2・1③ 好きです

 画面を確認すると、ほぼ満席だった。


 辛うじて最前列と、前から四列目の右端が一席ずつ空いている。


 時間ギリギリに来てしまったのが悪いのだが、夏休みと言うこともあって予想以上に混んでいるみたいだ。

 ポスター前のベンチはどれも親子連れやカップルで埋まっているし、グッズ売り場も混雑している。ポップコーン売り場なんて見てるのも嫌になってくるほどの行列だ。


「この時間以外だと、次は何時にやってますか?」


 そう尋ねると、若い大学生くらいの店員は画面を操作し、目を細めた。


「ハリーポッターは……次だともう19時50分ですね」


 現在時刻は15時20分。時間が空きすぎている。それに、そんな時間から映画を見たら家に帰れるのは何時になるのだろう。中学生には厳しい時間帯だ。


 案の定笹井は困った顔をしている。


「他に空いてる映画ないですか? すぐ上映されるやつで」

「そうですね……。16時から西遊記が上映されますが、いかがですか?」


 笹井と目が合う。


 西遊記……。


 主演はもちろん、あの国民的アイドルだ。去年ドラマを夏と一緒に見たから、内容もすべて知っている。


 ドラマのどんなシーンのどんなセリフがカッコいいか、一方的に語られた記憶が次から次へと蘇ってくる。録画したものを何回見たのかも分からない。



 俺の気持ちを知らない笹井は少し悩んだ素振りをしたが、すぐに頷いた。仕方ない。


「あ……じゃあ、それで」

「ありがとうございます。西遊記16時から二席ですね。では席をお選びください」


 座席を選択し、会計が終わると「西遊記 F31 F33」と書かれたチケットを渡された。


 レジを離れるとポップコーンやポテトを持った人が入り口付近でたむろしているのが見えた。


 入り口に掲げられた電光掲示板には、「ハリーポッター 不死鳥の騎士団 15:45 4番シアター」「西遊記 16:00 7番シアター」「メイ・イン・ブラックⅡ 16:25 5番シアタ―」と表示されている。



 こんなきっかけで、香取慎吾の映画を見ることになるとは思わなかった。ここまでくると、香取慎吾と縁が深いのかもしれないと変に考えてしまう。


 西遊記に息を飲んでいるのは俺くらいで、笹井は平然としていた。むしろ楽しそうだ。


「ポップコーン、買う?」


 これから訪れる2時間耐久戦に向けて精神を整えていた俺は、ポップコーンを買う気分にもなっていなかったため、笹井の質問に挙動不審になってしまった。


「え? あ……なんだっけ、ポップコーンだっけ? あ、か、買おうか?」


 あまりにも落ち着きなない俺に笹井は心配そうな顔をしていたが、「勇人は何味がいい?」と聞いてきた。


「え? 俺は何でもいいよ。笹井の好きなのにしなよ」

「んー、じゃあ、キャラメル」

「あ、ごめん。キャラメル以外がいい」

「嫌いなの?」

「甘すぎるのは苦手でさ。ごめん」


 自分から何でもいいといっておいて否定するなんて申し訳なかったが、笹井はすぐに受け入れてくれた。


「そっか。じゃあバターにしようか」


 笹井の、花柄のワンピースが目に入る。髪は学校でいつもしているポニーテールではなく、髪を下ろしていて、黒くて長い髪が綺麗に揺れている。


 夏らしい、若干ヒールのあるサンダルも履いている。学校で見る笹井とは全く違った姿。普段制服姿しか見ていないから、普段着だと別人のようだ。


 じっとワンピースを見ていると店員からポップコーンを差し出された。受け取ると、バターの強い匂いが漂ってきた。






 映画は2時間ほどで終わり、映画館を出たのは18時過ぎだった。

 笹井は映画が気に入ったようで、満足そうな顔をしていた。

 俺はというと、集中できずほとんど内容が入ってこなかった。


 西遊記のドラマがやっていた時、「ねえ今のセリフかっこよかったよね!? 香取くんかわいすぎる! もう一回見よう!」と録画した西遊記を繰り返し、繰り返し夏に見せられた。

 早人なんて、西遊記のセリフを全話暗記してしまったくらいだ。


 そんな記憶が映画鑑賞中、ずっと渦巻いていてあまり集中できなかったのだ。


 これもすべて、夏のせいだ。


 夏が嫌というほど見せてこなければ、俺だって純粋に映画を楽しめたはずなのに。


 実際映画の内容自体は面白かった。


 夏が無理やりおんなじシーンばかり繰り返し見せてこなければ……夏が毎回ドラマが終わるたび感想を一時間みっちり語ってこなければ……純粋に映画を楽しめたはずなのだ。



「ねえ、少し話せない? 話があるんだけど」


 映画館の駐車場横を通っている時、笹井がそう言った。気のせいかもしれないが、笹井の顔が、少し緊張していたように見えた。



 とりあえず俺たちは近くの公園のベンチに座ることになった。

 映画館の近くには、ブランコと滑り台しかない小さな公園がある。普段あまり人が使っているのを見かけないが、丁度いい休憩スペースにはなる。


 自販機でジュースを買い、ベンチに座る。ゆっくりジュースを飲むと、映画で悪くなっていた気分が若干落ち着いた。ポップコーンで喉も乾いていたし、ちょうどいい気分転換になる。


