2・1⑤ バレた!
ずっと走っている。真っ白な空間の中、意味もなく。
なのに足元を見ると全然進んでいない。こんなに足を動かしているのにおかしい。無重力空間で走っているみたいだ。
部活で鍛えたはずの脚は、パタパタと空気を掻いているだけで1センチも動いていない。
それにしてもやけに暑い。脚をむやみやたらに動かしているせいかもしれない。
「勇人! 早く来いよ!」
早人が遠くで呼んでいる。
どうして早人が俺よりもずっと遠い向こうにいるんだろう。どうして俺は早人に追い付けないんだろう。
どんどん足元がぐにゃぐにゃして、余計に進めない。腕を全力で振って、なんとか前に進もうとしても、俺の腕は風をかき混ぜるだけで前進することはできていない。
「勇人なにしてんだ? 早くしろよ」
うるさい。
どうしてそんなに早く行ってしまうんだ。兄貴だからって、どうして俺を置いてどんどん先に行ってしまうんだ。
叫びたいのに声が出ない。そんな俺を放って、早人は進み始めていく。
「勇人」
うるさいって。
「起きろよ」
「……は?」
気が付けば、早人が心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
それと同時に、いつものセミの鳴き声がやかましく響いているのが耳に入った。部屋の奥では、壊れかけた扇風機が首を振っている。
いつも通りの部屋だ。
嫌な夢を見たもんだ。額を撫でると、ぐっしょりと手が濡れるほどの汗がこびりついていた。
「大丈夫か? なんか唸ってたぞ。夢でも見た?」
「……暑い」
「え?」
「暑すぎる。なんでこんな暑いんだ?」
「そりゃあ、夏だからだろ」
確かに扇風機だけじゃ、暑いよな。そのせいか、時々こうして暑さで起きることがある。身体が命の危機を察知して俺を起こすようにしているのかもしれない。
「さっき木田ってやつから電話かかってきたよ」
「木田?」
「あと30分後に家に来るって」
「え?」
「なんか遊ぶ約束してたんだって?」
「……今何時?」
「11時だけど」
その言葉で急いでベッドから出ると、早人を無視して一階に駆け下りた。
この前、BLEACHが読みたいだのモンハンとかDSをやろうだの木田が言ってきたのだ。俺は断ったのに、無理やり来ることにしたみたいだ。いつものことだが強引すぎる。
ハイスピードで顔を洗い歯を磨き、部屋着に着替えた。
脱衣所で汗を拭いていると、「バイト行ってくる」と早人がドアから顔を出してきた。
「部屋使ってもいいけど、あんまり散らかすなよ」
「使わねえよあんな暑い部屋。リビングで遊ぶ」
「あっそ。くれぐれもばあちゃんの迷惑にならないようにな」
「分かってるよ」
少しして、玄関の開く音と「いってきまーす」という低い声がした。
ばあちゃんは今日もじいちゃんの仏壇の前にいるようで、和室の扉が閉め切られていた。
リビングのテーブルには目玉焼きと唐揚げが置いてあり、「これでも食べなさい」と母さんのメモ書きが置いてあった。
唐揚げを電子レンジで温めている時、チャイムが鳴った。玄関を開けると、より一層黒く焼けた木田が立っていた。タンクトップに、海パンレベルで短い短パン。まるでライフセーバーみたいだ。
「よっ、勇人、お邪魔するよー」
靴を整えたりせずズカズカとリビングに入っていく木田。夏みたいだ。夏が男だったら、俺以上に木田と仲良くしているかもしれない。
リビングに入った途端、「唐揚げじゃん! うまそう」と木田が声を上げた。
「俺の朝食だから食うなよ」
「もう昼じゃん。今から朝飯? 何時に起きたんだよお前」
「うるせえな。夏休みなんだからいいだろ」
「あんまり生活習慣乱すと新学期きついぞ。夜更かしは大概にしておけ」
「お前はなんだ、先生か? てか人のこと言えんのか? お前の生活リズムはそんなに立派なのか」
「俺んちはじいちゃんが早朝にお経を始めるから、自然にちゃんと起きるんだよ」
「あ、そうだったな。お疲れ」
木田の家は寺をやっている。治慈寺と書いて「じじじ」と読むという、言いにくい名前の寺だ。
宗派とか何を祭っているのかとか細かいことはよく分からないが、ここらへんではまともな寺はそこしかないため、年末は初詣やらで儲かっている。墓地経営もしているため羽振りがいいらしい。
木田は寺を継ぐ予定はなく、照英そっくりな兄貴が継ぐことになっているという。
賢明な判断だ。木田がお経なんて覚えられるわけがない。それにこんな自己中な木田に寺を任せたら、神も仏もご利益でもなんでも逃げていくだろう。
唐揚げも目玉焼きも食べ終えると、木田はいよいよといった様子でカバンから白いDSを出してきた。
「メトロイドやろうぜ」
「いいけど……あれ? お前それLiteじゃん」
「うん。最近買った」
「やっぱり羽振りいいなお前んち」
「へへ。いいだろ」
得意げな木田の笑顔が無性にムカつく。その焦げた腕を、小突いてやりたくなった。
それからメトロイドを3回戦ほどしたところで、「で? どうなったんだ?」と木田が揚々と尋ねてきた。
「どうって?」
