1・5④ 君はなにも分かっていない

 ゲオはバイト先から自転車で5分くらいの距離にある。目の前にはローソンがあり、俺はそこでよく映画鑑賞用のスナックを買う。


 深夜でも営業しているからか、最低でも月に3回は映画を借りている気がする。バイト帰りにふらっと立ち寄るのが人生の楽しみなのだ。



 今回はバイト帰りではなく、テストが終わったから自分へのご褒美にということでゲオやって来た。

 なんか適当に良い映画に出会えればいいなという淡い期待を込めて。それと映画の返却も兼ねている。

 


 いつもと違うことがもう一つ。夏と来ているということだ。


 家を出た時にばったり遭遇して、「これからゲオに行くんだ」と伝えるとなぜかそのままついて来てしまったのだ。できれば一人で行きたかったのだが、変に拒否すると「何借りる気!?」と夏に詰問される気がして、仕方なく。




 ゲオのすぐ入り口近辺はゲーム関連のコーナーになっている。そしてその奥に雑誌やマンガといった書籍が置いてあり、更に奥にレンタルDVDの陳列棚。


 ごくわずかだがVHSレンタルもやっているらしい。昔は主流だったVHSも過去のものとなり、いずれは全て無くなってしまうのだろう。



 店に入ってまっすぐレジに向かうと、夏も素直に後ろについてきてしまった。雑誌コーナーを徘徊してほしかったのに、面倒なことになった。



 店員が俺の出したDVDのバーコードをスキャンする。ほんの一瞬だけ画面を睨んだ気がした。


「1500円です」


 やっぱり。


 思った瞬間、夏が「1500円!?」と店内中の客が振り返りそうな、というか振り返る声量で叫んでいた。


「夏、静かに」


 夏も周りの視線が恥ずかしかったのか素直に黙った。俺もさっさと会計を終わらせたくて、素早くお金を払う。


 店員からレシートを受け取り、そそくさと映画コーナーへ向かっている途中で、夏に服を掴まれた。


「え、なに」

「なにじゃないでしょ! なんで1500円もするの? DVD一本借りただけでしょ?」


 こうなるから夏に来てほしくなかったのに。


「延滞しちゃってさ。ほら、テスト期間で返すの忘れてて」


 そう。だいぶ前に借りていたのを、すっかり忘れてしまっていた。今日になって気が付いて慌てて返しに来たのだ。


「はあ!? バカじゃないの!? 手帳買いなって言ったよね!? 忘れっぽいから手帳になんでも書いて毎日確認しなよって言ったよね!?」

「……ごめん」

「謝っても意味ないでしょ!? 手帳買ってないの? あんだけ言ったのに!」

「いや、買った。新学期始まる前に」

「買ったのに忘れたの?」

「手帳買ったのを忘れてた。で、今買ったのを思い出した」

「は? じゃあ今まで使ってなかったってこと?」

「……うん」

「新品のまま?」

「……うん」

「どうせ、どこにしまったのかもわかんないんでしょ」

「……うん」


 何発殴られるだろう、と怯えていたが、意外にも夏は何かもしてこなかった。代わりに、心底呆れた様子で溜息をゆっくりじっくり吐いた。


「お兄ちゃん」

「は、はい」

「家帰ったら手帳探しな」

「……はい」


 夏の手が服から離れていく。


 そのまま雑誌コーナーに無言で走って行く夏を見送ると、俺は早足で洋画コーナーに向かった。


 映画を借りる時は、新たな出会いを求めてひたすら邦題とパッケージを眺めることが多い。借りたい作品があって来ることもあるが、ほとんどは何も考えずにふらっと訪れて運命的な出会いを探す。


 なによりもレンタルビデオ屋の狭い通路でじっくりタイトルを眺め、それがどんな作品なのか頭の中で想像しながら過ごす時間が好きなのだ。


 なのに、今日はやたら貸出中が多い。特に新作が。……あれか。週末雨の予報だから、みんな話題作を根こそぎ借りて行ってしまったのか。失敗した。もっと先回りすればよかった。


「何借りるの?」


 夏が飴を舐めながら俺の隣にやってきていた。いつ飴を買ったのだろう。いや、初めから持っていたのか。


 というか、てっきりドラマコーナーでSMAP関連作品を眺めているか、雑誌コーナーで香取慎吾の捜索でもしているかと思ったのに、どうしてこんなすぐにここへ来たのだろう。


