剣に聞いていることだった。きまぐれではなく、ちゃんと興味があって真面目に俺の話を聞こうとしている。
なんでシフトがまともに被ったこともない高校生の俺に、そんなことを聞いてくるのか分からないけど。
「違うの?」
「いや、急に言われても……。ちなみに有田さんは彼氏いるんですか?」
「うん。いる」
「有田さんはその人と結婚したいから付き合ってるんですか?」
「うん。結婚してもいいと思ってるから付き合ってる」
即答だった。
「……すごいっすね」
そう呟くのが精一杯だった。驚きと衝撃で、語彙力が壊滅的になってしまっている。
「そう? 結婚願望がないならまだしも、結婚する気も一生添い遂げる気もない人と長々付き合う意味が私には分からないけどな」
「え?」
「だって相手と結婚したいと思えないってことは、近い将来別れる可能性が高いでしょ? いつか別れる人とだらだら付き合ってどうするの? 時間がもったいなくない?」
有田さんの吐いた白い息が、天井に渦となって充満していく。息をするのが苦しくなってきた。
「私は本当に結婚するかは置いといて、とにかく結婚したいと思える人としか付き合わない主義。付き合っていくうちに『あ、この人とは結婚できない』って思ったら、情が残ってても別れる。いつの日か別れるなら早いほうがお互いのためでしょ」
「まだ好きでも別れるんですか」
「うん。私は遊びと本気の恋愛を分けて考えられないタチだから別れる。結婚が全てではないけど……結婚願望がある私からすると、結婚できないような人とずっと付き合う理由がないわけ」
「……なんか、頭を殴られた気分です」
結婚なんて、そんなこと一度も考えたことなかった。このまま何も問題がなければ凪咲とずっと付き合っているだろうけど、いざ結婚したいのかと聞かれると分からない。結婚したいからではなく、ただ好きだから付き合っている。
今すぐ結婚するのは当然無理だし、凪咲は初めての彼女だし、付き合って1年も経ってないし……俺は凪咲との恋愛を純粋に楽しんでいるだけだ。
でも結婚とかを真剣に考えるのは、付き合ってしばらく経ってからじゃないのか……? 学生にはまだ早すぎないか……?
あまりにも俺が深刻な顔をしていたからか、有田さんは少し焦ったような素振りでタバコを消した。
「なんかごめんね。変なこと言ったね」
「あ、いや、でも勉強になったというか、一意見として参考になったというか……」
俺が慌ててもごもご話したせいか、有田さんはクスクス笑った。
「まあ、私の個人的な意見だからそこまで真に受けなくていいよ。私も自分の意見が絶対に正しいとは思っていないし、あくまで一個人の価値観だからね? 人には人の考え方ってもんがあるから、自分の好きなようにすればいいんだよ。まだ高校生なのに重い話してごめんね」
「……いえ。大丈夫です」
ふらふらとロッカーへ向かい、バイト着を脱ぐ。その間も、有田さんの言葉が頭の中から消えず、ぐるぐると回っていた。
俺は凪咲とどうなりたいんだろう。凪咲は俺に何を望んでいるんだろう。好きという感情だけで付き合ったその先を考えたことはなかったけど、みんなはどうなんだろう。
でも周りはみんな何も考えてなさそうな気がする。やっぱり有田さんが極端すぎるだけか……。
着替えが終わり、とりあえずもう一度有田さんの方へ足を運ぶと、有田さんはゴミが入ったのか目を弄りながら手鏡を必死に覗き込んでいた。
「じゃあ俺帰ります。お疲れ様でした」
「あい、お疲れー。気を付けて帰りなよー」
あれ、待てよ。
さっき高校生の時ポケベル使っていたと言っていたけど、ポケベルが流行っていたのって、もう10年以上前だったはずだ。その時高校生だったということは……。
「有田さんって、ちなみにおいくつでしたっけ?」
「はあ? 女に年聞くの?」
「あ、すいません。でも有田さんもまだ学生なのに、なんだか考え方が随分大人っぽいというか……」
大学生なら22とか23とかだろう。でもその年齢だとポケベル世代ではないはずだ。計算が合わない。
「28」
「え?」
「今年で28」
「え!? えええ!? 大学生でしたよね!?」
衝撃的な事実に、店中に聞こえそうなほどの大声を上げてしまっていた。てっきり20代前半くらいだと思っていたのにあと少しで30だなんて意外過ぎたし、学生だと聞いていたから驚いてしまった。何浪したんだろう。
「いや、大学生じゃなくて、院生。二浪して大学行ってそっから一旦就職したんだけど、去年院進学した。だから一応学生」
「え、大学院生ってことですか?」
「そうだけど。なに、意外? 私がこんな風貌だから?」
「はい」
反射的に肯定してしまった。でも有田さんは大して気にしていない様子だった。
「まあ院生でこんな金髪のやつなんかあんまりいないね。でもこの格好じゃないと深夜にバイトなんかできないよ」
「え?」
「生活のために深夜を選んだんだけどさ、夜って変な客多いじゃん? これくらいパンチのある格好しないと何かと面倒なんだよね。金髪にしてるだけで客から絡まれる確率ぐっと減るんだよ。まあ金髪は私の趣味でもあるけど」
「あ、そういうことなんですか」
有田さんが2本目を吸い始めそうだった。火をつける前に出ようと思い、俺は出口に向かった。
「あ、君」
「え?」
先が赤く燃えたタバコから、糸のように細い煙がゆらゆらと揺れる。煙の臭いに咽そうになった。
「意外と心って正直でね、自然と言動に現れるんだよ。気が付かないうちに心は行動に出る。ちょっとした選択とか、話し方だってそうだよ。全部心の表れだからね。自分の気持ちが分からなくなったら、冷静に向き合ってみるといいよ。自分がどんな時にどんな行動をしたのか」
「……なんですかその意味深な言葉」
「ふふ。私、人の恋愛に首突っ込むの好きなの。許して。これでも心理学専攻だから」
有田さんの不敵な笑み。すべてを見透かされてしまうような瞳。
これ以上何も聞きたくないと本能が叫んでいた。逃げるように部屋を出た。
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