2・3③ 祭りの夜

 太鼓の音楽がどこからともなく聞こえてくる。


 遠くて笛のような音がピーヒャラピーヒャラ騒がしく鳴っていて、いかにも祭りって感じだ。


 子どもが追いかけっこしていたり、カップルがかき氷を食べていたり、フランクフルトを持っている人などがそこらじゅうを歩き回っている。そんな光景が楽しそうで、こっちの気分まで上がってしまう。


 ただ、人が多すぎてうまく進めない。


 行きたい屋台があっても、人の流れにのまれてなかなか思い通りに歩けない。それに音楽と人混みのせいで隣にいる笹井の声が全然聞こえない。話しかけられるたび「え?」と聞き返してしまっている。


 笹井は三つ編みをしていて、綺麗な花の髪飾りもしていた。水色の浴衣はとても可愛らしく、よく似合っている。


 下駄のせいでうまく歩けないのか、控えめに動いているのが面白い。しかし少し目を離してしまえば人の波に飲まれてしまいそうで危なっかしい。はぐれないように笹井を目で追うしかなく、会話どころの状況ではなかった。




 流されるように辿り着いたのはヨーヨー釣り。ビニールプールにカラフルなヨーヨーが大量に浮かんでいたのだか、意外に客は少なく、親子が一組いるだけだった。


 笹井は水色のものがどうしても欲しいようで、失敗しながらも懸命に取ろうとしていた。諦めない心は素晴らしいと思うが、かれこれもう4回目だ。ヨーヨー一つにいくらかけるつもりなのだろう。そもそも、どうしてヨーヨーが欲しいのだろう。