「笹井のことだよ。結局映画行ったんだろ?」
「まあ行ったけど……」
「どうせ告白されたんだろ? 付き合うのか?」
「いや、断った」
その瞬間、木田は魚のようにビクッと跳ねた。DSを放り投げてしまいそうなほど派手に。
「マジか!? いやあ、お前惜しいことをしたなあ。あんないい子なかなかいないのに。それはなに? 例の好きな人のせい?」
ついに指摘された。ずっと触れられないよう逃げてきたのに。
「まあ、そうだな」
「じゃあなんで映画行ったんだよ。好きな人いるなら映画行かなきゃよかっただろ」
ごもっともすぎて笑うことしかできない。
「そうなんだけど、その……例の人に聞いてみたら、映画くらい行けばいいじゃんって言われて。それに断る理由もないし。もういいやって思って投げやりで行った」
「なんだそれ。笹井かわいそうじゃんか。てかお前清々しいほど相手にされてないんだな」
「お前さ、傷口に塩塗るのやめてくれる?」
「あ、ごめん」
木田は申し訳なく思ったのか、しばらく沈黙が続いた。エアコンのゴーという音しか聞こえないくらいの静寂。
木田は目を瞑って何かを考えているようだった。正直それが怖かった。奇想天外なことを言うんじゃないかと不安だったのだ。
するといきなり、木田が覚醒した。
「もしかしてあの人か?」
「な、なにが」
「例の人」
緊張が走る。
まさか勘づかれたか。確かに夏としょっちゅう一緒にいるのを見られているし、夏が俺の家に入り浸っているのも知っているはずだ。木田なら予想できてしまうかもしれない。
「あの、よく一緒にいた人。あの人だろ? お前が好きな人」
「……誰のことだよ」
「なんだっけ名前。あの、確か……」
心臓が加速していく。
「あ! 思い出した! 陸上部で一緒だった牧原だろ! 確かお前と同じ100メートル走の!」
一気に肩の緊張が解け、ふーっと息を吐いてしまった。
「全然違う」
「はあ? え、じゃあ誰だ? 他に仲良くしてる女子いたっけ?」
やはり、木田でさえ夏だとは思わないのだろう。
毎日一緒にいて誰よりも距離が近いのに、自然と候補から除外されている。夏は女子としてカウントされていないのだ。
「なあ教えてくれよ。じゃないと協力もできないだろ」
「協力してもらう気はないし、しなくていい。とにかくお前だけは介入してほしくない」
「ひでえなあ。絶対誰にも言わないから教えてくれよお」
「嫌だ。絶対に嫌だ。保証も信用も言う価値もない」
「なんで嫌なんだよ。そんなに言えないような相手なのか!?」
人間という生き物は学習しないといけない。というか学習する生き物だ。一度ミスをしたら、二度同じ過ちを犯さないように意識する。
それなのに、俺はまた同じことをしてしまっていた。沈黙という肯定をしてしまったのだ。否定せず黙り込む。こんなの「イエス」と大差ない。
俺の沈黙に木田は何かを察したようで、渋い顔になった。
やってしまった。とにかく弁解しようと、口が動く。
「あ、あのさ……これは、だから……」
「言わなくてもいい」
木田は俺の顔の前に手を突き出してきた。これ以上発言しなくていいとでも言いたげだ。
「俺には分かる」
「は?」
「相手が相手じゃそりゃあ辛いよな」
まさか、ついに勘づかれたか。さすがの木田も、気付いてしまったのか。
「勇人がそういう趣味だったとは知らなかった」
固唾を飲む。
「まさかお前が」
木田と、視線が重なった。
「男が好きだったなんてな」
え。
口から出たのはその母音だけ。
木田の予想外の発言に腰が抜けたが、徐々に焦りが湧き上がってきた。
「は? はあああ!?」
俺は勢いよく立ち上がっていたが、木田は冷静に続けた。
「だから言いたくなかったんだろ。でも安心しろ。俺は博愛主義こそ真の愛だと思ってた。それに男色だって武士の中では高尚なことだったわけだし、お前の愛は高貴なものだと思う。それにこれは俗説₁だが、『痔』という漢字の由来は男色が関係しているらしい。
「さっきから何言ってんだよ! 俺がいつ男が好きって言ったんだよ! 勝手に解釈するのはやめろよ!」
「違うのか? 言えないってことはそういう事情かと思ったけど?」
「俺はホモじゃない!」
「なんだそれ。お前中津₂かよ」
「うるせえ! 確かに夏は男みたいなやつだけど、違う! 勘違いするな! 俺は女が好きだ!」
木田が固まっている。
俺のあまりの気迫に怖気づいたのかと思ったが、どちらかというとポカンとしている。口をあんぐり開けて、石のように動かない。
「な、なんで何も言わないんだよ。なんか言えよ」
「お前今、夏って言ったのか?」
「は?」
「確かに言ったな。夏って。お前、もしかしてあのゴリエが好きなのか?」
口が滑った。
……………
₁諸説あります。あくまで俗解なので、悪しからず。
₂中津:「花ざかりの君たちへ」の登場人物。彼の「俺はホモじゃない!」という台詞をそのまま使用しました。他意はございません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます