猟犬

「わ! 可愛いー!」


「ちょ、ちょっとエシー姉。こんな場所で不用心に動かないで。にしても犬、ですか? 子犬?」


 殺伐とした場所で思いがけぬ癒しの姿を見て、エシリースとスティカが目を輝かせた。

 黒い柴犬のような外見で、こちらを見ながら舌を出して目を潤ませたそれは、ややこちらを警戒する様子を見せながらもゆっくりトテトテと歩を進めてくる。


「(犬だと? こんな魔や獣の巣窟でか?)」


 ライカが訝しむが、確かに見た目は子犬と言って間違いない。

 自分達にはアンナと出会った森での狼親子との一件があるため、尚更警戒感が希薄に感じる。

 試しに以前と同じように【伝想】でコミュニケーションを図ってみたが、相手側にこちらの理解できるような反応は無かった。


「……どうしたんでしょう? 親とはぐれたんですかね?」


 自分と同じように【伝想】を使っても反応が無かったことにアンナが首を傾げる。

 今までの魔物とのギャップにアンナもやや危機意識が薄れていたのは自分と同じだったらしい。

 反対側で焚火の用意をしていたドアニエルが気付いたのがその時だった。


「!! そいつから離れろ!」


 黒い子犬を見た途端、ドアニエルが叫ぶ。

 と同時に、怒号に反応したメリエが武器を構えて前へ出た。


「チッ! こいつらまで移動してきているのか」


 今までにも様々なクセのある危険な魔物が出てきたが、魔物に対して常に冷静だったドアニエルがここまで取り乱したのは初めてかもしれない。

 その雰囲気に、自分とライカも即座に臨戦態勢を取る。


「カガミ、光石をありったけ出せ! 全員一か所に集まるんだ!」


 ドアニエルは鬼気迫る声で指示を出すと、大刀を下段に構え下に気を払った。

 尋常ならざるドアニエルの迫力に、ライカを含めた全員が驚き、指示に従う。

 ドアニエルの言葉を聞くや否や、カガミがマキビシのような形の薄黄色っぽい石を土の大地にぶちまける。

 バラバラと自分たちの周囲に満遍なく転がったそれは、土の上で白い光を放ち始めた。


「今はこれで全部です。あまり長くは持ちません」


「ここから里までの距離は?」


「我々の足で駆けても、まだ半日はあるでしょう」


「……この人数で逃げ切るのは現実的ではないな」


「……シグレ、やるわよ」


「わかった」


 カガミ達一行の表情からは余裕が消えていた。

 普段のほほんとしているシグレも、今回ばかりは目つきを変えて獲物を手にしている。

 それだけの手合いということ、なのだろうが、見た目はやはりただの犬にしか見えない。

 そのせいもあってこちらの面々は戸惑いの方が大きい。


「お前達、この光石の落ちている範囲から外に出るなよ」


「どういうことだ?」


 ドアニエルは、例え見た目が可愛らしい子犬だとしても、間合いに入れば即座に両断するという気概で剣を構えたままメリエに視線を動かす。


「お前もハンターギルドの人間ならば聞いたことくらいはあるだろう。悪名高い未開地の猟犬」


 それを聞いたメリエがハッとする。


「未開地に……黒い獣……まさか、こいつが?」


「そうだ。見た目に惑わされるな。親が潜んでいるぞ」


「……もっと北限の魔獣だろうに」


「未開地は深部でつながっているから在り得ない話ではない。だが、今までにこのクラスの化け物がここまで集落近くに来ることは無かった……これも森の異変の兆しか」


「で、この犬は結局何なの?」


影狼シャドウウルフだ。前に話したことがなかったか?」


 ……思い出した。

 自分が母上と暮らしていた森にやってきた狼の姿をイメージして【転身】を使った際、体色がそのままになって黒い狼に変身した時の事。

 自分の姿を見た周囲の人間の様子がおかしいことから始まり、メリエが教えてくれた魔物。


「(この小さい犬が? 僕が変身した時に周りの人たちが勘違いした魔物だよね?)」


「(そうだ。厄介な特殊能力を持ち、下手な竜種よりも高い危険度認定が下されている。未開地で知られている魔物の中では指折りの強さの魔物だ。老成した個体に至っては幻獣クラスのヤツもいるという)」