「あっ!」


 声で振り向くと、笹井の持っていた糸がまた千切れてしまっていた。もう少しで取れそうだった水色のヨーヨーが、ぽちゃんと水面へ着地する。


「下手すぎじゃね? 1個くらいは釣れるだろ普通」


 悔しいのか、笹井が唇を尖らせた。


「えー? じゃあ杉山くんが取ってよ」

「なんでだよ。俺別にヨーヨー要らないし」

「私は欲しいもん」


 俺たちの会話を聞いていたおじさん店主がクスクス笑いながら、俺に釣り糸を渡してきた。


「サービス。あんた、彼女さんのために取ってやんな」

「え? 彼女?」


 笹井と目が合う。途端に笹井は俯いて何も言わなくなった。






 水色のヨーヨーが、笹井の手から伸びて縮んでを繰り返しながらぼよんぼよんと動いている。地面に付きそうなほど伸びるのに、うまいもんでヨーヨーは全く地面にはつかない。


「杉山くん、次何食べる?」


 笹井は持っていたりんご飴を舐めながら並ぶ屋台たちをチラチラ見ていた。


「えっと……とりあえず、座ろっか?」


 俺たちは屋台から少し離れたベンチに座った。ここからでも花火を見られそうだが、ちゃんと見るならやっぱり広場に行くほうがいいだろう。



 河川敷横の空き広場が一応公式の花火会場で、そこで見るのが通常だ。でもあまり移動すると笹井の足が痛くなりそうな気がする。


「杉山くん」

「ん?」

「ヨーヨーありがとう」

「いや、別にいいよ。というか意外と笹井も子どもらしいとこあんだな。ヨーヨー釣りたいとか」

「子どもじゃない」

「いや子どもだろ。そんな楽しそうにヨーヨーで遊んでるの完全に子どもじゃん」


 笹井は恥ずかしかったのか、ヨーヨーをそっと膝の上に乗せた。


「あのさ、笹井はどこで花火見たい?」

「そうだね……やっぱ広場かな? 空いてればいいけど」

「一応行くだけ行ってみるか」

「そうだね。そうしよっか」


 子どものように可愛らしく微笑む笹井は、いつもより魅力的に見えた。

 笹井はもとから女の子らしいし愛嬌のある子だったど、今日は特段に可愛い。クラスのやつらが見たら惚れるやつが一人くらいいそうなくらい。


「杉山くん」

「なに?」

「この浴衣……どう? 似合ってる?」


 水色の浴衣に描かれた百合の花が目に入る。清楚な印象を与えるそのデザインは、笹井にピッタリだった。


「似合ってるよ。かわいいと思う。笹井らしいよ」


 俺の言葉に、笹井は頬を赤らめながら笑った。


「よかった。すっごく悩んで選んだものだったから、そう言ってもらえて嬉しい」

「そんなに悩んだんだ」

「そうだよ? この日のために買ったんだもん。……杉山くんも浴衣着ればよかったのに。杉山くんの浴衣姿、ちょっと期待してた」

「マジ? でも俺、浴衣持ってないし……普通の服が一番楽じゃん」

「なにそれー。私は頑張ったのに」


 そう言われても、わざわざこの日のために浴衣を買う気にはならないし、男で浴衣着ているのは少数派だから目立つ気がするし……。


 でも、浴衣は不思議な力がある。女子が浴衣を着ると、一気に華やかになる。いつもは意識していなかった相手でも、なぜか惹かれてしまうくらい。自然と視線がそちらに向いてしまう。


 夏が必死に浴衣に合う髪飾りやメイクを考えていたのも、笹井が最後のチャンスと言って花火に誘ってきた理由も、なんとなく分かる。



 正直もう一度笹井に告白されたら、前よりもずっと心が苦しくなると思う。重みというか、心の締め付け具合というか、なんか精神的な負担が格段に変わる気がする。


 笹井と関わって、笹井の魅力を知って、ようやく人の想いを受け止めることの重さを理解した。映画を見た日、何も考えずすぐに振ってしまって申し訳なかったと思う。


 あの時は笹井の告白に多少動揺したけれど、それでも割り切って自分の気持ちを言うことができた。でも今なら、そう簡単に伝えられない。もっと深刻に、真剣に、慎重に伝えるようになると思う。前よりも深い罪悪感がぐっと心臓の奥を抉るだろう。


「……そろそろ、行こっか?」


 笹井がりんご飴を食べ終えたところで、俺は尋ねた。


「そうだね」


 笹井は笑って立ち上がった。


 


 俺たちと同じように、大勢の人が広場に向かっていた。油断していると笹井とはぐれてしまいそうだ。

 俺は笹井の歩調に合わせて、見失わないようにゆっくり歩いた。小柄な笹井は、少しでも目を離したらいなくなってしまいそうだ。


 しばらく人混みの中を歩いていると、左手を誰かに握られた。


「えっ」


 驚きのあまり、手を引っ込めてしまった。笹井が少し傷ついたような顔をしていた。咄嗟のこととはいえ、悪いことをしてしまった。


「ごめん! あの、びっくりしてさ……」

「……イヤだった?」

「え……別に」

「今日だけでいいから、お願い。広場に着くまでの間でいいからこうさせて。はぐれちゃいそうだし」

「……分かった」


 笹井はもう一度俺の手を握ってきた。夏と比べ物にならないくらい、小さくて細い手だった。俺も笹井の手を軽く握り返し、そのまま歩いた。



 そういえば笹井は、いつから俺が好きだったんだろう。俺の何が好きなんだろう。他にも男子はたくさんいるのに、なんで俺? 俺、笹井に何か特別なことをしたことがあったか? 人に好かれるのは嫌ではないが、理由が分からない。


 ……そういうのを聞いておけばよかった。


 笹井に今まで何も聞かなかった。告白された時も、花火のことで電話した時も、今日も。聞くタイミングはいくらでもあったはずなのに。笹井の想いに真剣に向き合っていなかった証拠かもしれない。


 目線を下に向けると、笹井の顔がさっき食べたりんご飴みたいに真っ赤になっていた。それに、さっきまで普通に過ごしていたのに急に静かになっている。ぎこちない動きがロボットみたいだ。


