2・2② 愛が重すぎる故に

 久々に『フォレスト・ガンプ』を見た。


 エンディングが終わると、今まで音声が充たしていたリビングが急に沈黙し、深夜の静けさに包まれた。

 途端に気が付かないようにしていた漠然とした不安が波に乗って押し寄せてくる。


 なかなか寝付けない夜はこうして心が落ち着くまで『フォレスト・ガンプ』を鑑賞しているが、今日は逆に冴えてしまった。もう一度再生しようか、右手がリモコンの上で迷い始めている。


 ある意味俺は『フォレスト・ガンプ』中毒なんだと思う。


 でもこれを見ると不思議と自分がなんでもできるような、なにかとんでもないことを叶えられるような気がしてしまう。その快感が心を安らかにしてくれるのかもしれない。



 映画の冒頭で登場するチョコレート箱の話は何よりも好きだ。『人生はチョコレート箱のように開けてみなければ分からない』という映画の最大のテーマとも考えられる言葉。それにこの作品のすべてが詰まっている。


 そして目に焼き付いているのは、ジェニーの叫びとともにフォレストが足の矯正具から解放され、誰よりも速く疾走するシーン。

 まともに歩くこともできなかったフォレストが、愛するジェニーの声で自らを縛り付ける鎧を解き、自分の力で歩くことができるようになったのだ。


『Run!』


 フォレストの心をいつでも突き動かす、映画の象徴ともいえるセリフ。風のように走り去る彼の姿は、人生を勇敢に切り開いていくようで自然と涙が出てきてしまう。


 映画を通してフォレストはさまざまな場面で走る。


 ある時は自分のため、ある時は試合のため、ある時は誰かのために。誰よりも真っ直ぐに迷いなく走る彼はとてつもなく眩しく、美しい。


 俺がもし何かのために走らなければならなくなったとき、彼のように走り続けられるだろうか。……いや、持久走一つで萎えている俺は無理だな。



「あれ? 早人?」


 唐突に話しかけられたせいで「うわっ」と声を出してしまった。声をかけてきた本人は逆に俺のリアクションに驚いたようでのけぞっていた。


「ゆ、勇人か。深夜に何してんだよ」


 勇人が寝間着姿で頭を掻きながら突っ立っていた。寝ぼけているのか、半目だ。


「こっちのセリフだよ。深夜に何見てたんだよ。……もしかして、あっち系か?」

「あっち系って?」

「いや、だから、そういうやつ。……いや、なんでもない。ごめんな邪魔して。でも音量に気を付けろよ。ばあちゃんとか母さんに見つかったらどうするんだよ。そういうのはパソコンでこっそり見ろよ」

「は?」


 何のことだか分からなかったが、少し考えてようやく理解した。さすがの俺でも察した。


「違う。誤解だ」

「いいよ別に。確かに部屋で見られても俺としては気まずいしさ。男二人部屋だといろいろ不便だよな」

「だから違うって!」

「大声出すなよ! ばあちゃんたち起きるだろ!」

「お前が変なこと言うせいだろ! マジで違うから! 『フォレスト・ガンプ』見てただけだよ!」

「『フォレスト・ガンプ』? また?」

「悪いか? 映画は一回までしか見ちゃダメだとかいう法律でもあんのか?」

「はいはい。ご自由にどうぞ」


 勇人は心底面倒くさそうに返事をした。俺のフォレスト語りが始まると思って早めに切り上げたいのかもしれない。


「その映画って、確か『人生はチョコレート箱、開ければ分かる』みたいなセリフあるよな?」

「全然違う!」

「……そんなに怒るなよ」


 勇人はポリポリと腹を掻くと、眠そうにあくびをした。


 確かに興奮しすぎた。『フォレスト・ガンプ』の話になるとつい熱くなってしまう。もっと冷静になろう。


「でもさ、開けなくても中身くらい分かるよな」

「は?」


 その言葉に、抑えたはずの感情が目を覚まし始めた。


「チョコの箱なんだからチョコが入ってるに決まってるだろ。だから開けなくても何入ってるかぐらいは誰でも分かる。なんでそれが名言なんだ?」

「いや、形とか味とかが違ういろんな種類が入ってるチョコあるだろ? 開けなきゃどんなものなのか分からないじゃんか」

「箱の裏面見れば分かるだろ、何入ってるかぐらい」

「……中身が分からない箱を開けるワクワク感とかないのかお前は! 何が入ってるか想像したりとかさあ! 開けたら意外なものが入ってた、なんてこともあるだろ! 人生も同じで、いくら頭で考えたって実際にやってみないとどうなるか分からないし、やってみたら想像以上の展開になったりするだろ!」

「はいはいはいはい! 俺が悪かった、もう言わない! はい、ごめんなさい!」


 イライラした勇人の口調に、はっとした。知らぬ間にまた熱くなってしまっていた。『フォレスト・ガンプ』のことになるといつもこうなる。


「でも、ほんとそれ好きだな。飽きないの?」

「いい映画は何回でも見たくなるだろ? ジブリが毎年金曜ロードショーでやってるけどなぜか見るあの感じだよ。 名作は何回見てもいいってこと。お前もどれだけ素晴らしいか知ってるだろ? フォレストが……」

「あーいい! フォレストが疾走するシーンが美しいんだろ!? 奇跡のようで数奇な人生が感慨深いんだろ!? 同じことを腐るほど聞いたよ! だからもう語るな! それ以上『フォレスト・ガンプ』の話をしたらディスクへし折るからな!」


 そんなに怒らなくてもいいのに……。


 そんなに雑に切り上げようとするなんて。せっかくこっちが真剣に教えてやっているのに。



 勇人は冷蔵庫へ向かい、麦茶を飲み始めた。


 俺はとりあえずDVDを取り出し、ケースにしまった。傷が付かないよう慎重に。


 それにしても、やっぱり何回見てもいい。毎回感動してしまう。こんなに素晴らしい映画に出会えただけで幸せだ。


 その感動を知ってほしいのに、どうも勇人や夏には響かない。二人の感受性が悪いのか、俺の愛が重すぎるのか。


 どっちにせよ、感性の違いってやつだろう。


「お前も早く寝ろよ」

「分かったよ。おやすみ」


 勇人は静かに部屋に戻って行った。


 俺も早く寝なければ。そう思ったのに、なぜか腰が上がらない。何かが消化不良のまま蓄積しているようで、心地が悪い。


 用もなく真っ暗なテレビをぼんやり眺めてしまう。



 眠れない。


 気付けば俺の手は、ディスクをケースから取り出していた。

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