3・3② 縁とはなかなか切れないもので

――2008年7月――


 7月に入って突然、バンドのメンバーが入れ替わることになった。


 10月の文化祭に向け、部内で編成を変えるのだという。ただ単に先輩がいい部員を取り合いたいだけな気もするが。特に3年は最後の文化祭ということもあって、相当気合を入れているみたいだし。


 てっきり1年だけで組んでいた俺たちのバンドは何も変わらないと思っていたのに、ギターが変わった。速弾きができるギターの芦田が先輩に目を付けられ、引き抜かれてしまったのだ。


 最終的な編成は、ボーカルの俺、ギターの森崎、ベースの三木、ドラムの由利ということになった。


 新しくメンバーになったのが森崎だ。今まで全く接点のなかった謎の人物。鋭い目つきのもやし男だが、明るい髪と、どこか澄ました顔をしているのが妙に目につくやつではあった。


 でも確か森崎も速弾きができる神新入部員としてもてはやされ、先輩たちと組んでいたはずだ。どうしてつまみ出されたのだろう。よっぽどの問題児だったのだろうか。



 少しの疑念と不安に包まれながらも、3回目となるバンド会議は始まった。全体で練習できる日数と場所の確保、曲決めなどやることだらけだ。


「夏休みのスケジュールはある程度計画できたら、部室とスタジオ押さえなきゃな……」


 そう言って頭を抱えたのは由利。下着が見えるほどの腰パンとロン毛で、校則違反の先を行く生活指導室常駐と呼ばれている男。


 こいつは俺を無理やり軽音楽部に引き込んだ張本人でもある。俺は最後まで拒否したのに、こいつが廊下のど真ん中で土下座して頼んできたもんだから仕方なく入部を決めてしまったのだ。


「部室とか空き教室は多分争奪戦だから、最悪俺の家で個人練とかならやってもいいよ。防音室あるから、家族がいないうちならできるかも」


 森崎がさらっと呟く。俺も由利も三木も目を大きくして「マジで!?」と叫んでいた。あまりにも俺たちが食いついたからか、森崎は「あくまで最終手段な」と補足している。


 家に防音室があるってどういうことだ。バンドの練習だぞ? ピアノとは大違いだぞ? 平気なのか? どんな家に住んでいるんだ?

 そう思ったのは俺だけではないようで、みんなが森崎に質問攻めをしていた。


 少しずつ話を聞くと、森崎家は父親がチェリスト、母親が元ピアニストという音楽一家だそうで、防音室は当たり前のようにあるようだった。森崎も小さい頃からいろんな楽器をある程度かじってきたらしく、作曲が最近の趣味だという。


 生まれた家が違うとここまで育ちに違いが生じるのか。別に羨ましいわけではないけど、同級生なのにゲームやマンガに明け暮れている俺と違う人種過ぎて眩暈がした。



「あ、じゃあ……文化祭でやる曲はどうする? あと1曲決めなきゃだろ?」


 三木だった。身長が高い以外は、いたって平凡な男。強いて言えば、顔が渋い。


 文化祭では2曲演奏することになっているが、とりあえず1曲は確定させてある。だがあともう1曲が決まらない。

 森崎が入ってきたこともあるし、文化祭というビッグイベントということでなかなか定まらないのだ。


 唯一曲の条件として確定しているのは、「他と被らない」ことと、「流行は無視する」こと、「確実に印象に残る」ことだ。これを条件に曲決めをすることになっている。



「とりあえず……条件とかみんなの意見を参考に、候補を俺なりに3曲用意してみたんだ。各自練習してみてくれないか?」


 と言って森崎は3曲分の譜面を全員に配った。確かに森崎には曲の条件を伝えてあったけど、譜面なんていつの間に用意したんだろう。それに1年の俺たちでも短期間でまともに演奏できるよう、少しアレンジもしてあるらしい。


