1・2⑤ 拝啓 幼すぎた俺たちへ
――2002年――
『えいっ! ファイヤー!』
「げげげっ!」
テレビ画面の左半分で、次々と連鎖が続いていた。
複雑に積み重ねてあったぷよたちが、待ってましたというばかりに一つ一つ着実に消えてく。さっきまで限界ギリギリまで積み上がっていたはずのぷよは、半分以下になっていた。
「うわあああ! やめろおおお!」
俺が発狂している間にもぷよは消えていき、ついに画面に『全消し!』という文字が踊り出た。
「大打撃~!」
夏の高らかな声と同時に、俺の画面におじゃまぷよが一気に落下し、撃沈した。
目の前で起きた現実が受け入れられず呆然としたが、横を見ると、俺と同じソフトモヒカン頭……ベッカムヘアにされた男が、口を開けたままぼんやり画面を見ていた。
勝ったというのに特に嬉しそうでもないし、全消しを達成したのにガッツポーズすらしていない。
そんな俺たちの横で、腹を抱えながらゲラゲラ笑っている夏。男は何がそんなに面白いのか分からないようで、きょとんとしていた。
夏の家には大量のゲームがある。
といっても、大半は夏のゲームではなくおじさんのゲームだ。おじさんは極度のゲームマニアで、ゲームをするための部屋、いわゆる「ゲーム部屋」があった。
窓もない5畳程度の狭い空間だが、子どもがゲームをするには十分すぎる部屋だった。
テレビを中心に、ゲームボーイ、ファミコン、プレステやドリームキャスト、ゲームキューブが並ぶ室内。
スーパーマリオやドラクエももちろん、桃鉄、電車でGO、鉄拳、ファイナルファンタジー、ゼルダの伝説、バイオハザード、ソニック、ポケモンなど有名なゲームは基本なんでも揃っていて、一日遊び倒しても足りないくらいだった。
幼稚園生だった頃から俺たちはその「ゲーム部屋」でゲームをしまくっていた。それは小学生になっても変わらず、学校帰りにこうしてゲーム部屋に集まっては、くだらない話をしながらゲームに浸っていた。
「ゲーム部屋」は俺たちの娯楽部屋であり、幼少期を彩ったかけがえのない空間なのだ。
『ばよえ~ん!』
「なんでえええ!?」
何度挑んでも、デジャヴかと思うほど同じ展開ばかり。何度やっても勝てない。何度も何度も挑んでも一度もぷよぷよで勝てた試しがない。
「大打撃~!」
「なあああ!」
夏はやはり楽しそうに笑っている。ボロクソに負けている俺を見て涙が出るほど笑い転げるのが、夏のスタンスだ。
早人はぷよぷよの名人で、おじさんでさえ勝てなかった。
夏は自分が勝てないと悟ると、一切ぷよぷよをしなくなり、俺が早人に惨敗する様を笑って観察するようになっていた。
早人は1990年生まれ、俺の二つ年上の兄だ。
年の近い兄弟あるあるなのか、俺たちはいつも同じ髪型にお揃いの服を着て、まるで双子のように育てられた。ただ格好こそ共通していたが、顔も中身もなんにも似ていなかった。
杉山早人、通称「マヌケ」。
鈍くさくて、ボーっとしていることが多く、口数も人より少ないやつだった。女子よりも細身で、内気で軟弱。ある時期を過ぎてから、俺の背が急激に高くなってしまい、俺が兄だと勘違いする人もいた。
ただ早人は、頭だけは誰よりも良かった。
テストは毎回100点が当然で、小学生のうちから太宰治だの夏目漱石だのシェイクスピアだのを平気で読んでいた。それが功を奏したのか、読書感想文は毎年のように学校代表に選ばれていたし、自由研究に至っては、全国の作品の中で佳作に入賞していた。
そんな優秀ぶりを発揮した早人が、中学受験をあらゆる教師から熱烈に勧められたのはごく自然なことだった。
あまりの教師の猛プッシュに、母さんが渋々早人を進学塾に連れていったのは2002年のこと。小3、小4から長い間受験勉強しているやつも大勢いる中、小6の早人はたった一か月で塾内のトップを争うほどの逸材になってしまっていた。
塾の先生が「早人くんならどこでも行けますよ!」と母さんにあらゆる私立中学のパンフレットを渡していたのを今でも覚えている。
画面は桃色一色で彩られていた。
そんな舞台の中、溌溂と『桃色片想い』を歌い、踊っている桃色のあやや。俺と早人はキラキラしたその画面に釘付けだった。
松浦亜弥。
突如平成に現れた新星のアイドル。整ったビジュアルに確かな歌唱力。それに愛嬌のあるキャラクター。好きにならないわけがなかった。
俺はこの時、あややにハマっていた。
夏の香取慎吾に向ける熱量と比べたら足元にも及ばないが、でもあややのCMが流れればすぐにテレビに張り付くぐらいには彼女のファンだった。
そろそろ二番のサビというときになぜか突然、ぶつん、という音とともに画面が真っ暗になり、あややが忽然と消えてしまった。黒い画面に、俺と早人の顔がうっすら映っている。
停電か? と初めこそ思ったが、画面の奥をよく見ると俺たちの後ろで夏が立っていた。振り返ると、夏がチャンネルを持って仁王立ちしていた。
夏が消したのだ。松浦亜弥を。俺のあややを。
「なんだよ消すなよお」
文句を言ったが、夏は平然としている。それどころか、にんまりと不気味な笑みを浮かべた。
「ねえ、久しぶりに鉄拳しよ」
それ聞いた途端、あややを消されても揺れなかった早人の顔が一気に青ざめていった。俺も思わず息を飲んだ。
しかし、夏の提案には誰も拒否できない。断ればリアルな鉄拳で襲われることが分かっていたからだ。俺たちに選択権など無い。
