1・4① もうすぐ夏休み
――2007年7月――
明日から期末テスト。
そのせいかクラスのみんなの顔が暗かった。でも、これが終わってしまえばすぐに夏休みだ。
「勇人おー帰ろうぜー」
ホームルームが終わり、荷物を片付けていると木田が颯爽と俺の席にやってきた。バスケ部なのに肌が黒く、今にも「ファイト一発!」とでも言い出しそうなほどケインコスギそっくりのやつだ。
「あっちーなぁ。うちの学校も加減エアコン付ければいいのにな。いつまで扇風機で粘るんだ。死んじまうよ」
「あと数年したら付けるんじゃねーの?」
「数年後じゃ意味ねえじゃん! 俺らとっくに卒業してんじゃねぇか!」
教室を出ようとした時、担任の田所に呼び止められた。
若干横柄な態度だが、特に生徒から嫌われるようなことはしない先生。ただ、校則を守らないやつと頭の悪いやつには当たりが強い。
「杉山、お前志望校調査書まだだろ。早く出せよ」
「はい。すんません」
これ以上田所に何も言われたくなくて、逃げるように教室を出た。自然と早歩きになる。その時だ。
「おい木田! ミサンガ禁止って何度言えばわかるんだ!」
突然の田所の怒号。思わず肩が上がった。
振り返ると、木田が小走りで俺の後を追いかけてきていた。意味もなく俺も、歩みを速める。
「やっべーバレた」
木田が右腕をひらひらと振る。その手首には、赤と白の紐が丁寧に編み込まれたミサンガ。
「お前バカか。なんで外してこなかったんだよ」
「バレないと思ったんだよ」
「手首でバレないわけないだろ! 足にしろよ!」
田所の視界からなんとか逃れようと、脚のスピードが上がる。もはや走っていた。
「というかお前、まだ調査書出してなかったのかよ。どうせカス高だろ?」
「どうせってなんだよ」
「だってお前が行けそうな高校ってカス高くらいしかないだろ? 俺の兄貴もカス高だぜ」
「お前の兄貴って……あの、照英に似てる人?」
「そう。よく覚えてんな」
県立
本当は加須美第二高等学校もあったそうなのだが、少子化と田舎所以の過疎化というダブルパンチに抗えず廃校になってしまった。結果カス高は第一という名の通り、ナンバーワンだけでなくオンリーワンにもなってしまったのだ。
カス高は地元の公立高校の中で、一番偏差値が低い学校だ。
低いと言っても、生徒のピンキリが激しいだけで、学年上位と下位では偏差値が一気に変わる。
クラスの大半が就職か専門学校に進むが、大学進学を目指す人もそれなりにはいて、有名私立に進学する人も学年に数名いるらしい。
ただ大半は受験に失敗した人が多いため、生徒間には情熱がない。名前の通りいろんな意味でカス高校だ。
当然、夏もそこに通っている。
夏は受験に失敗したわけではなく、カス高しか受験しなかったタイプだ。カス高以外受からないだろうとハナから自覚していたんだろう。
「それにしても、お前の兄貴もカス高だなんてな。頭いいのにもったいない。本番に弱いタイプはいろいろ損だよなあ」
「そうだな……」
早人はどんな私立中学にも行けるくらい優秀だったのに、最終的にはみんなと同じ地元の中学に進学した。
理由はシンプル。中学受験に失敗したからだ。
ただ、決して頭脳が足りなかったわけではない。
本命校の試験前日にインフルエンザで高熱を出し、とても本領発揮できる状態じゃなかったのだ。不運は続くもので、二次試験でも、滑り止めの学校でさえも、試験当日に必ず腹を下し試験の大半をトイレで過ごしたため全然問題を解けなかったそうだ。
結局どこも受からず、不合格通知の山に囲まれた早人は、ひたすら母さんに謝っていた。
それでも高校受験で巻き返すのかと思いきや、早人はなぜか周囲の反対を押し切ってカス高に進学した。3年間本気で勉強すれば、高校生クイズに出場するような偏差値の高い学校に入学できただろうに。
当時の担任が「記念受験だけでも」と説得したのに、早人は断固としてカス高しか願書を出さなかった。理由を聞いても絶対に口を開かず、俺にでさえ何も教えてくれなかった。
「木田は? どこ行くんだ?」
「俺は
「え? 八馬田学園のこと? 男子校だろ? なんで? 一緒にカス高行こうぜ」
「嫌だ」
「なんで?」
「兄貴と同じ学校は嫌なんだよ。それに八馬学は全寮制だから。さっさと家から出られるなら男子校でもいい」
昇降口に着くと、他の学年のやつらもいて少し混雑していた。テスト期間はみんなの下校時間が被るからいつもこうなる。
まっすぐ自分のクラスの下駄箱に向かうと、俺の靴箱の前で二組の笹井が立っていた。
笹井は今こそ違うクラスだが、二年の時は同じクラスで一緒に体育委員をしていたり、修学旅行で同じ行動班だったりした割としゃべったことがある女子だ。元気で活発なタイプで、男子から結構人気がある。
木田は笹井に気付くと、ニヤつきながら「俺、行くわ」と言って昇降口から立ち去り、どこかへ消えてしまった。木田は俺と同じくらい勉強ができないバカだが、察しだけは人一倍いいやつだ。
このまま立っていても仕方がない。
「笹井? どした?」
「あ、久しぶり」
突然俺に話しかけられたせいか、笹井は焦ったようだった。
去年まではショートヘアだったのに、今はすっかりロングヘアーになりポニーテール姿になっている。なんだか……去年より、女らしくなった。
「ちょっと話があって。よかったら一緒に帰らない?」
「え? あ……」
周りを見渡すと案の定、木田が下駄箱の陰からこちらを見ていた。
