1・4③ 下着裁判

 床で正座させられている俺と夏を、裁判長はベッドに腰掛けながらじっと見下ろしていた。裁判長といっても、マヌケな本性は隠しきれないのか、どこか厳格中立な精神は欠けているように見えた。


 しばらくの沈黙の後、静かに判決は下された。


「勇人が悪い」


 即座に夏は「よっしゃあ」と言ってガッツポーズをした。


 分かってはいたし、判決に不服はない。ベッドに座っている早人は満足そうにうんうんと頷いている。


「ただですね、裁判長」

「はい、なんでしょう被告」

「罪に対する処罰が重くありませんか? 明らかに過剰防衛だと思います」


 俺の言葉に夏は「はあ!?」と声を荒げたが、早人が冷静に制止した。


「そうだなあ……状況をもう一度整理しようか。まず、ノックもせずに部屋に入ったのは明らかに勇人が悪い。夏の部屋なんだから、いくら幼馴染とはいえ配慮するべきだし、ただ制服を脱いでいただけの夏は何も悪くない」

「でしょ? そうよそうよ」

「静粛に。で、夏は勇人を必要以上にボコボコにしたと、そういうことですね? 被告」

「そうですよ。だって無抵抗の俺に、夏は股間を……よりによって男にとって一番大切な場所を全力で蹴り上げたんです。手加減無しでですよ。明らかに過剰防衛です。運よく無事だったものの、一歩間違えれば潰れていたでしょう。裁判長も確認したでしょ? いかに俺が深刻だったか!」


 少し大袈裟に訴えたが、早人は予想以上のシリアスな表情になった。


 数分前、すべての状況を把握した早人は開口一番、「勇人のそれは……無事なのか?」と、まるで『手術は成功したんですか?』と医者に尋ねるように言った。



――数分前――


「わかんない」

「わかんないって……確認したほうがいいだろ。もし潰れてたら俺がすぐ泌尿器科に連れてってやるから安心しろ」

「嫌だ! そんなとこに連れてかれるくらいなら死んだほうがマシだ!」

「なんでだよ! バカなこと言ってないで、早く確認しろって!」

「怖い! 無理! できない!」

「は? なんでだよ」

「だって……本当に潰れてたらどうしよう」

「泌尿器科に行くしかないだろ」

「見捨てるなよ! それでも兄貴か!? 弟が可愛くないのか!?」

「そんなこと言われても困るよ。駄々こねてないで早く見ろよ。今後の人生に関わることだぞ」

「嫌だ! 自分じゃ見れない。怖い。……怖い!」

「……じゃあ、俺が確かめてやろうか?」

「……え?」



 そんなことがありつつ、なんやかんやで早人はそっと俺をトイレに連行し、確認の手伝いをしてくれた。


 早人の励ましもあり、俺はようやく決心し、息子の安否確認を行ったのだ。

 確認している間、ずっと早人は「かわいそうに」と背中を撫でてくれた。そしてすぐに無事であることが分かり、俺と早人は歓喜し、熱い抱擁を交わしたのだった。


 俺たちが肩を組んで揚々とトイレから出てくる姿に、夏は「バカじゃないの」と本気で呆れていた。





「なるほどなあ。ボコボコにしたい夏の気持ちも分かるけどなあ……大事な部分を蹴り上げられた勇人のことを考えると、俺も思わず股間を守りたくなるくらい恐ろしいなあ……」


 早人が自然と、自分の股間に手を添えた。


 急に俺に同情し始めた早人の態度に、なんだか夏は不服そうだ。完全に自分の味方になってもらえると思っていたのだろう。


「いいか夏」

「なに?」

「襲われそうになったとか、連れ去られそうになったとかみたいな性犯罪に遭った時に男の股間を蹴り上げるのは分かる。それは正当防衛だ。ただ今回は蹴り上げなくてもよかったんじゃないか? 殴るだけでも良かった気がする」


 おいおい兄よ。殴るのはいいんかい。


「今回も十分性犯罪でしょ。下着を見られたんだよ?」

「ま、まあそうだけど……、でも、勇人のアレが潰れていたかもしれないんだぞ? もし勇人のその、なんていうんだ……その……ちん、いや……息子が、使い物にならなくなったらどうする。男にとってその、局部は心臓の次に大事な臓器だぞ」


 早人はオブラートに包もうと頑張っているみたいだが、包み切れていない。下ネタが苦手なんだろうし、女子である夏にそんな話をしたくないんだろうが、動揺しているせいでせっかくの語彙力を全く活かせていない。

 いつもは見せない焦った早人の姿は、なんとも滑稽だった。


「使えないならちょん切ればいいでしょ」


 ボソッと、聞こえてきた夏の言葉。


 鼓膜が音を捉え、脳に伝達される。言葉の意味を理解した瞬間、俺は立ち上がっていた。

 

