2・1⑦ ファンとはそういうものなのだ
「ねえお願い。一緒に行こうよ。一人じゃ寂しいし惨めだから」
「それくらい一人で行けばいいだろ。東京は一人で行けただろ」
「近所だと知り合いに会うかもしれないじゃん」
「それくらいいいじゃん」
「嫌! 見られたら恥ずかしい! ね? 付き合ってよお」
「俺はバイトがあるんだってば」
「休めばいいでしょ」
「テスト期間散々休んだからそうはいかないんだよ」
「じゃあバイト前は?」
「体が持たないから無理」
「はあ!?」
木田とコンビニに行って帰ってきた途端にこれだ。
リビングで早人と夏が言い争っている。何があったのか知らないが、二人の口論は大抵碌なことがない。絶対厄介なことに決まっている。
早人は基本イエスマンで面倒なことでもよっぽどのことでない限り断らない。そんな早人が拒否しているということは、確実にややこしいことだ。巻き込まれたくない。
帰宅したのがバレないよう、リビングをスルーして足早に二階に行こうとした時、タイミング悪く和室からばあちゃんが出てきた。
「あら勇人お帰り」
最悪だ。廊下の声はリビングに丸聞こえなのに。
「勇人! 帰ってたのか!」
案の定リビングから早人が飛び出すように廊下に出てきた。相当追い詰められているらしく、げっそりしていた。「助けてくれ」と顔に書いてある。
「今度は何?」
「夏が一緒に映画に行こうってうるさいんだよ。今度の日曜。俺はバイトなのに。どうにか言ってやってくれよ」
「は? 映画?」
そんな程度で揉めていたのか? なんで?
すると早人の後ろから夏が顔を出した。なぜかちょんまげ頭。バカ殿みたいだ。
「お兄ちゃんが無理なら、勇人一緒に行こう! 私部活があって今度の日曜しかチャンスがないんだよ。ね?」
早人が無理「なら」。
その言葉一つが異様に引っかかる。俺は早人の代わりでしかないのか、夏にとって早人も俺も大差ないってことなのか。
どっちにしろ俺は特別な存在ではないってことだ。傷つくことが面倒で何も感じないようにしているが、いざ言われると胸が痛い。
「ねえ勇人行けない? 一緒に映画見ようよ」
「いいよ」
「え、本当!?」
特別と思われていないなら、特別と思われるようにすればいい。眼中にないなら、無理やりにでも眼中に入り込むしかない。
木田も言っていた。「なるべく二人きりになる機会を作れ」と。
「いいよ行こう。付き合うよ」
「やった! じゃあ日曜ね! 絶対だよ! 忘れたらぶっ殺すから!」
「分かったよ。分かったから」
「よし! じゃあ帰るね! バイバイ!」
すると夏はロケットのようにリビングから飛び出し、家を出て行った。その勢いで早人はなぎ倒され、「ぐえっ」と鳴いた。もう弾丸だ。
「勇人、本当に大丈夫か?」
早人がゆっくり立ち上がりながら言った。
「何が」
「映画だよ」
「見るだけだろ? 大丈夫だよ」
「何見るか分かってて言ってんの?」
「……何の映画?」
嫌な予感。
そもそも夏があんなに必死に誘っていたことと、早人が全力で拒否していたことから察するべきだった。
夏と二人きりになる機会を狙うあまり油断していた。
「西遊記だよ」
♢
見覚えのある映画館。見覚えのあるポスター。見覚えのあるスタッフ。
どれもこれも数日前に見た光景と全く同じだ。俺はなぜか、同じ映画館で同じ映画を見ようとしている。
「学生二枚ください」
ウキウキしている夏。嬉しそうだ。
珍しくスカートを履いて、髪も結っている。髪が短いため低い位置で結ばれているが、首筋はしっかりと窺えた。
「よし、チケット買ったし、次はポップコーンだ」
ボーっとしている間に会計が終わっていたようで、夏に腕を引っ張られてしまった。チケット窓口とスナック販売所はすぐ隣になっている。夏は俺を引き摺るようにして隣の販売所に連行した。