「何も考えてない」

「え? 借りたいのがあるから来たんじゃないの?」

「いや、ノープラン。見てみたい作品をボーっとしながら探してる」

「え、それで見たい作品って決まるの? 迷わない?」

「迷うよ。めちゃくちゃ迷う。だからいつも映画一つ決めるのに1時間くらいかかる」

「優柔不断だねえ」


 夏はそれから俺の動きに合わせて、俺の横をちょこまかちょこまかウロウロしては、一旦離れ、しばらく姿が見えなくなったなと思ったら俺を探しにまたやってきて、俺を見つけると横に戻って一緒に棚を眺めるというのをかれこれ数十分繰り返していた。


 多分あらかたゲオ内を一周して、飽きてしまったんだろう。ダラダラ棚を見ているだけの俺といてもちっとも楽しくないはずだ。


 横でじっといる夏から威圧感というか、「早く決めろよ」と言われているような気がしてしまって落ち着かない。


「夏」

「なに?」

「俺さ、選ぶの遅いからさ、暇ならコンビニ行ってきてもいいよ? ごめんな付き合わせて」


 ポケットから茶色い二つ折り財布を取り出し、夏に渡そうとその手を向けた。

 てっきり喜んで財布を受け取り、揚々とコンビニに行くかと思ったのに、意外にも夏はキョトンとしていた。


「いいよ」

「え?」

「好きなだけ眺めていいよ。どうせなら私もなんか探してみる。というか私が勝手についてきただけだし、そんなに気遣わなくていいよ」


 驚いた。夏の口からそんな言葉が飛び出してくるなんて。


「……そっか」


 明日、雪が降るのかもしれない。


 口にこそしないまま、手に持っていた財布をポケットに戻す。夏はそれから俺の横でキョロキョロしながらも真剣に棚を見始めた。



 いつもは狂犬のように暴力的で扱いに困る夏だけど、スイッチさえ入れば誰よりも真剣で真面目になれる。それを勉強に向ければいいのに、回路が壊れているのかSMAPにしかいかない。そこが残念。


 でも夏は不思議な子だ。


 なんというか、人のことをちゃんと見ようとしてくれている感じがする。表面ではなく、常に深淵を見ているような。俺のことを自然と分かってくれているような、親のような安心感がある。


 そのせいか、俺が年上のはずなのに、時々夏の方が大人に見えることがある。


「お兄ちゃん」

「なに?」

「おすすめってある?」

「おすすめ?」

「そう。死ぬまでに見ておくべき作品! みたいな。なんかない?」


 そんなの決まっている。


「フォ」

「『フォレスト・ガンプ』以外! それは何回も見た! お兄ちゃんがあまりにも見てるからぜーんぶ内容知ってる! どれだけいい映画なのかも腐るほど語られたから知ってる!」


 そんなに怒鳴らなくてもいいのに……。夏があまりにムキになって言うから、ちょっと悲しい。


「邦画は疎いけど大丈夫? 俺のおすすめ、洋画ばっかりになっちゃうけど」

「いいよ。参考までに聞きたい」


 こういう時どんなジャンルを選ぶべきか迷う。


 おすすめといってもその人が何を求めているのかが分からないと難しい。アクション系とかホラー系とかでもいいのか分からないし、映画のメッセージ性が重要なのか映画の芸術性を求めているのかにもよっておすすめは変わってくる。


「ベタなやつがいい? 王道系がいい? それともマニアックなやつ?」

「じゃあベタなやつ」

「……そうだなあ」


 『BACK TO THE FUTURE』、『ショーシャンクの空に』、『グリーンマイル』、『羊たちの沈黙』、『ターミナル』、『トップ・ガン』、『レオン』、『STAND BY ME』、『いまを生きる』、『トゥルーマンショー』、『Dance with Wolves』……。