「なあああ!? 何言ってんだお前!」

「何が問題なの? 使えないなら邪魔なだけでしょ。切ればいい」

「おまっ、うわあ……やっぱお前ってやばいわ。信じらんねえ。恐ろしいこと言うなほんとに」


 激しく動揺している俺に対して、夏はケロッとしている。女にはどれほど重要なことか分からないんだろうが、あまりにも恐ろしい発想に鳥肌が立っていた。


「なに? そんなに重要なの? 別に無くても死なないでしょ」

「死なないけど、俺は、いや男は、それがめちゃくちゃ重要なんだよ! それがないと困るんだよ!」

「別にそれが無くてもトイレくらいできるでしょ? 女みたいに座ってすればいいだけだよ」

「いや……トイレじゃなくて、その、色々困るんだよ! 使えないと、その、うん、困る!」

「どうして困んのよ! 言ってみなさいよ! ほら! ハッキリ言ってみろ! おいこの覗き魔!」

「なんてこと言うんだ!」

「事実だろこのヘンタイ野郎! 女子高生の着替えを見やがって! もっかいおんなじとこ蹴飛ばそうか!? 今度こそ再起不可能にしてやろうか!」


 夏の太い腕が伸びてくる。ああいつものパターンだ。どうしていつもこうなるんだ。

 夏とまともに会話する回数より、殴られた回数の方が多いのではないだろうか。


 夏に髪を引っ張られ、背中を叩かれる。このままでは本当に息子を潰されてしまう。


 助けを求めようとベッドを見たが、早人は途端に下を向いて、そして何も言わなくなってしまった。


 俺を見捨てるのか!?


 そう叫んでやりたかったが、よく見ると早人の肩が震えている。ついには「ふふふっ」という鼻息が早人から漏れ出した。


 突然のその笑いに夏は驚き、俺を殴る手を止めた。夏も初めこそはキョトンとしていたが、段々とつられてしまったようで、肩が震え始めた。


「ちょ、笑わないでよ」

「いや……お前らバカだなあって思って……ごめん」


 確かに、冷静に考えても、俺たちは相当なバカだと思う。くっだらないことで毎度騒ぎを起こしている。

 早人もよくこんな茶番に付き合ってくれるもんだ。


 気が付くと三人で大笑いしていた。自然と目から涙が溢れてきてしまう。


 やっぱり俺たちは、精神年齢が小学生の頃と大して変わっていないのかもしれない。体だけデカくなってしまっただけで、幼い部分がちゃんと残っている。



「じゃあ俺バイト行ってくる」


 しばらく笑った後、早人はそう言って立ち上がり、黒いリュックを持った。


「は? お兄ちゃん今日もバイトだったの? テスト近いじゃん」

「テツさんに来月のシフト渡しに行くだけだよ。すぐ帰ってくる」

「あ、なるほど。いってらっしゃい」


 手を振りながら早人は颯爽と部屋から出ていった。早人の階段を降りる音が、部屋にも静かに響き渡る。



 夏と、二人きりになった。


 さっきまでうるさいほど喋っていたのに、急に静かになってしまった。

 夏は俺と目を合わせようとせず、少し気まずそうにしている。自然と俺たちは正座をやめてベッドに座り、あぐらをかいていた。


「夏」

「なに」

「さっきは……ほんとにごめん。俺が悪かった。これからはノックするから」

「ああ、もういいよ。私もやりすぎた。大丈夫? その……大事な部分」

「うん。多分大丈夫。もし機能しなかったら夏が責任取ってくれればいいよ」

「はあ?」

「冗談、冗談だよ。そうやってすぐに殴ろうとすんなよ」


 頭上にあった夏の拳がゆっくりとベッドに降りていく。あと少しで右ストレートを食らうところだった。なんでこうやってすぐ殴ろうとするかな……。暴力的すぎる。


 降りてきた夏の拳を見ていると、すぐ横に、夏の脚があるのに気が付いた。


 短パンのせいで、夏の脚のほとんどが見えている。少し姿勢を変えれば、短パンの奥まで見えてしまいそうだった。


 決して細くはない、骨太の脚。

 毛の処理が中途半端で、太ももあたりには産毛が生えている。それなのに、脚を見ただけで心臓の奥が重く響いた。


 脚から視線を上げると、そこには俺にはない大きな膨らみがあった。寸胴のせいで平坦に見えるが、近くで見るとやはり女なんだな、と分かるくらいの形はある。

 見ないようにしていたのに、下着姿を見てしまったせいで変に意識してしまう。


 やっぱり俺はバカだ。


 細くもない脚、くびれてない腹、特別かわいくもない顔の夏を、直視できない。今まで平気だったのに、途端に平常心を保とうとするので精一杯になってしまった。


 早く逃げないと危険だ。身体が持たない。


「俺も帰るわ」

「あ、私も行く」

「へ?」

「あんたの部屋にハガレンあったでしょ?」

「え? うん」

「じゃあ16巻もある?」

「あっ、当たり前だろ。……とっくの昔に買ったよ」

「よかった。読みたいから部屋行っていい?」

「へっ!? あ、わ、分かった」


 心の動揺を悟られないよう、必死に平静を装う。

 そんな俺の努力は微塵も気付いていない夏は、さっさと立ち上がって部屋を出て行ってしまった。


 ドアへと向かう太い脚を、こっそり眺めてしまった自分の両目が恨めしい。


 いっそこっちの玉を潰してしまいたい。

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