「ポップコーン買うのかよ……」
「当たり前でしょ! 映画館でポップコーン食べないでどうするの」
夏はそう言って、注文の列に並び始めた。いつになく上機嫌だ。
まあテスト期間やら部活やらでずっと見られなかった念願の香取慎吾をようやく拝めるのだから、むしろもっと興奮してもおかしくない気がする。多分今回は人目があるからテンションが控え目なんだろう。
「メロンソーダ飲みたいなあ。勇人は?」
夏は販売所に掲げられているメニュー表をじっと睨んでいた。
「俺はいい。夏の少しもらえればいいから」
「あっそ。あ……どうしよう」
「どうした?」
「食べたいものがありすぎて困る! ポップコーンもだけど、ポテトもチュロスも食べたい。でも食べきれるかなぁ。どうしよう」
ギャル曽根かこいつは。
「じゃあもう全部頼めば?」
「え?」
「食べきれなかったら俺が食ってやるから、好きなの選べばいいじゃん」
いつものことだ。夏が食い切れなかった時の残飯処理班。どうせ言わなくてもやらされることになる。俺は今日、そのためにいるようなものだ。
「分かった。ありがとう!」
夏のあまりの喜び様に、酔いそうになった。夏の笑顔に心臓がキュッとする。
そうこうしているうちに、俺たちの順番が来た。夏がメニューを見ながら揚々と注文した。
「じゃあメロンソーダのLと、ポテトと、シナモンチュロスと、あと……キャラメルポップコーンください!」
「キャラメル?」
「うん。あれ? 勇人嫌いだったっけ? 他のにしようか?」
「……いや、いいよ。夏の好きにしなよ」
「分かった! じゃあキャラメルポップコーンLサイズで!」
夏は結局メロンソーダLサイズ、キャラメルポップコーンLサイズ、フライドポテトSサイズ、シナモンチュロスを注文した。
そんなに注文してたった2時間で食べきれるのか疑問だし、映画に集中できるのだろうか。
それよりも驚いたのは、ドリンクのLサイズが想像の倍くらい多かったことだ。渡されたドリンクを見た瞬間、バケツみたいだな、と思ってしまったほどだ。明らかに人が2時間で飲み切れるような量じゃない。
そんなに水分を摂取したらすぐトイレに行きたくなるんじゃないだろうか。
今回は見るのが2回目だし、トイレに行くことにはそこまで抵抗がないから俺はいいんだけども……。
「勇人」
「ん?」
「今日は付き合ってくれてありがとね。勇人がいなかったら見られなかったよ。勇人がいてくれてよかった」
「……いいよ別に」
やばい。顔が緩む。
急にこんなことを言われると抑えられない。そもそも夏と二人きりで出かけているという状況自体、テンションが上がってしまっているのに。
それに、周りからしたらデートに見えるのではないか? カップルに見えているのではないか? 舞い上がってしまいそうだ。
「でもさ、どうして今日は付き合ってくれたの?」
そんなの決まっている。というか少しくらい、俺の気持ちに気付いてくれてもいいのに。鈍すぎるというか、香取慎吾に夢中すぎて俺に関心がないのか、驚くほど何も察しない。
「あ、分かった!」
「なんだよ」
「あれでしょ、勇人も、香取くんにハマってきたんでしょ。ようやく魅力が分かったか」
何をどう解釈したらこんな結論になるんだ。調子に乗っているその頭を引っ叩いてやろうか。
「なわけないだろ」
「え? じゃあどうしてついてきてくれたの?」
「……早人がかわいそうだからだよ」
「あっそ。兄想いのいい弟ですこと」
夏は呆れた顔でトイレに向かって歩いて行った。
なんて言えばよかったんだ。素直に答えれば良かったのか?
お前と二人で出かけたかったんだ、お前のことが好きだからお前のやりたい通りにしてやりたいんだ、お前に好きになってもらいたいから努力してるんだ、そう言えば満足したのか?
