第2章 打ち上げ花火、君と見るか? あなたと見るか?

2・1① Let the game begin

――2007年8月――


 夏休みが始まった。といっても、俺は数学と英語で赤点を取ってしまい補講を受ける羽目になったため、夏休みはみんなより一週間遅れで始まった。


 結局、3年連続で赤点を取り続けてしまった。田所にはネチネチ文句を言われ、挙句の果てには説教も食らった。


「お前このままだとカス高しか行けないぞ!」


 と、散々だった。



 7月下旬の間、夏はテニス部の合宿に行ってしまい、早人はバイト三昧で二人とはあまり関わりがなかった。


 しかし俺の補講と夏の合宿が終わるころ、突然早人から召集命令が出た。重要な連絡があるとのことだった。そんなの家で話せばいいのに、夏もいなければならないらしい。



 指示された時間に夏の家に行くと、夏がリビングでSMAPのライブDVDを見ていた。当然黙って鑑賞していたわけではなく、『青いイナズマ』を歌いながら踊り狂っていた。


 「ジャニオタは黙って曲を聴いてはならない」というルールでもあるのだろうか。


 あまりにも暴れているもんで、リビングの入り口から脚が動かない。狂気に巻き込まれそうで近付けないのだ。


 俺が立ち尽くしている間にも、夏は全身で感情の全てを表現しているようにソファの上で舞っている。もはやSMAPの振り付けはガン無視で、完全オリジナルダンスだ。しらふのくせにどうしてここまで振り乱すことができるのだろう。


「ゲッチュー!」

「うわっっ!」

「……え!?」


 俺に気付いた狂人がその踊りを止めた。驚きで声が出ないようだ。


 突然木村拓哉の「ゲッチュー!」とともにいきなり夏が決め顔でこっちを勢いよく向いてしまったもんだから、俺も俺でついつい声を上げてしまった。


 夏は目をくりくりと動かすと、挙動不審になりながらもSMAPの動きをリモコンで封じた。渾身の「ゲッチュー!」を見られ恥ずかしくなったのか、おどおどしている。


「勇人、来たの」

「お、おう」

「あ、えっと……あれ? お兄ちゃんは?」

「知らない」

「へ? 一緒に来なかったの?」

「いや、さっき起きたんだけどさ、もうあいつ家にいなかった」

「え? なんで呼んだ張本人がいないの?」

「さぁ……」


 俺の曖昧な回答に不満そうだ。テレビにはちょうど木村拓哉が大画面に映っていた。あまりにもドアップで映っているため、なんだか直視できない。


「そういえばあんた、また赤点だったんでしょ?」

「……うん」

「よくもまあそんな綺麗に毎回赤点とれるね。ある意味ツワモノじゃん。宝くじでも買ったら?」

「バカにしてるだろ」

「当たり前でしょ、バカなんだから」


 この野郎。本当にかわいくない。というか夏も人のことをとやかく言える立場じゃないはずだ。人の成績についてバカにできるのは早人だけだ。

 今すぐ部屋に行って、夏の「30点」と書かれた数Ⅰのテストを突きつけてやろうかと思った。

 


 夏がケータイ片手にソファに飛び込むように座り込む。


 夏は慣れた手つきで素早く文字を打っていて、ケータイ特有のカチカチという連打音が聞こえた。

 夏の動きと連動するように、ケータイにぶら下っているストラップがジャラジャラと鳴る。


 SMAPのグッズやらディズニーキャラクターやらで混雑したケータイはどう見ても携帯しにくそうだ。


 どうして女子はこんなにストラップをぶら下げるのが好きなのだろう。邪魔そうだし、重そうだし、ストラップ同士が絡まって面倒くさいだろうに。



 しばらくしても、夏はずっとケータイを押し続けている。目は画面に集中していて一切の乱れがない。


「さっきからなにしてんの?」

「チャリ走」

「ゲームの?」

「そう」


 最近流行りのケータイゲームか。棒人間がチャリに乗って、道なき道をただひたすら走るだけのゲーム。

 毎日学校に行くときにチャリなんて漕いでいるのに、どうしてケータイでも走る必要があるんだ。


「そういえば勇人って、まだケータイ買わないの?」

「え?」

「ケータイ。早く買いなよ」

「高校生になったら買うよ」

「なんで? 真面目かよ。早く買いなよ」

「母さんが高校生になるまでダメだってうるさいんだよ」

「コムもダメなの?」

「うん。中学生のうちは禁止だって」

「あっそ。じゃあしょうがないね。でも買ったらすぐ番号とメアド教えてね」

「……分かった」


 自然と表情筋が動く。それを何とか阻止しようと口を堅く噤むと、頬がつまらなそうに痛んだ。


 夏が、俺の連絡先知りたがっている。


 そんな些細な関心が向けられただけで心が躍ってしまう。

 

