徘徊者
「(ん……? 何だこの匂い……)」
宴も
ライカが何杯目かもわからなくなったカップから顔を出す。
一体その体のサイズのどこに何リットルもの酒が入っているのかと思ったが、ライカと自分は変身の方法が違うのだったと思い至る。
ライカは薄暗い常闇の森の空に向けてスンスンと鼻を鳴らした。
「(ライカ、どうしたの? 飲み過ぎた?)」
「(違うわ阿保め。私がこの程度で酔い潰れるものか)」
ライカは悪態をつきつつも変わらず鼻を鳴らし、警戒するように耳を動かした。
こちらも酒の入ったカップを置き、周囲に視線を走らせる。
見回すとあちこちで酔い潰れた者達が顔を赤らめたまま寝ている姿が目に入る。
一緒になって飲んでいた獣人に混じり、メリエやエシリース、スティカも既に眠りに落ちていた。
アンナは辛うじて起きているが、既に半分意識は眠っているらしく、カップに口をつけたままうとうとしている。
頭の上に乗ったままの鳥精霊もアンナの揺れに合わせてゆらゆらと揺れていた。
カガミとキリメも椅子に座ったまま夢の世界に櫂を漕いでおり、ドアニエルとシグレだけが今も平然と飲み続けている。
「(……魔物?)」
「(わからん。何というか……血……いや、もっと濃いな。……嗅いだことが無い。だが不穏な気配だぞ)」
ライカが気配を読み違えたことは未だ無い。
そのライカが言うのだから良い報せではないだろう。
頭領に進言すべきかと逡巡したが、それとほぼ同時に声が響いた。
「頭領! ジーノ頭領! またきやしたぜ!」
「ハァ、ハァ、またアイツです! 〝徘徊者〟です!」
見張り番をしていたらしい武装した獣人二人が広場に駆け込んでくる。
頭領はそんな報せを不機嫌そうに聞いた。
「ったく……せっかくの一席だっつーのによ」
物騒な空気を察したドアニエルは目つきを変え、立ち上がって頭領に近寄る。
「〝徘徊者〟……? ここは連中がうろつくような深域じゃない。どういうわけだ?」
「外回り担当のお前さんらじゃ知らないのも無理ない話だ。
ここ最近、森の様子がおかしいのさ。実際、こんな浅瀬近傍にゃ来ないようなバケモンが出たりして、この集落でも若手が犠牲になってる。お陰でこっちは頭領候補までが普段の狩りや採集の護衛に就かなきゃならない有様さ。
……森を誰かが引っ掻き回しているのか……或いは深域で何かが起こってるのかもしれねぇな」
その言葉に、この集落に到着する前にドアニエルが言っていたこと、そしてライカが言ったことを同時に思い出す。
教会……また何か暗躍しているのだろうか……それともライカが言っていた古竜に纏わる何かだろうか。
どちらにしても無事に進みたいこちらにとって良いことは無い。
必要なら己の身を守るべく、こちらも介入する必要があるだろう。
吐き捨てるように言ったジーノは一気に杯を煽り、空になったそれを乱雑に置く。
それを見届けたドアニエルは巨剣を担ぎ、ジーノに進言する。
「……手を貸すか?」
「いや、客人は客人らしく持て成されていればいいって。こういうのは頭領たる俺の仕事だろ? 俺に任しときな」
「だが、一匹とはいえ深部の手合いだぞ」
「ウッハハハハ! 心配痛み入るがね、こちとら酒浸りでもここの頭領張ってんだぞ。……森がおかしくなり始めてから〝徘徊者〟は何度も来ている。その都度叩き出してんのは俺だぜ?」
「……しかし、倒すことはできていない」
「……そうだな。だが、退けるだけなら俺で十分だ。この集落が今も存続し、俺がこうして生きてるってのがその証拠だ」
「……わかった。言葉に甘えよう。だが必要とあらば俺もやらせてもらう。背中は気にせず、遠慮なくやれ」
「ほお、〝戦鬼〟にそんなこと言ってもらえるとは光栄だな……しかし本来ならいつか敵になるかもしれない奴に手の内を晒すってことになるわけだが……まぁ今は恥も見聞無ぇ。仲間の命が第一だからな。そん時は頼むぜ。
そっちのお客人も心配すんな。美人の連れを介抱してやっててくれ」
「いえ、こちらも危ないと判断したら戦います」
「……そこの男もかなりの使い手だ。俺と引き分けたこともある」
「そいつぁすげぇな! この集落にだって、〝戦鬼〟とマトモに戦える奴なんぞ両手で足りるくらいしかいないってのによ。ま、なら心強いな。俺も後腐れなくやれるってもんだぜ」
ジーノは立ち上がって成り行きを見守っていたこちらに笑みを送る。
さっきのやりとりで内心ドアニエルの発言が気になったが、ジーノは当たり障りのないことだけで留めてくれた。
笑みにはそういう理由もあったのだろう。
演壇から降りたジーノは酔っているとは思えない軽快な足取りで天幕へと入って行く。
その数秒後、服を脱いで全裸になったジーノが堂々と現れる。
極限まで絞られた肉体。
隆起する筋肉に獣人特有の体毛。
所々に見え隠れする歴戦の傷跡。
そして一層雄々しく聳える両の鹿角。
闘志を見せた途端、今までのような軽い雰囲気が霧散し、野に生きる獣と同様に濃い血の匂いが纏わりついたようだった。
「おー……」
女性陣で唯一起きていたシグレがジーノの下半身を凝視して溜め息をついているが……当のジーノは気にした様子も無く堂々と歩く。
その姿は人間の理性よりも野に生きる本能に満ちているようだ。
「おう、女子供を隠せ。男は退路を確保しつつ、他の魔物が入り込まないように見張ってろ。……あのクソ野郎は俺がやる」
「ジーノさん武運を!」
「来た! 来ましたぜ頭領!」
獣人たちが道を開けると、襲撃者が視界に移った。
この狭い集落の入り口から広場まではすぐだ。
遮るものが無くなれば広場から入り口の柵まで簡単に見渡せる。
「(人……? いや、何だあれは?)」
「(子供……人間種の子供みたいに見えるけど)」
現れた影は小さかった。
10歳くらいの子供の姿。
薄汚れ、色褪せた濃い緑色のワンピースのような服を纏い、華奢で細い手足がそこから伸びている。
中性的で男なのか女なのか判別が出来ず、ボサボサの金髪で口元以外は見えない。
しかし薄っすらと笑うように裂けた口は見る者を粟立たせる嫌なものだった。
そして最も特筆すべきなのは……。
「(鱗か……? 亜人の一種のようだが……人間や動物の匂いではない。初めて見るが、まさか……)」
ライカは経験から正体を推測しているが、確信は持てないでいる。
自分も経験と知識で正体はわかりそうになかったが、あの肌にはどこか見覚えがあった。
そう。
この世界ではなく、人間だった頃の世界で見た物のような……。
「さぁーて! 酒の回りもイイ感じだぜ。ここは一席、お客人に頭領の力ってヤツを見せてやるとするかァ!!」
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