『Round1 Fight!』
必死にコントローラーを操作し、風間仁を操作する。
俺にコントロールされ無我夢中で腕と足を振り回す風間仁の攻撃を、夏の操作するファランは全てかわし、逆に返り討ちにされてしまった。
風間仁の体力ゲージが一気に赤く染まっていく。俺もコントローラーを操作しているはずなのに、なぜか夏の方は全くダメージを受けていない。結局ファランには一撃を与えることもできず、『Perfect !』という声とともに、K.O.となった。
ぷよぷよの時は素早く操作していた早人でも、夏の繰り出す技の数々を目で追えなかったようで、何度も瞬きをしていた。
鉄拳では、夏が一番強かった。キャラクターだってほとんど夏がコンプリートしたものだ。
一方早人は鉄拳が一切できなかった。
「ノロマ」で「マヌケ」な早人は頭を使うゲームはできるが、俊敏さや複雑なコントローラー操作が重要になる格闘ゲームは全くできなかったのだ。
夏は最初こそ揚々と早人をボコボコにしていたが、早人が弱すぎることで段々とフルボッコにすることに飽きてしまい、いつの間にか辛うじて標準的な攻撃ができる俺が夏の相手をする羽目になっている。
「勇人弱すぎー相手になんなーい」
夏に軽く5回連続で敗北したところで、そう吐き捨てられてしまった。
年下所以かもしれないが、早人にも夏にも、ゲームで勝てなかった。負けることに慣れてしまった今では、割り切って夏の相手をしている。
しかしそんな俺でも、悔しさから泣き喚いた時期があった。
――1998年――
「うわあああん! 夏のバカあああ!」
「え、勇人なんで泣いてるの!? 私が悪いの?」
「夏、いい加減にしなよ。夏ばっかり勝つから勇人泣いちゃったじゃん」
俺が6歳の時、『鉄拳3』が販売された。
当然おじさんは即購入していて、それに喜んだ俺はさっそく夏と対戦してみたものの、やっぱり何度やっても勝てなかった。
俺が一番年下だから夏に負けるのは当たり前だったかもしれないが、でも負けず嫌いの俺は本当に悔しくて、自然と涙が出ていた。
どうして勝てないのか分からなかったし、何度やっても負ける自分が腹立たしくて、感情の行き場もなくただ泣いていた。
号泣しながらコントローラーを操作する俺に、夏はドン引きだったし、早人は年下相手に本気で勝負する夏に注意してくれた。
でも俺は、手加減されるのも嫌だった。お互いハンデなし手加減なしの本気で戦って、それで勝ちたかった。
「じゃあ、もう一回やろう、ね? もう一回だけやろう勇人」
「……うん」
夏に納得されもう一度対戦すると、今まですべての攻撃を難なくかわしていた夏が、驚くほど無抵抗で俺の攻撃を受け続けていた。
意外な展開に動揺しつつもとにかく操作した俺は、結局いとも簡単に夏に勝利した。
驚いて二人を見ると、夏は「よかったね、勇人強いね」と褒めてくれ、早人が優しい目で俺を見ていた。
あまりにも分かりやすい様子で、子どもでも分かった。
夏は本気で戦ってない。俺のために、俺の機嫌をよくするために、わざと負けたのだ。
「夏のバカ!」
「え!? 何で!?」
「なんで本気でやらないんだ! ふざけんな!」
夏に怒りが湧いてきて、余計に悔しくて、泣いて暴れてしまった。
俺はこんなやり方で勝ちたかったんじゃない。本気の夏に本気で戦って、本当の、正真正銘の勝利が欲しかったのだ。作り物の「勝ち」なんて欲しくなかった。
初めは驚いていた夏も、せっかく気を遣って手加減したのに怒られたからか、「なんなのもう!」とキレてしまい、ついには大喧嘩になった。
互いの髪を引っ張り、腕を噛み、服をひっぱり、足で足を蹴り合う。
今考えると本当にどうしてあんなに泣いたのか分からない。でも子どもは、ちょっとのことで本気になり、必死になり、全力で喧嘩するものなのだ。言葉で感情が説明できない分、気が済むまで、感情のぶつけ合いをする。
ただその時一番気に食わなかったのは、どんなに鉄拳で夏に叩きのめされようと惨敗しようと、一切悔しがらず「強いね」「すごいね」と言って平然としている早人の態度だった。
俺はこんなに悔しくてたまらないのに、早人は何度負けても一切気にせずケロッとしていた。
早人も惨敗するたびにコントローラーを叩きつけて大暴れするぐらい悔しがっていたら、俺も少しは気が晴れたはずだ。こんなに悔しい思いをしているのが俺だけで、二人は何も思っていないのが苦しかったのだ。
「ちょっと、二人ともやめなよ。ね、ねえ、ケンカはダメだよ」
その時、ただただ慌てているだけの早人にイラつき、思わず勢いでその頬を拳で殴ってしまった。
突然殴られた早人は痛みと衝撃で、びっくりしていた。俺も殴った瞬間「ヤバい」と思ったけど、直感通り、早人は声も出さずポロポロと涙を流し始めた。
「な、ちょっと! なんでお兄ちゃんも殴るのよ!」
夏は夏で、早人が泣いているのを見て余計に俺に怒り、拳を振るった。
感情の収拾が付かなくなった俺も、泣き喚きながら夏の髪を引っ張り、頬を引っ掻いた。
そうして、三人「ゲーム部屋」で泣き喚くという地獄絵図ができあがっていた。
そんな幼すぎた90年代の頃と比べれば、21世紀は随分平和にゲームをするようになった……はずだ。
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