 こういう時、幼馴染という立場は便利だ。簡単に番号を手に入れられる。特別な理由も必要ない。

 これがただのクラスメイトだったら連絡先を手に入れるだけで苦労することだろう。友人のコネをどうにか駆使するか、正面突破するか。

 俺はそのどちらをする必要もない。いいポジションだ、本当。


「お待たせ」


 いつの間にか背後に早人が立っていた。全然気が付かなかった。その手には大きなビニール袋。中に何か入っているみたいだ。


「なにそれ?」

「あ、これ? まあ後で説明するからとりあえず部屋行こう」


 夏も俺もキョトンとしている。


 一体これから何が始まるのだろう? ちょっとした恐怖心と、好奇心。






 夏の部屋に入ると、またSMAPのポスターが増えていた。


 俺と夏は促されるように、ベッドに座った。早人は机にビニール袋を置くと、勢いよく振り向いてきた。


「ゲームをしよう」

「「ゲーム?」」


 夏とほぼ同時に聞き返していた。


「ゲームって言っても、何のゲーム? まさかデスゲームじゃないよな? SAWとかバトルロワイアルの見すぎじゃないよな?」


 冗談のつもりで言ったが、ホラー嫌いな夏は作品を知らなかったようで首を傾げた。


「SAWって何?」

「知らないほうがいいよ」

「なんでよ。教えてよ」


 夏と言い合っていると、早人は笑いながら俺たちを止めた。


「Wiiだよ」

「「Wii!?」」


 早人がゲームしようと言い出すなんて本当に珍しい。


 当然ゲームマニアのおじさんはWiiをとっくに入手していて、俺と夏は時々プレイしていたが、早人はほとんどやっていないイメージだった。

 そんな早人からWiiの提案だなんて、意外すぎる。


「私はいいけど、どうしたの急に」

「ほら、テストも終わったし、リフレッシュしたくて。1位になった記念にいいだろ?」


 早人はそれをずっと楽しみにしていたのか、意気揚々としている。


「1位になった記念がWii? お兄ちゃんそれでいいの? もっと他にないの?」

「ええ……? お前ら二人でやればいいじゃん。俺も必要なの?」


 文句を言う俺たちが悲しかったのか、早人はしゅんとした顔になった。


 それでも「どうせならどっか出かけようぜ」だの「Wiiなんてお兄ちゃんできるの? 操作方法分かってるの?」だのあまりにも俺たちがビービー文句を言ったせいか、次第に顔が赤くなり、遂に爆発した。


「お前ら分かってんのか! 俺がどんだけ必死に勉強したか! 俺が軽く学年1位取ってると思うか? 貫徹して、腰を痛めて、右手腱鞘炎になりながらも必死に勉強してやっとトップになったんだぞ。お前らが1位になれってうるさいから、久々にあんなに勉強したんだぞ!」

「はい、存じております」

「はい、私も言いました」


 心当たりがありすぎて、胸が痛んだ。


 早人はそこまで自分を追い込むタイプではないし、基本的に必要以上に無理はしない。きっと今回のテストも俺らがはやし立てなければもう少し手を抜いてたはずだ。

 俺と夏がいろいろ言ったから、早人は必要以上の無理をしたのだろう。


 思い返せばテスト期間中、普段は見られない貴重な早人の姿と遭遇した。


 帰宅後靴を履いたまま玄関で寝ている早人を目撃したし、あくびのしすぎで号泣したのかと思うほど目が真っ赤になっていたし、右手に湿布を貼っても痛かったのか、左手でぐにゃぐにゃな字になりながらも必死に問題を解いていたのも見た。


 去年学年1位とった時はそこまで必死ではなかったし、中学受験の時ですらそこまで無理はしていなかったのに、今回の期末テストは引くぐらい勉強していた。


 前回の学年末テストで4位だったのは手を抜いたからだったんだろう。早人が本気を出すとあそこまで追い込むのだということを思い知った気がする。


 それでもたかだか2、3日勉強しただけで1位になるなんて十分バケモンだが。


「だからさ、二人に責任もって俺の願いに付き合ってもらおうと思って。な? 約束したもんな? 夏」

「は? 約束?」


 夏を睨むと、夏はとぼけたような顔をしている。小声で俺に「ごめんごめん」と言っているが、もう遅い。


「だから三人で、小学生の時みたいに、一日中ゲームしまくる! これが俺の願い。夜通しゲームしまくって、そのまま朝一でラウワン行って、ボーリングしよう。お菓子もジュースも大量に用意したし、いいだろ?」


 ビニール袋が視界に入る。大量に入っていたのは、お菓子とジュースだったのか……。


「……マジで?」

「いいじゃん! 楽しそう!」


 俺とは反対に、夏はノリノリだ。大量のお菓子と、「ボーリング」という単語に浮かれたんだろう。


「待って! 忘れてない!? 俺中3だよ!? 受験生だよ!?」


 俺は必死に訴えたが、二人は特に驚きもしない。むしろ今更何を言ってるんだ? みたいな顔。


「あんたどこの高校行く気なの? カス高でしょ? 違うの?」

「お前カス高以外行く気あったのか?」


 二人は、俺がカス高に進学するとばかり決めつけているみたいだ。


「カス高です……」


 まあ、当たりだ。


「でしょうね」

「だろうと思ったよ」


 こうも当然のように言われると、少しムカついてしまう。二人は俺がカス高しか行けない学力だって分かりきっているのだ。


「勇人、大丈夫だ。俺、全く勉強しなくても受かったから」

「早人の意見はあてにならねえんだよ」

「私もほとんど勉強してないけど受かったよ」

「うん、夏の意見が一番信憑性ある。じゃあ俺も受かるな」

「はあ!? どういう意味よ!」

「まあまあ落ち着け」


 早人は俺と夏の肩を持つと、「よっし」と呟いた。



「じゃあとりあえず、ゲームしよう! バカ騒ぎだ!」



 こんなテンション高い早人を、初めて見た。そこまで言われてしまっては拒否できない。本当に1位になってくれたし、それぐらいは付き合ってやらないとかわいそうだ。


 こうして俺たちは、唐突にあの酸いも甘いも味わった「ゲーム部屋」に引き戻されてしまった。

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