3・5② 好きな人が彼女

 一気食いに近い勢いでポテトを食べ終えた俺たちは、逃げるようにガストを出た。店を出るその瞬間まで、周囲の視線が突き刺さっているようで落ち着かなかった。もうしばらく行かないほうがいいかもしれない。そうでないと、カス高の生徒は出禁になってしまいそうだ。



「じゃ、チャリ組はここでおさらばだな」

「お前ら仲良く帰れよ! バイセコー!」


 そんな調子で電車組の由利とバス組の三木は駅に向かってしまい、自転車組の俺と森崎が残された。


 森崎と家は全然近くないが、途中まで一緒に帰ることになった。別に気まずいことがあったわけでもないのに、急に二人きりになったせいか変な空気だ。


 自転車を手で押しながら歩道を歩く。どちらが話すわけでもなく、お互い口を閉ざしたままゆっくりと進む。

 まるでどちらかが何かを言うのを期待して待っているようだった。気まずい空気が濃くなる前に、気になっていたことを尋ねることにした。


「そ、そういえばさ、ずっと気になってたんだけど……森崎ってなんで先輩のバンド追い出されたの?」


 口にした後で、思った。「追い出された」って言い方はマズかったかな。もっと間接的に言えばよかった。こんなド直球に聞くなんていくら同級生でも失礼かも……。


 森崎は左口角だけを上げ、力なく笑った。


「あー……。俺がしゃしゃり出たせい。余計なことを言っちゃって、空気悪くしたんんだ」

「余計なこと?」


 空気が悪くなるほどのことをしたってことは、音楽の知識をひけらかしたのか、うんちくでも語ったのか……。でも、森崎がそんなことをするやつだとはとても思えなかった。


 俺がずっと眉をひそめていたせいか、森崎はポツポツと説明してくれた。

 

「先輩のことはさ、各自耳コピで練習していくタイプだったんだ。まあ大体のバンドは耳コピでやってるだろうし、それで成立しているんだったら別にいいと思う。でも譜面がないからこそ誰が間違ってるのか分からなくなってて、練習中無駄な揉め事が多かったんだよ。なんかもう見てられなくて……思わず全員に間違ってるところを一つ一つ伝えたんだ。誰かがミスってるんじゃなくて、全員が微妙に間違えてますよって。今からでも譜面用意しましょう、もし譜面が読めないなら教えますからって。……そしたら先輩たちからブチ切れられた」


 なるほど。つまり先輩たちは己のプライドを優先したあまり、金の卵を産むこの男を取り逃したわけか。愚かだな。


 でもむしろ、先輩たちが愚かでよかった。謙虚な人間ではなく、短気であったからこそ俺が森崎の恩恵を受けている。感謝しなければ。


 だから森崎は初めから譜面を用意していたのか。二度と面倒ごとが起きないよう、事前に対策していたのか。クソ真面目だな……。



 会話が終了してしまった。また新たな話題を提供しなければ沈黙が続いてしまう。何か話すことはないか考えながら信号待ちをしていたところで、コムが鳴った。


「あ、凪咲? ごめん今帰ってるとこ!」


 信号が赤から青に変わる。森崎が進む。追うように、俺も自転車を押した。


「……うん。家着いたらまた電話するわ。ごめんな。……あれ? なんか声変じゃない?もしかして体調悪い?……なんだ、カラオケか。音痴なんだからあんまり歌いすぎるなよ。あとでコンビニでなんか買っておくから待ってて。のど飴とかでいい?」


 そのまま一分程度話し、電話を切ると、森崎が横断歩道の前で急に立ち止まった。意味が分からず戸惑ったが、よく見ると目の前の信号が赤になっていた。


「今の、彼女だろ?」

「えっ?……そうだけど」

「お前すごいな。ほぼ毎日電話してるんだろ? 大変じゃないの?」


 なんでこいつ、毎日電話しているのを知っているんだ?

