3・5① 16の夜

――2008年8月――


 練習を始めて分かったことは、森崎は意外といいやつだったということだ。


 最初こそ急に組んだメンバーだったし、先輩と揉めて追い出されたやつだったし、人相も悪くて不安だった。


 だけど森崎が家からいろいろな機材を持って来てくれるおかげで、部内での機材の取り合いに悩まされることもなくなった。練習のたびに適宜譜面を修正してくれるおかげで、全員の負担が一気に減った。それでも主導権を握ろうとしたり好き勝手に練習を進めることはせず、人の意見をちゃんと聞いてくれた。


 てっきり音楽へのこだわりが強すぎる近寄りがたい人種かと思っていたのに、そんなわけでもないようだった。


 それに森崎は練習終わりにメンバー全員で河原のエロ本探しをするのにちゃんと付き合ってくれたし、皺くちゃの汚いエロ本を俺たちと同じようにゲラゲラ笑いながら読んでいた。


 だからこそますます不可解だった。なんでこいつが先輩のバンドを追い出されたのか。誰も聞かないし誰も言わないから知りようがないのだけど。






 夕方まで続いた練習も終わり、俺たちはいつものようにガストに向かった。別にサイゼでもマックでもいいのだが、みんなで溜まるにはなぜかガストがしっくりくるのだ。


 運ばれてきたポテトを適当につまみながら机に譜面を広げ、各々で眺めていた。由利はなぜかいつも空のティッシュ箱を持ち歩いていて、譜面をチラチラ確認しながらそれをポコポコ叩いている。森崎は気になるところがあるのか、必死に譜面の修正をしている。曲の修正は全て森崎任せだ。


「杉山、ちょっとどいて」


 俺の隣に座っていた三木だった。


 こいつは夏休み前に彼女ができたらしく、お揃いのコムをわざわざ買ったと自慢していた。いわゆる「彼女専用」だ。それだけではなくメアドもわざわざ彼女の名前と記念日入りのものに変貌を遂げていた。確か、『miyuki-love-0719zutto@』みたいな見ているこっちが恥ずかしくなってくるメアドだった。


「どうした?」

「ドリンクのおかわりしたい」

「あ、じゃあ俺のも頼むわ」

「分かった。何飲む? またコーラ?」

「ああ。氷少なめで頼むわ」

「あいよー」


 コップを三木に渡し、体を逸らせる。三木は少し動きにくそうにしていたが、なんとか俺の前を通ってドリンクバーへ消えていった。


「そういえばさ」


 ティッシュ箱を叩きながら由利が話し出す。


 夏休みのせいでこいつのロン毛に拍車がかかっている。M字に分けた前髪も目に突き刺さっているし、耳はどこにあるのか分からなくなっている。髪も金髪に近い茶髪になっていて、まるで野ブタの時の山ピーみたいだ。夏休み中だけということだが、こいつなら新学期もこの髪のまま登校しそうで怖い。


「なんだよ」


 森崎が譜面に何かを書きながら反応する。音符を書き足しているようだったが、俺には森崎が何をどう修正しているのかさっぱり分からなかった。


「ばっしーのとこ、文化祭の曲モンパチに決めたらしいぜ」


 由利の手が激しくティッシュ箱を打つ。そのせいでどんどん箱はへこんでいく。リンチされているようで箱がかわいそうに見えてきた。


「モンパチ? モンパチの何の曲?」

「そりゃ、『小さな恋のうた』に決まってんだろ」

「マジ? ベタだなぁ」


 よく見ると、森崎が修正していたのはSMAPの曲だった。心臓が痙攣したように激しく動く。


 夏休み前に、俺たちは候補を3曲から2曲まで絞った。他のバンドと被らないジャンルや、雰囲気、構成といった問題から消去法で削ったのだ。


 俺の独断ではなく全員で話し合っての結果だが、SMAPが候補に残ってしまった。もしかしたら、本当にSMAPをやることになるかもしれない。


「そういえばさ、なんで『15の夜』やることにしたの? 別にいいんだけど尾崎好きなやついたんだ。意外」


 森崎のその言葉で、箱をいじめていた由利の手が止まった。


 尾崎豊の『15の夜』。10代のカリスマと言われた男の代表曲。印象に残るだけでなく、他と被らないであろう曲。『15の夜』は森崎が入る前から文化祭で演奏することが確定していた。


「俺がゴリ押ししたから」


 答えたのは、コップを二つ持って突っ立っている三木。俺たちを見下ろしながら、キョトンとしていた。


「杉山、どけよ」

「あ、あぁ」


 体を捻ると、三木はもといた奥の席に座った。


「俺が無理やり2人を納得させたんだよ。どうしてもやりたくて。なんかダメだった? 尾崎嫌い?」


 三木はジンジャーエールらしきものを飲みながら、森崎に尋ねた。


「いや、ダメじゃねえって。みんなさ、話題の曲とかを選びがちだったから意外だっただけ。俺正直尾崎詳しくなかったし。もともと尾崎を知ったの、尾崎豆からだし」

「尾崎豆!? 懐かしいな! いたなぁ!」


 思わず反応してしまった。尾崎豆。『学校へ行こう!』の『B-RAP HIGH SCHOOL』に登場していた細身の男で、尾崎豊の替え歌していた人だ。俺はどちらかというと、軟式gloveの方が好きだったけど。