「杉山くん、今日はありがとう」

「いや、俺こそありがとう。楽しかったよ」

「ごめんね、ハリーポッターじゃなくて。誘った私が予約でもすればよかった。ほんとにごめん」

「え? いや、全然いいよ。意外と面白かったし。多部未華子かわいかったし」

「え、杉山くんて、ああいう人がタイプ?」

「いや、わからん……」

「じゃあ、杉山くんのタイプの芸能人って誰? ガッキーとか?」

「え? タイプ……? んー……エビちゃんとか北川景子とかかな?」

「もしかして、杉山くんはカワイイ系よりはキレイ系が好き?」

「……どうなんだろう」


 8月のせいか、夕方でも全然暗くない。


 ベンチに座っていると、映画館からちらほら人が出てきていた。


 自転車で帰る人、バスに乗る人、車で帰る人……。今からみんな家に帰るのだろう。家に帰って、これから家族で夜ご飯とか食べるのかもしれない。


 夏も、もう夜ご飯食べてるだろうか。


「杉山くんさ、覚えてる? 去年の修学旅行で、みんなで部屋に集まって遊んだこと」

「あぁ、覚えてるよ。男女で部屋行き来しちゃダメって言われてたのに、ルール無視して木田とか俺がいた男部屋に集まったやつだろ?」

「そうそう。杉山くん、確か部屋でマンガ読んでたよね? ジャンプだっけ?」

「うん。その時どうしても続きが読みたい作品があってさ、コンビニでコッソリ買っちゃった」

「ダメじゃん、マンガ持ち込み禁止だったのに」

「いやーでも、ダメなのにDSとかPSP持ってきてるやつ結構いたぞ? それに女子でも、たまごっち持ってきてるやつもいたよな? 餓死しちゃうから持ってきたーとか言って。やばいーうんちだらけだーって叫んでたりしてさ。みんなそんなもんだろ。バカ真面目にルール守ってる方が少ないって」


 冗談交じりで言ったが、笹井が気まずそうに笑った。


 あ、そうか。笹井はバカ真面目側の子だ。ルールはしっかり守る、無遅刻無欠席の勉強熱心な生真面目タイプ。



「あの時さ、大富豪したよね」

「あー、やったな。負けたやつはどんな質問にも無条件で答えるっていう鬼畜なやつ。なんか俺ばっかり負けて、罰ゲームさせられたよな?」

「そうそう。懐かしいね」

「ほんとだな。いや……でも時間経つの早いな。ついこの間のような気がするのに、もう夏だもんな」

「そうだね」


 修学旅行。


 中学2年の11月だった。日光東照宮に行った。お土産に揚げゆばまんじゅうを買ったら、俺も食べたかったのに夏に全部食い尽くされてしまった。それに怒ったら、夏に逆切れされて、顔を引掻かれたな。


「あのね」

「ん?」

「大富豪やった時、杉山くんばっかり負けたの、あれ仕組んでたからなの」

「……は?」

「杉山くんのこといろいろ聞き出したくて、私がみんなに頼んで、協力してもらってたの」


 頭が真っ白になった。


 どうしてそんなこと? というかどんなこと聞かれたっけ。どんなこと話したっけ。なんとなく、恋愛関係の質問が多かった気がするけど、なんて言ったのか全然思い出せない。


「ねえ、ちょっと……言いにくいんだけどさ」

「あ、うん」

「私、ずっと勇人に言いたいことがあったんだ。今、言ってもいい……?」

「……いいけど」


 てっきり話し始めるのかと思ったが、笹井は口をもごもごさせながら、俯いてしまった。サンダルの爪先で、カッカッと地面を蹴っている。笹井のサンダルの動きに合わせて、土が削れていき、穴のような窪みが誕生していた。

 なんだか落ち着きがない。


 笹井から話しかけてきたのに、俺の方を一切見ないし、全然話そうとしない。

 よく見ると、蒸し暑いのに口が震えている。笹井の腕は、夏なのに鳥肌が立っていた。


 笹井がこれから何を言おうとしているのか、直観で気付いてしまった。


「あのさ」

「ん?」

「私……杉山くんが好き、です」


 びくん、と神経が飛び上がる。


「付き合ってくれないかな? 私と」

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