どうせ俺が真剣に伝えたところで、「冗談でしょ」とか言って笑ってかわすくせに。本気にしないくせに。
「あ! 花火大会今年は25日なんだね」
夏が広告スペースに貼ってあったポスターの前で止まった。そこには『カスミ花火大会2007 8月25日(土)』と大きく書かれていた。
笹井のこと思い出す。あの時は戸惑ってしまって、「考えさせて」と適当に言ってしまった。
どうしようか。笹井と行くべきだろうか。もし夏を誘ったらどうなるだろうか。夏は俺と行ってくれるだろうか。
「夏は誰と行くか決めてる?」
「私? 舞と行くと思うよ」
「そっか……」
夏がいつも遊んでいる女友達。同じテニス部の人らしく、何回か見たことはある。その人は、去年夏が一緒に花火に行った相手でもある。
去年夏を花火に誘おうかと思ったけれど、「舞」と行くと夏が言っていたことから諦めてしまった。早く誘えばよかったんだろうけど、勇気がなかった。今年もどうやら乗り遅れたらしい。
「勇人は誰と行くの? 花火大会」
「俺は……」
「また友達と行くの? 去年クラスの人と行ってたでしょ?」
「あ、うん……。友達と行く」
「あっそ。分かった」
ずっと後回しにして何もしていないせいでこんなことになる。
「今年もお兄ちゃんはバイトかなぁ? 勇人なんか聞いてる?」
「え、聞いてないけど……あいつ人混み嫌いだし、行かないんじゃない?」
「やっぱり? つまんない人だなぁ……。なんで花火大会の日にバイトするかな。信じらんない」
「あいつは花火を見るより金稼ぎのほうがいいんだろ」
小学生までは三人で毎年花火大会に行っていた。
でも俺や夏が部活仲間やクラスメイトと行くようになってから、早人は花火を見なくなった。もともと花火に興味がなかったのか、人混みが嫌いだったのか、ただ俺たちに付き合ってくれていただけだったのか。
とにかく早人は花火に行かなくなり、去年は一日中バイトをしていた。家の二階から花火を眺めることもできるのに、つまらないやつだ。
「あと10分で開場だね。トイレ行ってくれば?」
夏はもうポップコーンをボリボリ食べている。上映前に食べきりそうな勢い。
「私も後で行くけど、あんた先行ってきなよ」
ポップコーンを吸収したその口は、メロンソーダをごくごく吸引していた。
「なあ、お前そんなに飲んで大丈夫? 途中でトイレ行きたくならない?」
あまりにも勢いよく遠慮なくジュースを飲み続ける夏に思わず言ってしまった。でもわざわざ心配してやったのに、夏はきょとんとしている。
「大丈夫。本気で走ればトイレから席に戻ってくるまで3分で済む。もしトイレ行きたくなったら、香取くんが3分以上登場しないシーンで行っちゃうから」
「え」
「ん?」
「お前なんで香取慎吾が登場しないシーンのタイミングも時間も知ってんの?」
「前見た時に測ったから」
前見た時?
「夏」
「なに」
「お前この映画見るの今回で何回目?」
ちゅーちゅーと緑の液体が細いストローを通じて夏の口に流れていく。ごくん、と喉の音を鳴らして、夏は答えた。
「4回目。1回目はお母さんと、2回目は舞と、3回目はファンクラブ仲間の人と行った」
「……」
「なによ」
「……」
夏の眉間に皺が寄っている。俺は今どんな顔をしているのだろう。
『16時からの「西遊記」をお待ちのお客様。あと5分で入場開始となります』
入口でスタッフがマイクを持って話している。入場口付近ではもう人が何人か並んでいた。
「早くトイレ行ってきちゃってよ。もうすぐ開場するでしょ」
「うん……」
上映時間2時間、キャラメルポップコーンLサイズ付き。主演・香取慎吾。本気で死にそうだ。
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