2・1④ 最後のチャンスを私に

 予想できていたはずなのに、いざその言葉を言われた途端、心臓を殴られたのかと思うほど胸あたりが重く、強く、歪んだ。

 耳を塞ぎたくなるほどうるさい鼓動。次第に速くなり、落ち着かない。


「ごめんね突然こんなこと言って。でも言っておきたくて。……私、去年同じクラスになってから杉山くんがずっと好きだった」


 子どもたちの笑い声がどこからともなく耳に入ってくる。自転車のベルの音が鳴り響く。



 実を言うと、笹井の好意にまったく気が付かなかったわけではない。


 ふとした瞬間に、笹井の視線がこちらに向けられていることがあった。

 体育委員の仕事中、笹井が積極的に話しかけてくれていた。


 それに修学旅行の時、なぜか同じ班のメンバーとはぐれ、笹井と二人きりになったタイミングがあった。

 あれも今思えば、女子たちが協力していたのかもしれない。


 笹井は下を向いて、そのまま動かなくなった。相当緊張しているのが分かる。



 俺も何を言うのが正解なのか、何と言えばいいのか分からず焦っていた。

 心臓が急加速したせいで、全身が驚いているのが分かる。脳が緊急事態に対応しきれていない。



 でも、本気で想いを告げてきてくれたんだ。俺も自分の想っていることを素直に伝えるべきだ。


 今俺の頭に浮かんでいるのは、唯一人。ずっと頭から離れない。映画を見ている時でさえ、ずっとその人のことを考えていた。


 答えは、一つしかない。



「ごめん。俺、好きな人がいる」



 その返事でようやく、笹井が顔を上げた。


 笹井が嫌いなわけじゃない。笹井も素敵な女の子だ。欠点を挙げる方が難しいだろう。


 ただ、いつまでも頭から離れないほど、いつも考えてしまうほど、俺の中心を支配しているものがある。11年間変わらず、ずっと。


「それは、私の知ってる人?」

「知ってると、思う」


 思わず、曖昧に答えてしまった。


「その人とは付き合ってるの?」

「いや、告白してない」

「しないの?」

「俺のこと眼中にないみたいでさ。今の状況で告っても仲が拗れるだけかなって思って。だから……告白するかも分からない。もしかしたらずっと伝えないかもしれない。俺、結構ヘタレだからさ」


 もし夏が俺のことを俺と同じくらい好きになってくれたのなら、すぐ付き合いたいかというと実はそうでもない。


 俺の気持ちに早人も気付いたとしたら、あいつはどんな反応をするのだろう。俺と夏がもしもそういう関係になったのなら、早人はどんな気持ちになるのだろう。


 早人の気持ちを知りながら、俺だけ出し抜こうとはどうしても思えない。

 かといって早人に夏を奪われるのは死んでも嫌だ。


 「結局どうしたいの?」と誰かに真正面から聞かれたとしても、俺も分からない。


 現状維持でずっといたいわけでもないし、下手に発展したいわけでもない。「幼馴染」という親密な立ち位置を、わざわざ自分から崩壊させる勇気もないし、でも「幼馴染」に甘んじていたいというわけでもない。


 早人のことも大切にしたいのに、早人に取られたくもない。


 いいとこ取りしたいだけの俺は、相当卑怯なんだと思う。


「分かった。ありがとう」


 感謝の言葉とは裏腹に、笹井の表情は苦しそうだった。


 笹井が鼻声になり、声が若干震えている。申し訳なさと気まずさが重圧となってのしかかる。


「ううん、ごめんな。でも、笹井の気持ちは素直に嬉しかった」


 なんだか自分がどうしようもないほど大罪を犯してしまったような、変な罪悪感が襲ってくる。お前のせいで泣いているんだぞ、と言われているような。



 手汗が止まらない。耐えきれず、ジュースを一口飲む。


 空気が凶器のようだ。何か言わなければ、身がもたない。


「……笹井はすごいな」

「なんで?」

「俺はその……関係を壊したくなくてずっと逃げてるけど、笹井はこうして勇気出して行動してるからさ。尊敬する」

「尊敬?」

「いや、マジだって。マジで尊敬する。俺には無理」


 笹井も手に持っていたリンゴジュースを飲んだ。そして目を擦ると、俺に向き合った。その目は赤く充血していた。


「もちろん私もたくさん悩んだよ。そんなすぐ決意したわけじゃない。毎日悩んで、友達にも相談した。いっそ片想いのままの方がいいかもって思ったこともあった」

「じゃあどうして俺に告ろうと思ったの?」


 突然のクラクション音。


 音のする方を向くと、歩行者が信号無視したようで、車の運転手が険しい顔をしていた。

 歩行者が道を渡り終えた頃、笹井が呟いた。


「杉山くんはさ、『プロポーズ大作戦』見てた?」

「ん? 山ピーのやつ?」

「そうそう。『ハレルヤチャーンス!』とか聞いたことない?」


 首を傾げてしまった。全くピンと来ない。ドラマを見ておけばよかっただろうか。


「ま、とにかくさ、あれお母さんが好きで毎週見てたの」

「えっと……どんな話?」


 別に本当にドラマの内容が知りたかったわけじゃない。この空気を、この気まずさを、少しでも回避できるのならなんでも良かったのだ。


「えっと……山ピーが、昔から好きだった女の子の結婚式に行くとこから始まるの。好きな人が結婚してしまうのを、ただただ見ている状況が苦しくなって後悔するんだよ。ちゃんと勇気を出して告白していれば結果が変わってたかもしれないって、今自分は参列者としてここに立っていなかったのかもしれないって、自分に勇気があれば何かが変わっていたかもしれないって……。それで過去にタイムスリップして奮闘するの。結婚を阻止するために」

「結構重い話なんだな」

「まあね。とりあえずそのドラマを見てさ、なんかいろいろ考えちゃって。クラスが変わって、杉山くんと関わる機会がなくなって、誰かに取られちゃうかもって不安だったの。だったら、とにかくチャレンジしようって思った。少しでも可能性があるなら想いを伝えようって。何もしないで後悔するよりかは、一か八かの勝負に出ようって。現実はタイムスリップなんてできないからさ」


 夏の手を握って寝ていた早人。

 俺が拭いた夏の口を、上書きするかのように優しく拭いていた早人。

 夏とキスしていた、11年前の早人。


 なんでこのタイミングで思い出すんだろう。


「あのさ、わがまま言ってもいい? そのわがまま聞いてくれたら、もう本当に諦めるから。お願い。最後に一回だけ私にチャンスをくれない?」

「……どういうこと?」


 笹井が俺を見る。自然と、その真剣な眼差しに吸い込まれた。


「今度の花火大会、一緒に行かない?」

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