1・5③ テストがもたらすもの
地獄の一週間が過ぎテスト返却が終わると、すぐに全科目の得点と順位、総合成績が判明した。
一枚の薄い紙に今学期の自分の努力を数字化して突きつけられるとなんだか空しい気持ちになるし、たった一回のテストの出来で成績の大半を決められてしまうのは若干抵抗があるが、世の中大抵そんなものだ。
一度しかないチャンスを掴めない人間に救いの手を差し伸べてくれるほど、世の中は甘くない。
全教科のテスト返却がされた日の放課後、教室の端で木田含め複数の男子が集まって点数と順位を比べていた。
「わたしの~テストの~ま~えで~」
こんな調子で、木田は成績表を振り回しながら「千の風になって」の替え歌を独唱している。木田を囲む男子は手を叩いて笑いながらそれをケータイで撮っていた。
相変わらず猿みたいな連中だ。最近「千の風になって」の替え歌がクラスだけじゃなく学校中で流行っているが、あんなに素晴らしい曲で変な替え歌を作るなんて小学生と大差ない。
帰ろう。あのテンションの木田に絡まれると面倒なことになる。
机上にあった筆箱やプリントをリュックにしまい、教室を出ようとした時だった。
「おい杉山! 杉山はどこだ!」
廊下からの怒号。一斉に教室にいたクラスメイトが俺を見る。そんな間にも、声はどんどんこちらへ近付いて来ていた。
女子は廊下と俺を交互に見るし、男子は固まっている。
「おい早人!」
背中に衝撃。俺の右肩に、木田の顔があった。木田が俺の背中に抱きつくように飛びかかって来ていたようだ。
「あいつだ! 赤松! 今回の成績見て多分お前を襲撃しに来たぞ!」
「は? なんで?」
「知るかよ! お前より低かったんじゃねえの? 逆恨みだよ。あ、てかお前何位だ?」
「えっと……」
「ああ! いい! 今度教えろ! とりあえず逃げろ!」
「に、逃げろって、どうやって」
「俺らであいつらを羽交い絞めにして足止めしておくから、お前はそのうちに逃げろ」
その言葉の直後、木田の周りにいた男子が一斉に廊下へ消えた。主にただチャラいだけの帰宅部ばかりだったけど、こういう時助けてくれるなんて根のいいやつらだ。
すぐに「うわ! なんだお前ら!」という赤松の声が聞こえてきた。
「ほら、今のうちに」
「わ、分かった。でも大丈夫か?」
「なにが」
「赤松、あいつ空手黒帯だぞ」
すると廊下の奥から「ギェッ」という誰かの声が聞こえてきた。
「じゃあもっとヤバいじゃんか! なんでお前そんなケロッとしてるんだよ」
「え、焦ったほうがいい?」
「当たり前だろ! あの声聞いたろ? あいつお前をボコボコにする気だぞ!」
「え!? どうしよう」
「とりあえず変装しよう。あいつらがいつまで足止めできるか分かんねぇし、家まで追いかけられたら面倒だろ?」
「え、え?」
俺の返事を聞く前に、木田は俺の手首に自身のシリコンバンドを無理やりはめ、前髪にしていたヘアクリップを俺の髪に無造作に付け、自分の腰にしていたチェーンを俺の腰に装着した。そしてカバンからおもむろにFOGBARを取り出した。
「な、やめろよ!」
「いいから黙ってろ!」
木田はそのまま、俺の髪を勢いよく掴んだ。
♢
災難だった。
木田のせいで売れないホストみたいな髪型にさせられたし、乱れた格好のまま教室から駐輪場まで全力疾走する羽目になったし、女子からは「え!? 杉山くん!?」と二度見されるし、先生には「杉山! 血迷ったのか!」と叫ばれるし。
なんだったんだ、本当。
腰にあるチェーンが特に邪魔だ。歩くたび太ももに当たってウザい。なんでみんなこんなものぶら下げているんだ?
