3・2① 最後の思い出に

――2008年7月――


 一日の授業が終わり、やっと放課後になった。予備校や塾があるのか、クラスメイトたちは使い古された赤本や付箋だらけの単語帳を持って教室を出ていく。


 俺もそれを追うように黒いリュックを持って教室を出ると、廊下の蒸し暑さが感じられた。空気がどこか湿っていて、首がべっとりと潤う。


 今日のホームルームでは、10月に行われる文化祭についての話し合いがあった。俺のクラスはお化け屋敷に決定したみたいで、男子のほとんどは内装をやらされるらしい。実行委員が何やら気合が相当入っていて、文化祭前日は夜遅くまで準備をするようだ。


 泣いても笑っても、これが高校生活最後の文化祭。


 もうあと半年ほどで、俺は高校生ではなくなってしまう。10代もきっとすぐに終わってしまうのだろう。心の準備が十分に出来ていないのに、時間がどんどん俺の背中を押しているようだ。「子ども」を卒業する心の整理をする暇もなく、「ちょっと待って」なんて言うこともできず、時間は刻々と迫っていて、早く大人になれと残酷に告げてくる。


「おーい! 早人! 待てよ!」


 振り返ると、木田が走りながら何かの紙をひらひらさせていた。チラシみたいな、広告みたいな紙。

 こいつとは3年になってから別のクラスになったのだが、木田はクラスなどお構いなしに俺に絡んできて、クラスメイトよりも一緒にいる時間が長い。何だか最近、さらに照英感が増してきていて、見ているだけで暑苦しくなってくる。


「な、なんだよ。廊下を走るなよ」

「クソ真面目かよお前。いいからさ、話があるんだよ」


 木田は俺を、誰も使っていない美術準備室に引きずり込んだ。木田の話は基本ろくなことじゃない。もう嫌な予感しかしない。


「お前さ、この前の『ROOKIES』見た? 最終章!」

「見てない」

「は!? なんで!?」

「バイトだった」

「はあああ!? マジで!? 『ROOKIES』見てないなんてお前ほんとに高校生か!?」

「お前そんなこと言うために引き止めたのか?」

「なわけないだろ! これは世間話だよ」


 木田の首から香水の強い匂いがする。相変わらず腰パンに緩めたネクタイ、第三ボタンまで開いたワイシャツとふざけた格好だ。木田の親はこいつに寛容すぎる。将来寺を継がせるやつに、よくここまで世俗的な生活を許してられるもんだ。


「俺たちでさ、後夜祭に出ようぜ」


 は?


 流れ星を見た時に、不意に「あ」と言ってしまうのと同じように、自然と声が出た。

  

「はあああ!?」

「頼むううう!」


 後夜祭。毎年文化祭の最終日に中庭で行われる一大イベント。バンドやら歌やらカバーダンスやらコントやらなんでもアリで、とにかくバカみたいに盛り上がる。


 そこに出るだけでほぼ全校生徒に認知されるくらい有名人になるし、急にモテるか、周りから散々いじられるかのどちらかの運命を辿ることになる、ある意味命の選別イベントだ。


 去年嵐を完璧に踊ったグループはみんな彼女ができ始め、校長先生のモノマネをした先輩は散々クラスメイトにいじられていたものの、卒業後吉本に行った。そんないろんな面で芸の長けたやつらが出るイベントに、なぜ俺が。


 死んでも出たくない。爆音と歓声とギラギラした照明で、見るだけでも目がくらくらするのに、出演するなんて無理すぎる。


「なんで!?」

「ほら、最後の文化祭だからさ。俗世に未練を残さないためにも、バカみたいな思い出作りたいんだよ!」

「だからってなんで俺も出ないといけないんだよ!」

「え、嫌なの?」

「当たり前だろ! メリットがない!」

「人気投票で1位だったら景品が出るぞ」

「景品ってなんだよ」

「ディズニーリゾートペアチケット! しかもグループ人数分出るらしいんだよ!」


 そういえば、ディズニーに行ったことが無かった。乗り物は得意ではないが、一回くらい行ってみたいと思っていたのを、一瞬思い出した。


「……今年の実行委員は随分太っ腹なんだな」

「去年雨降って中庭ステージ中止だっただろ? だから予算が余ってるらしいんだよ。その分今年は気合入ってるらしい」

「……でも俺は出ないから!」

「そこをなんとか! いいだろ! いつもなんだかんだやってくれるじゃんか! な? 高校生活最後の思い出に!」

「そんな思い出要らない!」

「お前いいのか? 青春時代の思い出の大半がバイトでいいのか!?」


 ギクッ。そんな焦りの定番のような効果音が脳内を快速で通過していった。


「……いいよ別に!」

「よくねえ! な!? いいだろ!? 親友の頼みだろ!?」

「ちなみに何するつもりなんだよ」

「え?」

「後夜祭に出るってことは、何かするってことだろ? 何するつもりなんだよ」


 俺のその質問に、木田は厭らしくニヤついた。俺を頷かせる自信があるのだろうか。「コホン!」とわざとらしく咳払いすると、俺の目を真っ直ぐに見つめた。


「羞恥心!」


 ……は?