「(な、何だか想像していたのと違います……)」


「(惑わされるな。これが奴らの狙いだ)」


 メリエもドアニエルと同じように、下をしきりに気にしている。

 ということはつまり───。


「!! 来るわよ!」


 害意無くヨチヨチと近づいてくる影狼の子供。

 それが一定の距離になると、キリメが声を上げる。

 白く輝く石に照らされた子犬の背後、黒く伸びたその小さな影が揺らめくと、音も無く立ち上がるように起き上がる。


「……え?」


 立ち上がった小さな子犬の影はみるみる膨らみ、闇の中で金の瞳をギラつかせる巨大な狼の姿へと変貌する。

 森の暗影に溶け込むその姿は、影そのものと言えるほどに黒く、光源がこちら側にあるのも相まって酷く捉えにくい。

 目だけが光を反射して輝き、こちらを静かに見据えている。


「お、大きい……」


「い、今、影から湧いて……?」


「これがヤツらの危険度を跳ね上げている特殊能力。距離に制限はあるようだが、ヤツらは影から影へ自由に飛び回れる。暗闇で気付いたら喉笛を食い千切られていたということもままある」


 影を渡る能力ちから……まるで魔法のようだ。

 そう言えば魔法も元々は魔物の使う術の応用と言ってたっけ。

 ならこちらの方がオリジナルになるのか。


 初めて見たが、闇に包まれたこの森なら全方位から自由に攻撃できることになる。

 確かに危険だ。

 カガミ達が光る石で自分たちの影を消したのはそういう理由があったからと理解する。


「(自らの子を餌にして狩りをするのか。随分と狡猾じゃないか。

 それに……凄いな、あの幼体以外に気配を感じない。気配を断って餌に釣られた獲物を狩る。今回は子を囮にして獲物に気付かれずに近付いたわけか。

 なるほど猟犬だ。ま、私には匂いでバレバレだがな。お前達、前だけに集中しすぎるな。既に囲まれているぞ)」


 ライカですら匂い以外に気配を捉えられないのか。

 これは最悪を想定して動くことも考えた方が良さそうだ。

 いざとなれば影となり得る周囲の森ごと破壊することも考えねばなるまい。


 ライカの指摘もあり、身体強化と気配察知を星術で研ぎ澄ます。

 ……確かに、周囲の深い影の中に何かの息遣いを感じる。

 しかしそれより危険なのは……。


「(ご主人! 上です!)」


「(!!)」


 ポロの唸りで上に目を向けると、巨大な影の雫が自分達目掛けて落下してくるところだった。

 ポロよりも先に気付いていたドアニエルが大剣で切り上げる。


「ひゃあ!?」


 こちらの頭上から奇襲を仕掛けようとした影狼の個体は、ドアニエルの剣と衝突し、重い音が響く。


「チッ! ふんっ!」


 影狼はその牙でドアニエルの剣撃を喰い止める。

 ドアニエルが筋肉を軋ませて剣を振り抜くと、飛び退って音も無く影に溶け込んだ。

 その一瞬で見えた影狼は、体長4mを越える巨体。

 例え一匹でも普通の人間ならば死を覚悟するに値する魔物。


「これは……既に囲まれていると思っておけ。カガミ、呪の準備は?」


「場所が特定できれば使えますが、今のままでは……」


 カガミが口惜しそうに零すが、状況は待ってくれない。


「ならアタシたちが抑えるわ。カガミはそっちに集中して。クロ、さん達も自分の身は自分で守って。アタシたちでもこいつらはキツいわ」 


「はい」


「ああ」


 キリメの言葉に全員が頷くと、ドアニエルが前を見据えたままこちらに言う。


「クロ、こいつらが影に潜り、影を渡るのはどうやっても察知できない。影を媒介にした瞬間移動に近い能力だ。

 だが、攻撃に転じる瞬間は俺やお前なら捉えられる。お前は俺と戦った時、それで俺の攻撃をいなしていただろう。それを狙えばいい。

 こいつら相手では俺も手を抜いていられない。お前もそのつもりでやってくれ」


 能力も脅威だが、ドアニエルの一撃を牙で喰い止めた実力も看過できないものがある。

 並みの魔物なら牙ごと両断できるはずが、手傷を負わせた様子は無かった。

 個々の身体能力も竜並みと思っておいた方がいいだろう。


「わかった。(ポロとライカもお願い)」


「(勿論です)」


「(久しぶりに骨のありそうな手合いだな)」


 頭上はこのユルミール森海を形作る巨木が枝を広げ、空と地を隔てている。

 つまりここは影に囲まれている場所。

 光が届かなければ、そこは漆黒の闇。

 いうなれば影狼の猟場。


 カガミの撒いた光る石のお陰で自分たちの影は消えている。

 突然足元から喰いつかれる心配は無くなっているが、頭上はそうはいかない。


「(僕も今回は本気でやるよ)」


 今までも手を抜いていた訳ではないが、アンナやスティカが経験を積む機会を奪わないように任せていた部分もあった。

 しかし、今回ばかりは荷が勝ちすぎる。

 自分やライカでも苦戦を予感させる危険度の相手。


 ……随分と久しぶりに、使う気がする。


「(……【転身】!)」

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