絶対に近くで観察しているだろうなと思っていたが、予想通り過ぎて呆れる。木田をよく見ると「しっしっ」と手を払うような仕草をしている。さっさと行けということだろう。
「無理?」
「いや……いいよ」
そう返事しながら木田を見ると、満足そうに頷いていた。いちいちムカつくやつだ。
笹井は帰る方向が同じだが、部活が違うしクラスも変わったし、なんだかんだ一緒に帰るのは初めてかもしれない。
今まで話したことは何回もあったものの、いざ二人きりになったら何を話したらいいのか分からない。話題が見つからなくて困る。
しばらく沈黙のまま歩いていたが、一つ目の信号に差し掛かったところで、ようやく笹井から話し始めた。
「杉山くんってさ、夏休み忙しい?」
「え? 俺? んー……まあ、予定がない日は暇かも」
「暇かも」ではない。「暇」だ。マンガを読むかゲームをするか、受験勉強もどきをするしか予定はない。というかそんなもの予定とは言わない。
「じゃあさ、夏休みのいつでもいいから映画見に行かない?」
「え、映画? 二人で?」
「うん」
意外過ぎる提案。
笹井からそんな提案をされるとは全く思わなかった。何度か遊んだことはあったが、それは数人で出かけただけで、決して二人で映画を見るほどの距離感ではなかったし、そんな仲ではなかった気がする。
「無理?」
「えっと……」
なんて言えばいいのだろう。予定的にはダメではないし、断る理由が見つからない。ただなんとなく、女子と二人きりで出かけるのに抵抗感があった。
「えっと、何見るの?」
「んーハリーポッターとかどう?」
「あ、なるほどね」
ハリーポッター。そう聞いて思い出すのは、早人の姿。
早人の机の横には小さな本棚があり、ハリーポッターシリーズが全巻揃えられている。他にもさまざまな本が並んでいるが、タイトルを見ただけで細胞が拒否してしまうほど、難しそうなものばかりだ。
洋画好きのあいつはハリーポッターの新作を見るために一人でも映画館へ行くし、金曜ロードショーで放送されるときは必ず録画している。
ハリーポッターオタクとでも言うのだろうか。本人はただの「にわか」だといっていたが、俺からしたら早人は十分オタクだ。
恐らく今回のハリーポッターもとっくに映画館で見ているだろう。
そんなことを考えていると、俺の家の前に着いてしまった。
笹井の家はさらに5分ほど歩いたところにあるため俺が先に家に着くのは当然なのだが、どう話を切り上げていいのか分からず立ち止まってしまった。
何か笹井に言わなければ。でもネタがない。何を言えばいいのか分からない。それは笹井も同じらしく、話題を考えているようだった。
脳内処理が終わる前に口をとりあえず開けた時、突然バシッと後ろから頭を叩かれた。
「勇人! 何してんの!」
夏だった。
落書きだらけのスクバを背負いながら自転車に乗っている。ゆるめに縛られたリボンに、キャラメル色のニットベスト。それに校則ギリギリまで短くしてある青のチェックスカート。見慣れたカス高生の格好だ。
夏は自転車から降りると、俺と笹井を交互に見てニヤリと笑った。
「かわいい子じゃん。勇人やるねえ」
確実に勘違いしている表情。変に誤解されると後が面倒だ。夏はすぐ周りに言いふらすから早めに手を打たないといけない。
「バカ、そんなんじゃないからマジで。早人とかばあちゃんに変なこと言うなよ」
「あっそ。まあ、ごゆっくり」
夏はそのまま家に帰っていってしまった。突然猛獣に乱入された笹井はただただ戸惑っている。
「あの人……もしかして高倉先輩?」
「え? 笹井、夏のこと知ってんの?」
「有名だよ。だって去年昼休み中に教室来たじゃん」
「そうだっけ?」
「うん。『勇人いるか! 弁当忘れただろ! おばあちゃんが怒ってたぞ!』って弁当持って入ってきてたでしょ?」
あ。
去年、部活の朝練で家を早く出た時に弁当を持っていくのを忘れて……ばあちゃんが夏に俺に渡すよう頼んだのだ。
休み時間にこっそり渡してくれればいいものを、夏はホームルームが始まる直前というクラスメイトがほぼ全員揃っている状況で、大声で俺の名前を呼びながら堂々と教室に乱入してきた。あまりにもそれが勇ましくて、道場破りみたいだった。
「幼馴染だっけ?」
「そうそう。家が隣でさ」
「そっか。あ、それで映画、どう? 行けそう?」
「そうだな……」
別に嫌ではない。嫌ではないけれど、二人きりで映画に行くとなると、いろいろ考えてしまう。
どうして二人きりで映画に誘うんだ? それに何で急に? クラスが変わってから全然話してなかったのに。
勘が正しいなら、そういうことなのだが、でももし俺の勘違いで、ただ自意識過剰なだけだったら申し訳ない。でも最近ほとんど話していなかった女子から映画に誘われるなんて、そういうことなのかな? と考えてしまうのは普通のはずだ。
そんな考えがずっと脳裏でぐるぐるしていて、しばらく考え込んでしまったが、悩んでいる時間が長いせいか、笹井は控えめに言った。
「じゃあさ、テスト期間中考えてみて。返事は今すぐじゃなくていいから」
気を遣わせてしまったみたいだ。
「分かった」
曖昧に返事したが、笹井は満足したのか、「じゃあね」と言って帰っていった。
とりあえず誤解を解こう。夏に会わなければ。
そういえば、俺が笹井といたところを見た夏は、驚くよりもニヤニヤしていた。ショックなど微塵も受けていないようだった。
やっぱり、俺の一方的な熱のままなのだろう。11年前となんにも進展していない。
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