「で、なんで『15の夜』なんだ?」


 確かに気になった。あまりにも三木がやりたがっていたから承諾したけど、どうして三木がそこまで尾崎を推していたのか知らない。

 横にいる三木に、視線を動かす。三木は首を傾げていた。


「んー、親父の影響かな? 俺の親父さ、尾崎好きなんだよ。昔相当尾崎の影響受けたらしくてさ、小さい頃から聞かされてきたんだよ。だからせっかくならやってみようかなーって」

「え、それだけ?」


 森崎が鼻で笑うように突っ込む。すると三木は何かを思い出したように、パッと話し始めた。


「あとは、まだ15だったから。15のうちにやっておくべきだろ!? 来年じゃもう15じゃなくなってるし、今がチャンスだと思って! みんなが15のうちにやりたかったんだよ」


 意外な答えに、森崎がポカンとしたまま、「……俺16だけどいいの?」と呟いた。


「は!? 森崎、お前誕生日いつだよ」

「5月」

「マジかよ。バリバリ16じゃん」

「バリバリ16ってなんだよ」


 そんなことを言っている2人の横で、「てか俺も16だぜ」「俺も」と俺も由利も続いた。どうやらまだ年をとっていないのは三木だけのようだ。


「ええ!? じゃあもはや『16の夜』じゃんか……。ショックだわ……」


 三木は全員が15でないことが相当悔しかったようで、項垂れてしまった。


 もう8月なのに、こいつは俺たち全員がまだ15歳という可能性に賭けていたのか。呆れた。あまりにも三木がやりたいと言うから受け入れたけど、こういう理由だったとは。もっと深い意味があったのかと思っていたのに。


 項垂れたまま、三木は俺にコーラが入ったコップをようやく差し出した。


「あざー」


 差し出されたコーラを一口。炭酸が舌を刺激する。そこまでは普通だったが、なぜか刺激の後に、異常なほどの甘味が襲ってきた。


「グエッ!」


 コップから口を離した瞬間、思わず変な声が出た。そのオウムのように不気味な声で、全員が俺を見た。


 あれだ。かき氷のシロップを直で飲んだような、そんな感じ。とにかく、糖度が度を越していて、舌が耐えられなかった。

 森崎も由利も驚いた顔だったが、一人だけ、三木だけはケタケタと笑っていた。


「……お前、何入れた」


 三木を睨むと、三木は左手の指を4本立てた。


「ガムシロ4個」

「入れすぎだろバカ野郎!」

「いやーほんとは5個入れたかったとこを4個で抑えてやったんだぞ。俺の恩情だ」

「ふざけんな! こんなん飲めねぇよ!」

「もったいねぇだろ全部飲めよ」

「お前が余計なことしたからだろ!」


 声を荒げたその時、周りの客の視線が刺さった。奥に座ってハンバーグを食べている家族連れや、窓際でパスタをくるくるしていたご婦人たちも俺たちを見ていた。


 お前らうるせぇよ。視線がそう物語っていた。


「どんだけ甘いの? 飲ませて」


 周囲の視線に気付いていない森崎が、手を出してきた。俺は周りを気にしていたせいか、何も考えず反射的にコップを渡してしまった。渡した後で、思った。「飲まないほうがいいぞ」と。


 でもそれは言葉として発せられることはなく、森崎は一口飲んでしまっていた。俺が「あ」と言った瞬間、森崎は噴き出した。


「なんだこれ、ゲロ甘じゃん! ひっでぇな」


 ゴーヤを丸かじりしたのかと思うほど、森崎の顔が苦悶に満ち、歪んだ。その様子が面白かったのか、由利もニヤニヤしながらそのコーラを飲んだ。


「ブハッ! なんだこれ! 三木、お前これはやりすぎだろ! こんなん飲めねぇよお!」


 コップを持つ手が震えるほど、由利が大笑いした。机をバンバン叩いている。ドラマーだから力が強いのか、机上の食器がカシャカシャ鳴るほど振動していた。


「だろ!? てめぇボーカルに何してんだよ! 喉死ぬだろうが!」


 俺は力いっぱい三木の肩をド突いたつもりだったが、三木は相変わらず笑ったままだった。


「甘味は別に喉痛まねぇだろ! おっかしーお前ら」

「はぁ!? じゃあお前も飲めよ!」

「え! 嫌だよ!」


 三木がのけ反る。


「おい、押さえろ」


 森崎が低い声で呟く。隣の由利も、頷いた。俺が三木を取り押さえると、由利も席を立ち俺に加勢した。


「飲め飲め! おら三木逃げるな!」

「やめろよお前ら!」

「口開けろ! 責任とって全部お前が飲めよ!」

「ふざけんなよお前ら!」


 ジタバタ足掻く三木。ドラムで鍛えた腕で抑え込む由利。両足を抑える俺。森崎が今だ、とコップを持ち、三木の口に注ごうとしたその時だった。


「あの! 他のお客様のご迷惑になりますので、お静かにお願いします」


 俺たちを睨むように告げたのは男性店員だった。周りを確認すると、他の客も俺たちをチラチラと、迷惑そうに見ていた。


「……はい」

「すみませんでした」

「さーせん」


 全員、静かに椅子に座る。気まずい。


 苦し紛れにポテトを食べると、すっかり冷めきってしまっていた。

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