1・3② きょうだいじゃなく、幼馴染だから

 リビングに入ると、エアコンの風が今まで首筋を湿らせていた汗をスッと冷やしてくれた。キッチンではばあちゃんがカレーを煮込んでいたようで、相当なスパイシーの香りが部屋に充満していた。


「おかえり早人。あれ? 勇人は?」

「ただいま。勇人は二階に行った。あ、ばあちゃんごめん。今日はまかない沢山食わされたから、ちょっとしか食べられないかも」

「そう? まあそれなら明日の朝食べな」


 和室に入り、朝脱ぎ捨てた部屋着を拾い上げる。ズボンを脱ぐと、直射日光から日陰に避難した瞬間のように肌が一気に涼しくなった。

 太ももの汗を感じた時、ふと先ほどの夏たちの言葉が蘇ってきた。

 

 『マヌケ!』『もっとちゃんとしなさいよ!』『俺心配だよ』



 あまりの恥ずかしさに溜息すら出ない。


 気を付けよう確認しようと思っても、急いでいたり焦っているとついつい何かをやらかしてしまう。それをいつも勇人や夏が助けてくれていた。


 あの二人はよく似ていると思う。正直なところも、しっかり者なところも、勉強が苦手なところも、俺を助けてくれるところも、運動ができるところも、みんな。



 いつも三人でいたけれど、いつの間にか俺だけ取り残されてしまったような気がする。

 俺だけ塾に通い始めた頃から、なんだか見えない壁ができた感じ。


 二人より一足先に中学生になってしまった俺は、部活が始まり帰宅時間も遅くなり、二人と過ごす時間が昔と比べて明らかに減った。

 

 それに当然勇人も夏もそれぞれ同級生の友達がいる。


 放課後カラオケに行くのも、マックに行くのも、ゲーセンに行くのも、当然クラスメイトや部活仲間だ。成長するにつれて交友関係が自然と広がるわけだ。


 思春期の男女が埃臭いあの部屋でいつまでもゲームをしまくっているほうが異常なのは分かっているのだけど、三人が揃って昔のような距離感には戻れないのかと思うと心がチクリと痛む。


 別にお互いを避けているわけでもないし、三人集まってくだらない話をしたりチャンネル争いをすることもあるのだが、少し物足りない。そのたびに俺たちはやっぱり「幼馴染」なんだなと思わされてしまう。


 親しき中にも礼儀ありという言葉通り、成長とともにお互いに配慮するようになってきたのかもしれないが、俺は配慮のかけらもない無秩序な空気感が好きだった。


 本当に三人きょうだいなのではないかと錯覚するほど、一切遠慮のない関係性が最高に心地よかった。


 もしあの頃に戻れたら。


 そんなことを何度も考えてしまう自分がいるのは、どこか今の生活に寂しさを抱いているせいなのかもしれない。





『ブルーな気持ち! シュ! シュ!』


 テレビを見ていると、勇人がようやく一階に降りてきた。


 いつ見ても羨ましいくらいの美形。本人は自覚がないだろうが、勇人はいわゆる「イケメン」の部類で密かにモテている。その証拠に、同級生の女子から「あの子、杉山くんの弟なの!?」と聞かれたことが何度もあった。地味顔の俺とは大違いだ。


 ばあちゃんはあくびをしながら雑巾を縫っていたが、勇人を見るなり「勝手によそって食べな」と呟いた。勇人にできたてのカレーを食べてもらえず拗ねているのだろうか。


「なあ勇人」

「え、なに」


 話しかけたのが突然だったせいか、怯えたような顔で反応されてしまった。……なんか傷つく。


「まかない持って帰ってきたから食べたかったら食べて。冷蔵庫にあるよ。なんだと思う? トンカツだぞトンカツ。勇人も好きだろ? カツカレーにして食べれば?」

「あ……分かった」


 いつもなら大喜びするはずなのに、勇人は特にこれといった反応をせずそのままカレーを温め始めてしまった。


 なんだろう。反抗期でもない妙な雰囲気。


 勇人は時々、俺をじっと見つめては暗い顔をする。夏といる時も、時折辛そうな顔をする時がある。悩み事でもあるのか不満でもあるのか。でも何も言ってこない。


 「悩みでもあるのか?」と聞いてみたこともあったけど、勇人は「なんでもないよ」と答えるばかりでそれ以上は教えてくれない。「なんでも相談しろよ」とか「いつでも頼っていんだぞ」と言っても「子ども扱いするな」とそっぽ向かれてしまう。