チェーンを外しながら自転車を停めていると、おばさんが庭で花の手入れをしていた。
よく三人で水遊びをしていた場所は家庭菜園のスペースに変わってしまっていて、何もなかった芝生の上には、今では花壇が作られている。完全におばさんの趣味だが、よくこんなに丁寧に手入れできるものだ。
おばさんが顔を上げ、俺に気付いた。
「は、早人、だよね? おかえり。どうしたのその頭。ツンツンになってるよ? それに頭に何付けてるの? その、でっかいヘアピンみたいなやつ。……一体どうしちゃったの? テスト終わったから弾けちゃったの?」
「……何も聞かないでください」
「……分かった。えっと、今日はバイトじゃないの?」
「はい。明日バイトです」
「あ、じゃあうちいらっしゃい。アイスあるから。それにぬか漬けがちょうどよく出来たから持って帰って食べな」
「ありがとうございます」
促され、夏の家に入った。
夏の家は、木造建築の我が家と違って洋風で、リビングは白を中心としたシンプルなデザインになっている。机も実にシンプルなもので、食器も白で統一されている。これも多分おばさんの趣味だろう。和風な俺の家とは正反対だ。
白いスプーンを使ってイチゴアイスを食べていると、おばさんは「誰もいないうちじゃないと食べられないから」と言って俺の正面でハーゲンダッツを食べ始めた。主婦の楽しみの一つという感じで微笑ましい。
「ねえ早人、小島よしおって知ってる?」
「小島よしお? 『そんなの関係ねえ!』の人?」
「そうそう! おっかしいよねえ。さっきテレビで見てね、思わず笑っちゃった」
「クラスの男子もみんな真似してますよ。この前なんか、プールの授業の時に十数人の男子が一斉に『そんなの関係ねえ!』ってプールサイドでやりだしちゃって、先生と女子を困惑させてました」
「なにそれぇ! 面白いねぇ」
「やばいですよね」
「うんうん。でも実際見たら引いちゃうかも。え、早人もやったの?」
おばさんが困惑気味に尋ねた。冷たいアイスが、ツーっと喉をすり抜けていく。
「……やってませんよ」
「え、真面目だねえ。みんなからノリ悪いって言われなかった? やればよかったのに。そういうバカやってられるのも今のうちだよ。もったいない」
「……やりました」
「え?」
「俺も、プールサイドでやりました。小島よしお。断れなくて」
「……やっぱり男の子だねえ」
カチカチ、という秒針が響く。
突然、おばさんが静かに肩を震わせ始めた。
「え、なんですか?」
「いや、早人が水着姿で『そんなの関係ねえ!』ってやってるの想像したら笑えてきて」
「想像しないでくださいよ!」
恥ずかしすぎる。
それでもおばさんは聖母のような笑みを浮かべていた。
おばさんはいつも俺のくだらない、しょうもない話を聞いてくれる。どんなにくだらない話でもじっくり聞いて、ちゃんとリアクションしてくれる。
きっとすごく聞き上手なんだと思う。
「もう夏休みだね」
「そうですね」
「早人はどこを受験するの?」
「え?」
「もう2年生でしょ。もちろん進学するでしょう? 志望校は決めたの? オープンキャンパスとか、行かないの?」
おばさんの顔は薬師丸ひろ子にどことなく似ている。母さんとは違った優しさがあるのがおばさんだ。夏もおばさんに似ればよかったのに。
「昔は理系の大学に行きたいって言ってたよね」
「あ、まあ」
「あれ? 迷ってるの? 国立でも私立でも、早人ならどこでも行けると思うけど? 早人は昔から頭よかったもんね。勇ちゃんも夏果も早人に似ればよかったのに」
「そうですね」
何か察したのか、おばさんは優しく俺の右手を握った。
「ちゃんとお母さんと相談しなさい。あなたの人生なんだから自由に決めていいんだよ? 誰かに遠慮してばかりじゃなくて、本当に自分がしたいことに素直になってね。変にプレッシャー感じたり気を遣ったらダメだよ? 人のためじゃなくて自分のために考えるんだよ?」
「……はい。そうします」
その返事におばさんは安心したのか、柔らかい表情になった。