 挙げたらきりがない。


 俺は批評家でもなんでもないし、娯楽として楽しんでいるだけだから余程の駄作でない限り気に入る。そのせいか好きな映画はいくらでもある。簡単には絞り切れない。


「ジャンルはなにがいい? ヒューマンドラマ? ホームコメディ? 感動系とか?」


 夏は飴を口の中でコロコロと遊ばせてから答えた。


「ラブストーリーがいい」


 確かに夏はラブストーリーが好きだ。『恋空』といった携帯小説がバイブルになる典型的な女子高生。

 夏はきっとそういう胸が高まるゴリゴリの恋物語を求めている。でも申し訳ないけど、それは管轄外だ。


「『エターナル・サンシャイン』かな」


 咄嗟に思い浮かんだ作品だった。


 一応ラブストーリーだけど、胸の高鳴りを求めている夏のニーズからは少し外れてしまうかもしれない。それでもこれが、最近見た中で一番好きなラブストーリーだった。


「どんな話?」

「うーん、あんまり話すとネタバレになるからとにかく見てみて。何も知らずに見たほうが面白いから」


 すると夏は不満そうにムスッとした。


「えーなんか情報ないの? 少しくらい教えてよ。あ、主演は?」

「ジム・キャリー」

「誰だっけ?」

「『マスク』の人」

「ああ! 分かった! え、有名な人じゃん」


 夏の顔が花のように明るくなる。


「ヒロインも有名だよ。ケイト・ウィンスレット」

「それは? なにに出てた人?」

「『タイタニック』」

「え!? 超有名な俳優ばっかじゃん!」

「それだけじゃないよ。『ロード・オブ・ザ・リング』に出てたイライジャ・ウッドも『スパイダーマン』に出てたキルスティン・ダンストもいるよ」

「え! なんかちょっと見る気になってきたかも」

「だろ?」

「じゃあ、ストーリーは? どんな話なのか少し教えてよ」


 説明したところで夏がどれだけ映画に興味を持ってくれるかは分からなかったが、当たり障りのない紹介をすることにした。


「この映画は記憶を消す物語なんだよ。消したい記憶を消すことができる世界っていうのかな?」

「へー、斬新だね」

「だろ? 俺はこの映画の構成がすごく好きなんだよ。うまく言えないけど……後半思わず『うわぁ……』って声が出てくるような感じ」

「おおいい感じ。段々見たくなってきたよ。もっと語って」


 いい感じに乗せられているような気もするが、映画について語るのは嫌いじゃない。自然と口が動いた。


「なんかさ、恋愛って大体は出会って、仲良くなって、好きになって、結ばれて、幸せな日々の中ですれ違いが起きて、衝突して、愛情が冷めていって、別れるって感じだろ? でも、好きだった相手ほどいつまでも記憶が鮮明に残ってしまって、忘れられなくなる。相手のことが好きだったからこそ苦しくなって、遂には記憶を消したくなるんだよ。映画では実際に、恋人との記憶を消し去ってしまおうとする。でも主人公は記憶を消されていくうちに、不思議と辛かったはずの思い出を忘れたくないって思うようになるんだ。大切な人との時間が恐ろしいほどかけがえのないものだったと気付くことで、記憶の抹消から逃げていく。ある意味逃避行って感じ? それを見ていると、愛というか恋の深さもだけど、一種の神秘を感じるんだよな」


 頭の中で、ジョエルがクレメンタインを必死に忘れないようにさまざまな記憶の中で逃げ回る姿が蘇った。


 消し去りたいと思うほど辛く苦しかったはずの記憶を、彼は唐突に消したくないと思い必死に忘却から抗おうとしていた。


 それだけクレメンタインのことを愛していたからだ。


 辛かった日々も、振り返れば自分にとっては大切で忘れてはならないものだった。忘れてしまいたかったのはそれほど愛していたから。

 彼にとって彼女はかけがえのない存在だったことに、いざ記憶を消されるとなった時にようやく気が付くのだ。



 感慨深いその映画に想いを馳せていたのに、夏は口をきゅっと締めながら肩を震わせていた。


「……なんだよ」


 夏は堪えきれなかったようで「ぷはっ」と一気に白い歯を見せて意地悪に笑った。


「だって、お兄ちゃんが愛とか恋とか語ってんのキモいんだもん。今まで彼女できたことないくせに」

 

 なんて失礼なやつなんだろう。前言撤回。夏はガキだ。


 いつまで経っても小学生から何も成長していない、おこちゃまだ。じゃなきゃこんな相手の面子を一切配慮しない無慈悲な言葉は飛び出てこないはずだ。


「はあ? 夏が作品について語れって言ってきたくせになんだよ!」

「ウケるんだもん……熱く語ってるのが。恋なんてしたことないくせに」


 呆れて言葉もない。


 もう夏は少女漫画の実写映画とSMAP出演作品だけ見ていればいい。二度と映画の紹介なんてしない。


「もう知らない。帰る」

「ごめんごめん! その、なんだっけ? エターナルなんとか探してくるから待っててよ! ちゃんと興味沸いたから! えっと、タイトルなんだっけ?」

「『エターナル・サンシャイン』」

「おっけー! 探してくる! 待っててよ? 勝手に帰ったら許さないからね?」


 そう言って夏は他の棚へ走って行った。


 なんだか体が熱い。これも全部、夏のせいだ。いつも俺の中を乱してくる。本当に厄介な子だ。


 それにあいつは俺のこと、なんにも分かってない。

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