 思春期ってこんな感じだっただろうか。こういう時は無理に干渉せず、なるべく放置してあげたほうがいいんだろうか。


 普段は普通に仲良く話してくれるのに、勇人は時々突然静かになるから困る。その理由が分かれば俺も楽になるのに。



 結局勇人は、トンカツを温めることも食べることなく食事を終えてしまった。






 昔荷物置き場だった二階の部屋は、俺と勇人の部屋になっている。


 二段ベッドが中央にあり、ドアから見て右側が勇人のテリトリー、左側が俺のテリトリーだ。

 12畳をちょうど半分、つまり6畳ずつスペースがあるわけだ。男二人が同じ部屋というのもむさ苦しい気もするが、プライベート空間は二段ベッドのおかげで辛うじて守られている。


 無理やり二分割した部屋でも、パッと見ただけでそれぞれ違う人物の空間だと分かる。


 机の上に並ぶ私物も、服のチョイスも、散らかり様も全く違う。勇人の足元は乱雑に学校指定カバンやエナメルバッグが放り投げられていて、プリントが散らばっている。


 机の隣にある本棚に並んでいる本も俺は小説が中心だが、勇人の本棚はジャンプやサンデー、少年マガジンといったマンガ雑誌と単行本しかない。小説など一冊も置かれていない。


 勇人は何かラジカセで音楽を聴いていたようで、耳にイヤホンをしていた。俺が部屋に入った途端、勇人はビクッと驚きこちらを向いた。


「な、なんだよ」

「……いや、別に」


 黙って自分の机に向かおうと思ったが、ふと勇人のイヤホンから漏れている音楽が気になってしまった。


「なに聴いてんの?」

「……GReeeeN」

「何の曲?」

「愛唄」

「え? 勇人CD持ってたっけ?」

「いや、友だちの。クラスみんなで回して聴いてる」

「マジ? MD₁に入れたいからあとで貸してよ」

「……いいけど、お前まだMDなの? バイトしてるならiPodくらい買えば?」

「そのうち買うよ。そしたらMDウォークマンお前にやるから」

「いいよ別に。俺も高校生になったらバイトしてiPod買うし」

「あっそ」

「あ、せっかくだからCD焼いてくんねぇ? 来週返さなきゃいけないからさ、週末までに焼いといてよ」

「仕方ないなぁ」

「サンキュー」


 適当に返事すると、勇人は机に向かい、もう俺の方を見なくなった。


 勇人のさっぱりとした対応が心に残りつつも、席に向かう。そっと椅子に腰かけたその時、小窓の向こうから光が見えた。その光の正体を悟ると、自然と笑みが零れた。


 窓の向こうに見えるある空間。緑で溢れたそこは床に服やプリントが散乱していて、壁には香取慎吾のポスターが張り巡らされていた。


 散らかり放題のその部屋で夏が一人踊り狂っている。髪を振り乱し、全身を使いながら激しく。


 夏の耳をよく見ると、イヤホンをしているのが分かった。だから音こそ聞こえないが、きっと今日もお気に入りのSMAPの曲を聴いているのだろう。


 肘をついてその様子を鑑賞する。


 窓枠から見える世界だからか、なんだか動物園でじっくり檻の中を観察している気分だ。でも夏は野生動物同然だからあながち間違っていないのかもしれない。


 しばらく経っても俺の視線に全く気付いていないのが余計に笑えた。


 終いには椅子の上に乗り出し、ロックフェスのようにタオルを振り回し始める始末だ。こんなのSMAPではなくもはや湘南乃風ではないか。


 夏の乱舞に思わず吹き出しそうになった時、「ぶっ」と空気が漏れ出たような音が鳴った。頬杖をついたまま音の出所に視線を向ける。


 そこには、俺と同じように目の前の小窓で、俺と全く同じ光景を、俺と全く同じ姿勢で眺めていた男の微笑みがあった。


 頬の緩みを抑えようとしているのか、不器用に口をヒクヒクとさせている。先ほどまであんなに固くなっていた表情が驚くほど解れていた。


 卓上ライトの光なのか、夏の部屋からの明かりなのか、その瞳はリビングで見た時の何倍も輝いているように見えた。





……………

₁MD:ミニディスクのこと。CDよりも小さく、iPodの前によく使われていたアイテム。好きな曲を入れて自分オリジナルのアルバムを作ることができた。

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