彷徨える器

 侵入者の正面に立ったジーノは、四足獣のように手を着く。

 その瞬間、自分の背中がざわついた。

 ジーノの姿は、まるで自分が【元身】で元の姿に戻る時のように一瞬だけ輪郭が曖昧になると、次の瞬間に数倍に膨れ上がる。


 ジーノの頭髪と同じくすんだ白い体毛が全身を覆い、角も太く、大きく伸びる。

 顔貌も人間のものとはかけ離れ、雄鹿のように鼻が出て体毛が覆う。

 目だけが元のジーノのそれで、ギラつかせながら敵を見据えていた。


「バオオオォォォォエエェェェエ゛エ゛!!!」


 咆哮。

 ジーノが喉を振るわせ、大気を揺さぶる。


「(ほう。これが純血の獣人種が操る獣術、〝獣化〟か。確かに我々に近しいものが在るな)」


「ハッハァ! 行くぞクソ野郎! 何度でも叩き出してやるよ!」


 幻獣ライカのつぶやきを置き去りに、ジーノは獣とは違う動きを見せる。

 上体を起こし、蹄を鳴らしながら二本足で駆けた。

 5倍以上に肥大化したジーノは、巨体からは想像もできない速さで侵入者に接近する。

 子ども用おもちゃの人形と大人。

 大きさで比較したらどちらが怪物かもわからない体格差だった。


 野生の獣同様、強靭なバネで地を蹴るジーノは、雄鹿の足で小さな人影を蹴り飛ばそうと振り被る。

 ジーノが接近したことにより、ようやく襲撃者も動きを見せた。

 細い手から伸びるガラス細工のような華奢な指、その先端が一瞬で変化し、爪が刃渡り50cmほどの5本の刃へと変わる。


「オラァ!!」


 ジーノの渾身の蹴りは空を切る。

 微動だにしていなかった子供の姿は一瞬で掻き消えていた。

 星術の身体強化で動体視力を上げている自分ですら、消えたと錯覚するくらいの速さ。

 追えたのは僅かに前傾になる瞬間まで。

 それを考慮し、更に星素の量を増やしておく。


「チッ! ヤロウ!」


 ジーノは敵がどこに行ったか分かっていたようで、すぐさま振り向く。

 小さな影は一瞬でジーノの背後に滑り込み、ジーノの脇腹目掛け、刃へと変わった爪を構え───。


 振り抜く。

 が、ジーノは四足獣と同じように身を屈めると後ろ脚に力を込める。


「フン!」


 間一髪で斬撃を躱し、そのタイミングで後ろ脚による強烈な後ろ蹴りを見舞う。

 カウンター気味に入った硬い蹄による後ろ蹴りは襲撃者の顎を捉え、文字通りボールのように天高く蹴り上げる。

 衝撃は音となり、こちらの耳にも届いたが、その音は硬質でとても生物が蹴られた音とは思えなかった。

 例えるなら岩を金属棒で殴ったような、そんな異音が響く。


「相変わらず硬ってぇな! だがよ!」


 ガガガッと蹄を鳴らし、ジーノは蹴り上がった襲撃者の落下地点へと猛スピードで回り込む。

 そこで小さく身を屈めるように力を溜め───。


「喰らいやがれ!」


 立ち上がる勢いと溜めた力、それをそそり立つ鹿角に込めて落ちてくる襲撃者を迎える。

 空を飛ぶ手段でもなければ避けることはできない対空迎撃。

 が、襲撃者は空中で姿勢を変えると、両手の爪を交差させるように構えた。


「ぐぬ!」


 鹿の角と爪が激突する。

 ギャリンという耳障りな音と同時に、ジーノの苦悶の声が聞こえた気がした。

 再度打ち上げられるように吹っ飛んだ襲撃者だったが、器用に空中で回転すると何事も無かったかのように静かに着地する。


 現れた時と同じように粗末な深緑の布が靡くその様子からダメージらしきものは見受けられない。

 大型車ほどもある鹿の、それも岩盤ですら破砕する力で繰り出される後ろ蹴りを喰らった時点でバラバラになりそうなものだ。

 しかし最初と同じ、裂けたように薄っすらと笑みを浮かべる口も、佇まいも、何も変わらなかった。


 いや、一つ変わったのが……。

 片方の手の爪、そこから血が滴る。

 それに気付いてジーノを見ると、頬に当たる部分が深く切り裂かれていた。


「ケッ……! これだから連中はよ」


「(速いな。片手で角を受け止めると同時に、瞬時に攻撃した。それを良く躱したものだ。あの男の判断力が無ければ首を墜とされていた)」


 あの巨体でドアニエル並みの反応速度と機動性。

 肉体のみならば人間の国では右に出る者はそうそういないはず。

 しかしそれでも対処し切れない怪物が跋扈する未開地。


「(それも凄いけど、全くダメージ受けてないよね)」


「(ああ……さて、存在の不可思議さといい、どんな手の内なのだろうな?)」