「羞恥心の完コピ! 人気だろ? 絶対盛り上がるって!」


 羞恥心? 三人組グループの? ヘキサゴンの?


 俺の頭に、黄、赤、青の三人組が「ドンマイドンマイドンマイドンマイ」と手を振って踊っている姿が浮かび上がってきた。


 ほんの少しだけ想像した。俺と木田が、腕を振りながら「ドンマイ」と歌っている絵面。

 瞬間、食後の持久走のような気持ち悪さが胃を圧迫した。


「絶対無理! みんなから絶対いじられるやつじゃん!」


 あまりの地獄絵図に膝が震える。細胞単位で拒否している。


「完璧にやれば大丈夫だって! 振り付けもそんなに複雑じゃないからお前でもできると思うんだよ! な?」

「無理無理! それに三人だろあれ! 他に誰誘うんだよ!」

「えっとね、桐生きりゅう!」

「え、桐生? 桐生ってあの、C組の? 体育委員長の?」

「そうそう! イケメンハイスペック男子代表の桐生だよ!」


 頭の中で踊っていた俺と木田に、桐生が追加される。気味悪さは変わらないが、少しだけ胃の圧迫感が解れた。


「……よく誘えたな」

「一か月学食奢るって言ったらのってくれた! 俺たちだけじゃ地味で華がないだろ? だから桐生にしたんだよ」

「はいはい、地味顔で悪かったな」

「あ、ごめん」


 学食一か月も奢るなんてバカじゃないのか。坊主になる前にそんなに羽目を外したいのか。


「というか、俺嫌だからな。出ないよ」

「今度飯奢るから! いいだろ?」

「弱い!」

「え……じゃあ、ほんとに1位になったら、俺がディズニー行きのバスとか、ホテルも全部取ってやるよ! 俺負担で!」

「……それでも無理! 1位にならなかったらメリットがない!」

「じゃあ参加してくれただけでディズニーのチケ代奢る!」

「それでも無理!」

「なんでえええ!?」

「あんなロックフェス並みに盛り上がる後夜祭に、俺みたいなやつが出てみろよ! 痛い目で見られるのがオチだ!」

「いやいや、女子はギャップに弱いから大丈夫! 学年トップが全力で羞恥心とかギャップすごすぎて大盛り上がりすると思うんだよ!」

「ドン引きされる気しかしない! ギャップなんかなくていい! 諦めろ!」

「無理だよ!」

「なんでだよ!」

「だってもう申請出しちゃったんだよ!」


 申請?


 意味を理解しようと、吐き出しかけた言葉を止めたその時、木田の持っている紙が視界に入った。『後夜祭出演者リハーサル日程表』の文字。よく見ると、何番目かに「羞恥心」と書かれている……。


「はあああ!?」

「もう早人の名前書いちゃった。参加希望書締め切り早くてさ。もう出してきちゃった」

「なんで事後報告するんだよ!」

「だって早人ならきっと許してくれると思ったから。課題の手伝いとか日直の代わりとかなんでも嫌がってもなんだかんだ最後にはやってくれるから、てっきりOKしてくれるかと」

「いや、さすがにこれは無理! 次元が違う!」

「ごめんて! でももう出しちゃったし、もう頑張ろうぜ! な? しゅ~ちし~んってさ!」

「お前、もう今から頭丸めるか? 今すぐ坊主になるか? もう今からでも実家の寺継いだらどうだ?」

「ごめんごめん! でも、何とかなるって! 桐生がいるから! な? センターは桐生で、お前は端っこだから大丈夫だって!」


 面倒なことになった。


 ああいうのは、クラスで人気のお調子者やいじられキャラ、もしくはイケメンで女子人気のあるやつが出るから盛り上がるのに、俺みたいにどれにも当てはまらないただただ地味なだけのやつが出たら盛り上がりに欠けた葬式みたいな雰囲気になるに決まっている。


 桐生がいるならまだ絵面が持つだろうが、痛い目で見られそうというか、いろんな意味で地獄絵図になりそうな気がする。いくら羞恥心が人気曲とはいえ、そんなに大盛り上がりするのか? 不安しかない。


 このままじゃ約半年も残っている高校生活を木田のせいで台無しにされる。木田のせいで……。


 今からでも退学届を担任に叩きつけたい。

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