 一瞬、理由を聞いてやろうかと思った。でもよくよく考えたら、俺はみんなの前でしょっちゅう凪咲と電話している。知っていて当然だった。


「……別に。むしろ声聞けて嬉しいし」

「あっそ。まあ円満なのはいいことだ。この前女子に告られてた時も『彼女が好きなんで』とか言って断ってたしな。大変よろしい」

「え、お前見てたの?」

「たまたまな」


 信号が青に変わる。

 先に足を出したのはまた森崎の方だった。その背中が見えた時、左耳のピアスが街頭の光に反射し、輝いた。


「そういえば森崎は彼女いないの?」


 俺が急にそんな質問をしたからか、森崎の足が一瞬だけ止まった。それでも横断歩道を黙々と渡り続けた。俺も渡り終えた頃、ようやく答えた。


「いないけど?」

「え、マジで!? 絶対いると思ってた。え、いないんだ」

「……え? なんで? そんな意外?」

「うん。だってその片耳だけのピアス、彼女とお揃いだと思ってたから」


 冗談交じりに言ったが、森崎の顔が少し固まった。


「あーそういうことか。残念ながら彼女じゃないよ」

「え、じゃあその片耳だけしたピアス何なの? なんで片方だけしてんの?」


 俺たちの横を、猛スピードで車が何台も通りすぎる。俺たちの何倍も速いスピードで追い越していく。


「右の方をあげたから」


 呟くようなその声は、トラックの通りすぎる音に消されてしまいそうなほど頼りないものだった。


「あげた? なんで?」

「あげたかったから」

「誰に?」

「……誰でもいいだろ」

「……あっそ」


 なんとなく、「これ以上は聞くな」と言われているような気がして、それ以上は聞けなかった。


「……彼女は作らないの?」


 俺の質問ラッシュに、森崎は困った顔をした。「急にどうしたんだよ」と固い笑みを浮かべている。

 自分でも何でこんなこと聞くのか分からなかったが、今日聞かなかったらもう知るタイミングがない気がして、咄嗟に言ってしまったのかもしれない。


「んー……。今は別に思わないかな」

「マジ? なんで? 彼女いらないの?」

「好きな人いないし」

「そういう問題? 彼女欲しいなあって思うことはないわけ?」


 誰も乗せていない俺たちの自転車。ペダルが空虚な回転を続けている。


「なんか『彼女が欲しい』っていうの、好きじゃないな」

「は?」


 突然何を言い出すんだろう。ポカンとしている俺に、森崎は続けた。


「あのさ、相手がいないと恋人はできないだろ?」

「そうだな」

「好きな人ができて、両思いになって、やっと恋人ができるんじゃないの? その人と付き合いたい、自分の彼女にしたいって思うことはあっても、好きな人がいないのに突然彼女が欲しいとはならないよ。だから好きな人もいないのに『彼女が欲しい』って言うのは……なんか誰でもいいってことみたいで好きじゃない。……強いて言うなら、好きな人が欲しい、かな?」