 音楽一家出身なら簡単にできるのか、それとも森崎がバケモノなのか。とりあえず先輩たちが大きな魚を逃したのは事実だ。俺たちは棚からぼたもち、というところだろうか。


 渡された譜面をパラパラとめくっていた時、一枚の譜面が目に留まった。


「あれ? この曲……」


 俺の動揺に、森崎がいち早く気付いた。近くで見て初めて気づいたが、森崎はなぜか左耳だけに赤いピアスをしていた。


「ん? なんだ? なんか問題あった?」

「あ、いや、なんでもない」


 口ではそう言ったが、混乱していた。ずっと避けていたものが突然目の前に現れるとどうも落ち着かない。しかもこんなタイミングで。


 SMAPだった。3曲の中に、SMAPの曲があったのだ。今まで聴かないように必死に避けてきたのに。


 まさか森崎がSMAPを持ってくるとは思わなかった。森崎の趣味なのかもしれないし、意外性という点で用意したのかもしれないが、こんな偶然ってあるのだろうか。


 やっぱり俺は、SMAPと縁が深いのかもしれない。






「もしもし凪咲? うん、今家着いたところ。凪咲は何してた?」


 玄関のすぐ横にある、駐輪スペースに自転車を停める。早人の物ももうすでに停めてあった。ここに自転車があるかどうかで、帰宅しているかが分かる。今頃あいつは部屋で勉強でもしているのだろう。


 右手に持っていたコムを左に持ち替えて、自転車にチェーンをかける。その間にも、凪咲の声が左耳から聞こえてきていた。


「今度また出かけよう。凪咲はどこ行きたい?……え? 水族館? 分かった。行こうか」


 凪咲とはほぼ毎日のように電話をする。今日何をしたのか、誰とどこへ行ったのか、夜ご飯は何を食べたのか、今日一日の出来事を話してくれている。


『会えない日は電話をすること』


 付き合うにあたって、凪咲が提案してきたルール。これでお互いの近況を知ることができるし、寂しさもあまり感じないし、不安も最小限になる。


 初めこそしょっちゅう電話するなんて大変そうだと思っていたが、これが案外楽しい。何よりも癒される。これが円満の秘訣なのかもしれない。



 コムから聞こえてくる可愛らしいその声に、自然と笑顔になる。凪咲がどんな顔をしているのか、何を見ているのか、どんな服を着ているのか想像するだけで心が弾む。

 自分の心だけではなく表情までもが穏やかに、朗らかになっていくようだった。


 自分にとって凪咲がそれだけ重要な存在になっているのだろう。


 チェーンを付け終え、家へ入ろうと足を動かした時、横の家の扉が開いた。


「バカじゃないの! なんで借りたDVDを無くしちゃうの!? 早く探しなよ! また延滞金払う羽目になるよ!?」

「ごめんなさい」

「謝るくらいなら早く探せ!」


 聞き慣れた声。家から出てくる見慣れた顔の男女。12年も見続けた顔。こっちに向かって歩いてくる。俺が二人の視界に入る。二人が、俺に気付いた。


 ……あ。


 全員そう思ったのが分かる。


 目が合ってしまった。時が止まったような空気感。固まる二人。見てはいけないものを見てしまったような、そんな表情だ。


 どうしてそんな目で見られなきゃいけないんだ。そう思うのに、二人をなぜか見つめてしまっている自分がいた。


『勇人? どうしたの? もしもし? 電波悪いのかな?』


 凪咲の声が耳元で響く。


「……後でかけ直す」


 コムを切り、カバンにしまった。二人から逃げるように家へ入り、部屋に逃げ込んだ。部屋に着いてから、首が汗で濡れていることに気が付いた。


 これだから兄弟は厄介だ。これだから幼馴染は面倒だ。家が同じじゃなかったら、家が隣じゃなかったら、こんな思いをしなくて済んだのに。


 緩んでいたはずの俺の頬は、石のように硬くなっていた。

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