「そろそろ二人は帰ってくるかな?」
「そうだと思いますよ」
「じゃあ早く食べなきゃ」
おばさんは俺の手を離すと一気にハーゲンダッツを食べた。
俺もアイスを食べ終えた頃、突然ウッドデッキの窓がバンッと大きな音を立てて開いた。驚いてそっちのほうを向くと、勇人が汗だくになりながら俺を見ていた。
「はやとおおお!」
血走った目を開きながら「やっと見つけた!」と荒い息遣いで言う勇人は、興奮状態の獣に見えた。当然だが、おばさんがドン引きしている。
「どうだった!?」
「な、なにが」
「テスト! の! 結果! どうだった! 何位だ! てかなんだよその頭! どうしたんだよ!」
「えっとこれは、その……」
「ああいいや! テストだテスト! テストどうだったんだよ! 物理悪かったのか!? てか数学は!? そういえば現代文てこずってなかったか!?」
「えっと……実は」
「何位だ!?」
「英語文法と英語読解が1位、物理が6位、数Ⅱと数Bが4位で……」
「あああいい! 教科ごとはいい! 結局何位だ!? 学年で何位になったんだ! 総合!」
「……奪還」
「つまり!?」
「1位になったよ」
「よおおおし! あれ赤松は!? あいつに勝ったってことでいいんだな!?」
「そうだな」
「よっしゃあああ! よし、分かった! お前が1位ならもういい! 木田ん家行ってくる! あ、お前その髪型似合ってねぇぞ! 戻せ!」
言いたいことを言い終えた勇人は、窓を閉めずにまた走って消えてしまった。
なんだか嵐のようだった。おばさんは必死に笑いを堪えながらキッチンで洗い物をしている。その気遣いが逆に辛い。
席を立ちゆっくり窓を閉めると、外の熱気がじんわりと室内になだれ込んできた。
日本の夏はどうしてこうも蒸し暑いんだろう。湿気で蒸していて、じんわり暑さが体に纏わりついてくる感じ。せめて湿度がなければよかったのに。
席に戻った途端、リビングのドアがドカッと勢いよく開いた。デジャヴか?
家が揺れたんじゃないかと錯覚してしまうほどの衝撃。ドアが壊れないか心配になる。
ドアの前には、夏が荒く呼吸しながら立っていた。前髪が汗でぴったりと額に張り付いていて、首も汗でテカっている。
激しい呼吸で、夏の肩が上下に激しく動いていた。この暑い中徒競走でもしたのだろうか。もしくは、ゾンビの襲撃から逃げ回っていたのか。
「お兄ちゃん! テストどうだっ……え!? 何その頭! キモ!」
夏があまりにも大きな声で言うもんで、とうとう「プッ!」とおばさんが噴き出した。
もう、嫌になってくる。
「お兄ちゃん聞いてる!? 何位だって訊いてんだけど!?」
「1位だ1位! 俺が1位になった!」
「それは」
「総合が1位! 俺が学年1位! 英語科目以外は1位じゃないけどとにかく俺がトップになったんだ! 満足か!?」
「……よし」
夏はドアを勢いよく閉め、ドスンドスンと夏特有の足音を響かせて消えていった。部屋にでも向かったのだろう。
そう思ったのに、再びドアが勢いよく開いた。またまたデジャヴか?
「さっきから思ってたけど、その髪変! 似合ってない! キモい!」
それだけ言うと、俺の返事も聞かずにドアを思いきり閉め、今度こそ本当に二階へ行ってしまった。夏の四股のような足音が、地上から徐々に上昇していくのが聞こえる。
なんだか、疲れた。
頭を掻こうとすると、妙な粘度を感じた。ガムを溶かしたような感覚。……ワックスだ。
特有の重たい感触。なんか、手がベタベタする。気持ち悪い。
必死に原型を無くそうと、髪をぐしゃぐしゃに搔き乱した。早く風呂に入ってしまいたい。こんな頭でばあちゃんに会いたくない。
今日はなんなんだ。俺が何したっていうんだ。
すると小刻みで、リズミカルな吐息が聞こえてきた。キッチンの方から。
首を動かすと、おばさんが笑いを堪えきれずに肩を震わせていた。ふふふ、と息を漏らしている。
おばさんを見て思わず俺も、ふふ、と笑ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます