3・2② 変わってしまった
「羞恥心!? お兄ちゃんが!? マジウケるんだけど!」
夏は大きく口を開けて、膝を叩きながら笑いこけていた。こっちは本気で悩んでいるのに、そんなのお構いなしにイルカの鳴き声のような奇声を上げている。あまりにも激しく笑うもんで、夏のすっかり伸びた髪が胸の上で踊っていた。
「そこまで笑わなくてもいいだろ」
「いやいやいや! 笑える! え、デジカメ持ってくね! 動画絶対撮るから!」
「やめろよ! というか絶対後夜祭来ないで」
「それは無理だよー。だって文化祭の締めじゃん。お兄ちゃん出る出ない関係なく絶対後夜祭は見るもんね」
どうしたらいいんだろう。できたら、というか絶対出たくない。木田の勝手な行動で俺の夏休みに受験勉強だけでなく羞恥心の練習が追加されてしまう。一応受験生なのに。
丑三つ時に木田の寺の木に藁人形でも打ち付けてやりたい。
「夏のクラスは何やるの?」
「ん? アイス屋さん」
「あ、そうなんだ」
「私着ぐるみ着るんだよ! 呼びかけで校内を回るの!」
「着ぐるみ? 何の?」
「かいじゅう!」
お似合いだ。夏のクラスの人たちも夏のことをよく分かっているんだな。パンダやうさぎのような可愛い着ぐるみなんていくらでもあるが、ゴジラみたいな怪獣が夏には一番似合う。センスのいいクラスだ。
「お兄ちゃんのクラスは?」
「ん? お化け屋敷だよ」
「え、お兄ちゃんお化け役やるの?」
「まさか。受付係だけだよ」
「つまんないの。お兄ちゃんの仮装見たかったのに」
「やだよ。あんなの疲れるだけだし」
「ほんと何でもかんでもめんどくさがる人だね。そんなんだから青春らしい青春も送れないんだよ。高校生だよ? 人生で一番輝いている時期だよ? もったいないよ」
「青春なんてそんな見えないものを模索してどうするんだよ」
「もういい。お兄ちゃんなんかバイトと勉強だけやってればいい。このガリ勉!」
後頭部を勢いよく殴られた。衝撃で視界がぐらつく。
「……夏さぁ、そうやって人のことすぐ殴るのやめろよ」
「うるさい。……あ、電話だ。もしもし? どしたの?」
夏はコムを持ち、電話を始めた。電話口から高めの女の子の声が聞こえてくる。
コムをよく見ると、背面貼られていたプリクラが剥がれかけていた。そんなところに貼るからだ。プリ帳があるんだからそれに貼ればいいのに。
「はいはい。じゃあ後でね。はーい」
夏がコムを下ろした瞬間、何かが落ちた。小さなシールのようなもの。複数人写った、キラキラのシール。真ん中には『心友♡』と書かれている。
「落ちたよ」
「あ! 剥がれちゃったか。仕方ない」
「誰? この人たち」
「部活仲間」
「ふーん。でも大事なプリクラはこういうとこに貼らないほうがいいんじゃないの? 無くすよ?」
「そうなんだけど……やっぱ貼りたくなっちゃうんだよね。でも大丈夫! 一番大事なやつはプリ帳に貼ってるし、剥がれてほしくないやつは電池パックのとこに貼ってるから」
電池パック? そんな見えないとこに貼ってどうしたいんだろう。貼る意味はあるのだろうか。そこまでしてプリクラを所持品に貼る理由はなんなんだ。
「ねえねえ、軽音学部の発表一緒に見に行こう。文化祭一日目」
「軽音楽部? なんで?」
「なんでって、そりゃあ勇人が出るからでしょ」
「あ……そっか」
勇人は俺と夏と同じように、カス高に進学した。
そこまでは予想通りなのだが、勇人ならてっきり運動部に入るかと思ったのに、なぜか軽音楽部に入った。
カス高の軽音楽部はB’zが好きそうな少しやんちゃな派閥と、ラルクとか好きそうな派手な派閥と、ミスチルが好きそうな真面目系の派閥があるらしいが、総じて騒がしい印象だ。
毎年軽音楽部の文化祭公演は派手で、観客に向かってダイブしたりデスボイスをかましたりすることもある。それに観客もロック好きが多く、ヘドバンしたり発狂したりしていて文化祭の部活講演の中でも結構異色を放っている。
勇人も軽音楽部に入ってから少し派手になった。
校則で禁止されているピアスをして生徒指導に怒られているのをよく見たし、学校をたまにサボっているらしく、平日なのに駅を部活仲間とぶらぶらしていることもあるという。家に帰ってくるのも夜ばかりで俺とほとんど顔を合わせなくなったし、最後に勇人とまともに話したのがいつなのか思い出せない。