 何も言えなかった。口を開けたまま自転車を押すことしかできなかった。


 こいつは本当に同い年なのだろうか。年齢詐称しているんじゃないか。明日、こいつの担任に問いただしてみようか。


「俺、森崎に一生ついてくわ」


 独り言のつもりだったが、ハッキリと聞き取れたようで、森崎が激しく動揺していた。


「な、なんだよそれ。ついてくんなよ。キモいよ」


 露骨に気持ち悪がっている。思わずその様子に笑っていると、森崎が自転車に跨った。


「じゃ、俺こっちだから」


 目の前には交差点。森崎の指さす方は、俺の家の方向とは反対だった。俺の返事を聴く前に、森崎は交差点へと消えた。その先は、街頭のない細い道。


 森崎が闇へ消えていく。なんとなく、森崎の自転車のライトが見えなくなるまで自転車にも乗らず見つめていた。







 駅に着くと、凪咲はとっくに着いていたみたいで、ベンチに座って何かを聴いていた。淡い白のワンピース姿で遠くからでも分かるくらい可愛い。

 凪咲に気付かれないようゆっくりと背後から近づき、そっと右耳のイヤホンを取り上げた。


「待った?」

「きゃっ!?」


 酷く脅えた目で凪咲は俺を見つめた。でもすぐに犯人が俺だと分かると、表情が安堵に緩んだ。


「もう、なに急に。酷い。怖かった」

「ごめんごめん。何聴いてたの?」

「あ……青山テルマ」

「青山テルマ? あー『ここにいるよ』みたいな曲だろ?」

「そうそう」


 凪咲はイヤホンをカバンの中に片付けた。そしてベンチから立つと、俺の手を握った。細く、長い凪咲の指が俺のものと絡まっていく。


「いこっか」

「うん」


 改札に入り、快速列車に乗る。意外と車内は空いていて、車両の奥のボックス席に座った。


「……一緒に聴く?」


 凪咲がイヤホンの片耳を差し出てきた。選曲をしているのか、片手でiPodを操作している。俺は差し出されるままイヤホンを受け取り、右耳に当てた。すると聞き覚えのある音楽が聞こえてきた。


「あ、これ……」

「そう。勇人が前貸してくれたやつ。好きでしょ?」

「よく覚えてたな」


 意外な選曲に、自然と笑みが零れる。


 湘南乃風の『純恋歌』。俺の大好きな曲だ。それをiPodに入れていたところも、わざわざ選曲して俺に聴かせてくれるところも、全部凪咲らしい。


 そっと手を伸ばし凪咲の手を握ると、長い睫毛がゆっくりと上目に動いた。嬉しそうな凪咲の表情で、心臓の奥が熱くなった。





 駅から数分歩いて、ようやく水族館に着いた。午前に着いたのにもう家族連れで賑わっていて、ベビーカーを押す人や肩車をしている人だらけ。夏休みの経済効果は予想以上だ。

 凪咲とはぐれないよう手を繋いだまま、その人混みの中に入った。



 水族館は小学生の時に修学旅行で行った時以来だったけど、不思議なもので、興味なんてなかった魚が急激に魅力的に映る。


 普段魚は切り身でしか見ることが無いからなのか、生きている魚が泳いでいるのを見るだけで楽しかった。それに、凪咲が次々と現れる数多くの魚に目を輝かせているのが可愛らしい。リアクションが毎回新鮮で、キラキラしている。凪咲の純粋さが眩しかった。


 凪咲は本当に女の子らしいし、乙女だなあって思う。見ていると本当に癒されるし、心が安らぐ。


 俺は、周りからすると相当羨ましいやつなんだろう。優しくて明るくてよく笑う可愛い彼女がいるなんて、男子高校生の憧れの青春なのかもしれない。



 ある程度見終えたところで、凪咲がとある看板の前で立ち止まった。


「勇人! イルカショー始まるらしいよ! 席とらなきゃ!」


 看板は、イルカショーのスケジュール表だった。確かに水族館に来たのなら、イルカショーは見なければもったいない。


「そうだな」


 ショーはあと30分で始まるようだった。ここの水族館ではイルカだけではなくシャチもいるらしく、前方の席は濡れることが確実だと聞いたことがある。


 会場に着くと、それなりに席が埋まっていて騒がしかった。前方には信じられないほど深いプールがあり、ウォーミングアップのためなのか、イルカが二匹ほど水中を泳いでいた。


 イルカの泳ぎは弾丸のようにまっすぐで、スピード感がある。泳いでいるのを眺めているだけで魅了される。ショーとなればこのイルカが飛んだりするのだ。そう思うとショーが楽しみになってきた。


「どこにする? 結構埋まってるけど」

「んー……俺は濡れなきゃどこでもいいよ。後ろの方とかにする?」

「え? 私前の方がいいんだけど」

「は?」

「ショーだよ? 前で見なきゃもったいないよ」

「ええ? でも服濡れるよ? いいの?」

「大丈夫。合羽買えば何とかなるよ。前で見ようよ」


 凪咲が俺の横を指さしている。指の先を見ると、そこは合羽販売所だった。俺たちのようなカップルが、さっそく列を成している。


「まじか……」

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