 でも、その笹井の気持ちが痛いほどよく分かった。

 俺も夏と手を繋いだら、きっと同じようになるはずだ。緊張して体が固まって、何をしたらいいか分からなくなる。気まずくて、何も言えなくなるだろう。


 そういえば、夏は今頃どこにいるのだろう。


 「舞」という友達と、もう広場にいるだろうか。二人で仲良く花火が始まるのを待っているだろうか。


 いや、夏のことだからまだ屋台で何かを食べているかもしれない。友達に場所取りをさせて、自分は屋台で買い物をしているかもしれない。


 昔だってギリギリまで屋台をうろついていて、俺と早人で「早く行かないと花火に間に合わないよ」と説得したことがあった。


 それでも夏はまだ食べたいものがあると言っていうことを聞かなくて、結局花火がそのまま始まってしまった。夏は花火に間に合わなかったことが悲しくて、泣きだしていた。自分のせいなのに。


 あの時の早人、相当焦ってたな。花火どころじゃないくらい夏のことばかり気にかけていた。「わたあめ買ってあげるから機嫌直してよ」とか言ってたっけ。


 俺はそんな二人の姿とか、花火に間に合わなかったこととかにずっとイラついていた気がする。せっかく花火を見に行ったのに、三人とも花火を全く楽しんでいなくて、バカみたいだった。


 もうそれが何年前だったかも思い出せない。




「杉山くん?」

「えっ?」


 突然話しかけられて、俺は裏返ったような変な声で反応してしまった。笹井がじっと俺を見上げている。


「いや、あまりにもボーっとしてるから。大丈夫?」

「ごめん。なんでもない。大丈夫だよ」


 焦りからか、早口になっていた。


 俺のことを好きだと言ってくれている女の子と手を握りながら、ずっと別の女のことを考えていた。そんな自分が物凄く罪深い気がして、冷や汗が流れた。二股をかけているような気分だ。




 笹井の歩調に合わせながら広場近くまで行くと、予想通り人でいっぱいだった。どこも人が隙間なく座っていて、満員電車みたいだった。空いている場所がないか周りを見渡してみても、人が多すぎてよく分からない。


 こういう時は、レジャーシートを敷いている知り合いを探し出してお邪魔するのが一番楽だが……。


 笹井も懸命に空いていそうな場所を探していた。夏みたいに早めに集合して場所取りをしたほうがよかったかもしれない。早く来るのは大変かなと思っていたが、逆に今、大変なことになっている。


 仕方ない。木田に頼るか。


 木田の家は毎年『じじじ射的』という店名で出店しているのだが、出店者は特別枠としてスペースが確保されている。木田に頼めば、そこで花火が見られるはずだ。木田と花火なんて見たくはないが仕方ない。見えにくい場所で長時間立ち見をするよりはマシだろう。


 出店者枠のスペースに向かおうとしたその時、見覚えのある顔が奥のベンチ横で立っているのが見えた。

 

 目が大きくて優しそうな顔の女の人。赤い浴衣を着ている。その隣には長身の男がいた。あの女の人、誰だったっけ。絶対に会ったことがあるはずの顔なのに。その人は、楽しそうに男に何か話している。


「全然空いてないねえ」

「あ……そうだな」


 笹井は俺の見ている方の反対に歩いていく。笹井について行けば行くほど、その女の人と離れていく。

 どうしても気になる。なんか、ただの勘だけど、絶対に思い出さなきゃいけない気がする。誰だったっけ。思い出せ、思い出せ……。


「あそこは? あ、ダメだ。人が場所取りしてる」


 思い出した。「舞」だ。夏とよく電話している女友達。


 少し前、夏の家に遊びに来ていた。それに夏と一緒にコンビニにいるところを何回か見たことがあった。絶対に「舞」だ。


 「舞」と花火を見ると言って夏は家を出ていった。でも、どうして夏と一緒に花火を見ているはずのその人が、男といるんだろう。


 夏は?


 辺りを探しても夏がいない。あいつはどこに行ったんだ?

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