 ライカは瞬きする間もない攻撃の瞬間を見逃していない。

 自分もかなりの星素量で動体視力を強化しているため視ることはできたが、それを素でやってのけるのだからさすがと言うべきか。


 ギルドの指標で言えば最上位クラスの怪物モンスター

 それをあしらうジーノも大概だが、このクラスの魔物が人里近隣に現れるのだからこの森の、延いては未開地と呼ばれる地の危険さが良くわかる。


「……成程、今までとは違って、今度は潰す気で来てるってことか? ハッ。上等だぜ」


 ジーノは四足獣よろしく、再度構える。

 と同時に駆けた。

 敵を正面に捉え、掬い上げるように角を突き出す。

 襲撃者はそれを避けようとせず、正面からぶつかった。


「ぬ!」


 さっきと同じ。

 襲撃者は今にも折れそうな細腕から伸びる爪で角を抑え込み、勢いで持ち上がりながらも空いたもう片方の爪を振るう。

 同じ轍は踏まないとばかりにジーノはそこで首を捻り、角に回転を加えて攻撃を逸らした。


「オラッ!」


 振り抜かれた角でまた空中に舞い上がる襲撃者。

 大口径銃弾並みの貫通力があると思われる角の突撃。

 しかしやはり攻撃は効いていないようだった。


 だがここからは先程と違っていた。

 舞い上がって体勢を崩した襲撃者の背面を、赤く染まった大刀を構えるドアニエルが捉える。


「ここだ」


 一閃。

 ドアニエルは襲撃者が反応するよりも早い斬撃で赤い銀線を引く。

 赤銅の銀糸は細い首を捉え、空中で切り落とした。

 小さな影が更に小さく、そして二つになって地に落ちる。

 ドンという生々しい音が二つ、薄暗い森に木霊した。


「ったく、よく切れるなその剣はよ。……ありがとうな」


「そちらこそ、噂に聞く〝狂獣化〟で意識を保っていることには驚嘆だ」


「ハッ。これくらいできなきゃ、ここではやってらんねぇからな。それより……」


 ジーノの声に、そちらを向く。

 亡骸が横たわっているはずの場所には音も無く起き上がった襲撃者。

 子供の影は切り落とされた自分の頭の髪の毛を掴み、バッグを持つように平然とぶら下げて佇んでいる。

 乱雑に髪を掴んで傾いたその表情に変化は無く、赤く裂けた口が笑みを形作る。


 切り落とされた首からは血は流れず……というより、暗い空洞のようになっていている。

 闇の蟠る切断面と、ジーノの強烈な攻撃にも耐える外殻、主要部位を切断されても平然と動く身体。

 消耗があるようには見えなかった。


 しかし自分の首を拾った襲撃者はそれ以上の戦意を見せず、パッと踵を返すとそのまま音も出さず飛ぶように集落の出口に向かう。

 そのまま大樹の影に消えていった。


「行ったか」


「アレで死なないってんだからふざけてるよな。ただでさえ飛竜の外皮よりも硬いってのに、どうやったら殺せるんかねぇ……あいつらは」


「どこかに行動を司るものがあるのだろうが……何れにせよ、あの様子ではまた来るぞ」


「わかってる。単体なのが救いではあるが、何か手を打たないとな。近隣の集落も恐らく同じように異変が起こっているだろう。一応共闘の打診もしておくか。近いうちにそっちの集落にも話をしに行かせてくれ」


「わかった。戻るついでだ、姫達にも話を通しておこう」


「助かるぜ」


 溜息を吐く雄鹿のジーノ。

 何度か撃退したが退けるに留まっているとは言っていたが、まさかこんな理由でとは。

 それに……。


(……あの腕……鱗というよりはセラミックのタイルみたいな質感だった……首と言い肌と言い、生物じゃないのは間違いなさそうだけど……)


 拭い切れない違和感。

 【竜憶】で検索したところ、似たような魔物は複数いるし、人間が生み出したゴーレムにも似通っているため該当があり過ぎる。

 この違和感が何なのかを判断するには材料が足りない。

 そんな思いでライカに視線を向けてみるが……。


「(……不死種、いや、もっと異質な……魔法で生み出される眷属の類か? にしては魔素も魔力も匂わなかった)」


 ライカも判断しあぐねているようだ。

 確かにどちらかというと魔法の産物と言った方がしっくりくる気もするが、それならライカの鼻に引っかかるはず。

 正体についてはまだどれも憶測の域を出ない。


 それよりも問題なのは、あれが自然のものではないとするなら、生み出し、操る何かがいるということだ。

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