なんか、「思春期ってこういうことなんだろうな」という典型例を見ている気分だ。
去年までただのスポーツ少年って感じだったのに、今ではごくせんにいてもおかしくない風貌になっている。
「あいつ、何演奏するんだろうな」
「さあ? でも何を演奏するかはトップシークレットらしいよ。だから当日のお楽しみじゃない?」
「そっか……」
さすがにXJAPANみたいに楽器を破壊したりはしないだろうが、どうか平和にやってほしい。母さんがこれ以上心配するようなことをしてほしくない。
「あれ? 勇人?」
夏の声に俺も振り返ると、勇人がギターのようなベースのような楽器ケースを肩に掛けながらリビングに入ってきていた。
またピアスの穴が増えている。耳たぶに二個開いていた穴が、いつの間にか軟骨にもできていた。
「おかえり」
一応言ってみたが、勇人は無反応のままキッチンへ向かってしまった。多分水を飲みたいだけで、すぐにリビングから出るつもりなんだろう。家に帰ってきたのも荷物を置きに来ただけ。すぐまた外出するはずだ。
「勇人、今日も帰り遅いのか? ばあちゃんが夜ご飯勇人の分作ればいいのか分からなくて困ってるぞ。要らないならせめて連絡しろよ」
返事はない。
勇人はガラスのコップを食器棚から取ると、そのまま水道水を一気飲みした。俺と夏のことを一切見ない。
反抗期を拗らせた子どもにしか見えないが、それでも無視されるのはいい気分じゃない。俺の可愛らしい弟はどこへ行ってしまったんだろう。
勇人はコップを流しに置くと、ドアへ向かって歩き始めた。
無視したまま行くのか。そう思っていると、夏がソファから突然立ち上がって勇人の腕を掴んだ。
「ちょっと! 返事くらいしたら? あんた高校生になってから感じ悪すぎるよ。私の電話は出ないし、メールは無視するし、なんなの? 文句あるならハッキリ言ってよ」
さすが怪獣の夏だ。
明らかに治安が悪くなった勇人に一ミリも怯まず、ストレートに言いたいことを言っている。俺にはできない。
勇人はほんの一瞬だけ、夏の顔を見た。でもそれは本当に一瞬で、すぐに腕を振りほどいてしまった。
「飯、俺のは当分作らなくていいってばあちゃんに言っておいて」
勇人はそう独り言のように呟くと、そのまま出て行ってしまった。
「はあああ? 何あいつ! 態度悪すぎでしょ! ムカつく! ありえない! 反抗期?」
夏の顔が赤くなっている。相当ムカついたみたいだ。
でも仕方ない。人がずっと変わらないわけない。
環境が変われば、成長すれば、自然と人は変わる。いい方向にも悪い方向にも、人は簡単に。人間関係だってずっと同じとは限らない。いつまでも仲良し幼馴染で何年もいられるわけない。
ただ、勇人の場合は少し極端だ。俺とはそれなりに話してくれるのからまだいいが、夏への態度が酷すぎる。
なぜか勇人は花火大会の日を皮切りに、分かりやすいほど夏を避けるようになった。
多少の会話はするものの、夏がリビングにいると夏が帰るまで一切リビングに入らず部屋に引きこもるようになったし、あんなにしょっちゅう行っていた夏の家には用がない限り行かなくなった。夏が映画や食事や初詣に誘っても、全て断るようにもなった。
高校に入ってからそれはさらにエスカレートして、夏と会話どころか目も合わせなくなってしまった。
どうして夏を避けるのか直接聞いてみたことがあったが、勇人は「彼女に悪いから」と言ってそれ以上は何も教えてくれなかった。確かに彼氏が幼馴染とはいえ女と仲良くしていたら、彼女さんも嫌がるのかもしれない。でも勇人の避け方は普通じゃない。
一体勇人の中で何が起きたんだろう。
夏が帰った頃、家電が鳴った。知らない番号からだった。受話器を取り、耳に当てた。
「もしもし? 杉山です」
てっきりなんかのセールスだと思っていたのに、意外にもそれは聞いたことのあるものだった。
『もしもし? その声は早人ね?』
「……母さん?」
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