常夜に薫る

 頭上には黒々とした巨木が枝を広げ、陽の光はそこを抜けることが出来ない。

 代わりに鈴灯花と呼ばれる光を発する大きな風鈴のような見た目の花がランプのように置かれ、淡くも温かい光で家屋を照らしている。


 様々な獣人が集う常夜の集落、バンジ。

 尤も、陽の差さないユルミール森海内の集落はどこも常夜なのだが。

 そんな集落の中央、広場となっている開けた場所には木製の演壇ステージが設置されている。

 その演壇を中心に家屋が立ち並ぶ構造だ。


「ダーッハッハッハァ!! オウオウオウ! どうしたどうしたぁ! 手が止まってんぞ!」


「……」


 演壇の中央に置かれた椅子に座るのは、今のバンジの首魁、ジーノ・ロドルタ。

 獣人らしく、頭にはシカのような枝分かれした角が生え、ボサボサの白い毛がワイルドさを醸し出す。

 顔立ちは精悍で筋骨隆々。

 簡素な胴衣と麻のパンツの破れ目から覗く四肢には獣特有の体毛に古傷が見え隠れし、力でその座に就いたと言われれば誰もが納得するであろう風貌だった。


「オウオウ! さあいけって! 何事も、楽しくやろうぜぇ! ハハハハ!」


 そんな男が椅子の上で豪快かつ、楽し気に笑う。

 片手にはゴブレット。

 それを高々と掲げ、一気に煽る。


 集落の中に通されると、まず頭領と引き合わされた。

 それからすぐにこの演壇の前に通されて、それからずっとこんな感じだ。

 頭領から出された補給の条件は一つだけ。

 〝酒宴に付き合うこと〟だった。


「(ん? クロは飲まんのか? 雑味はあるが、なかなかイケるぞ)」


 狐の姿に対してかなり大きいゴブレットに顔を突っ込み、中の酒を舐めるライカが言う。

 酒はこの集落の自家製らしく、甘い香りのする果実酒。

 広がる果物の甘い香りは爽やかで女性受けしそうだったが、その香りの中に隠れる酒精の濃い匂いが酒の強さを物語っている。

 美味しいからとグイグイ飲むと一気に酔いが回るタイプの酒に思えた。


 ドアニエルは仏頂面になりながらも黙って杯を煽り、カガミとキリメは苦笑しながらちびちびと飲む。

 アンナはこれが生まれて初めての飲酒らしく、興味と警戒が半々。

 舐めて味を確かめると、果物の甘さに一瞬顔がほころぶが、その後に来る強い酒精の辛さに表情が歪んだ。

 しかし嫌な味ではないようで、カガミ達と同じように出された酒のアテを口に運びながら少しずつ飲み始めている。

 スティカとエシリースも酒は飲み慣れていないようで、恐る恐る口をつける感じだ。


 そんな面々を見回しながら、自分の杯に注がれて波打つ果実酒に目を落とす。

 人間だった頃は、一人で飲むことが多かった。

 酒そのものは別に好きでもないし、特段美味しいと感じることも無ければ、酔いを気持ちいいと感じたことも無い。

 ただ酒を嗜む雰囲気というか、空気を楽しむという意味で飲むのが好きだった。


「どしたどした! イケる口だろ? いってみろって! 自慢じゃねえが、俺らの酒はうめぇぞ!」


 演壇の上からジーノが笑いかける。

 〝酒宴に付き合う〟ことが援助の条件でもあるし、別に拒否する理由も無い。

 ただ、この古竜の肉体に酒がどのような反応を及ぼすのかがまだわかっていないのが不安要素ではあるが……。

 やや逡巡しながらも杯に口をつける。

 ……味は申し分ない。


 ジュースのような甘ったるさではなく、果物の軽い甘みと香り。

 飲みやすく、食前酒などにも良さそうだし、お金を出して買っても全然文句のない味。

 しかし、かなりの強さだ。

 鼻から抜ける酒精の熱さがそれを感じさせる。

 信じられないくらいに飲みやすいが、アルコール度数で言えば20%くらいはありそうな……。

 これは慣れていない人間では危険な気がする。


「どうだ? うめぇだろ?」


「ええ、すごい口当たりがいいです。水のように飲めそうですよ」


「ハハハハ! だろだろ!? 俺が造り方を確立したんだ。ここでしか飲めない貴重品だぜ!」


 自慢の酒を褒められたジーノは嬉しそうに笑い、また杯を傾ける。

 成程、頭領たる自分が作り上げた自慢の酒だからこそ、来訪者への条件にしたわけか。


「んぐんぐっ! っかー!! ハハハ! やっぱいいもんだよナァ! 誰かにこのウマさを知らしめるってのは! オウオウ、女にしちゃあの二人もいい飲みっぷりじゃねぇか!」


 ジーノは空になった杯に酒をつぎ足しつつ、かなりのペースで酒を流し込む二人に目を向けた。


「んく、んく、んく……ぷはぁ……おかわり」


 全く表情を変えずに継がれた酒を空にし続けるのはシグレ。

 大き目のゴブレットになみなみと注がれた酒を、もう5、6杯は飲み干しているはずだが、一切の変化が見られない。

 生まれて初めてザルという人種を目の当たりにした。


「ふう……いい酒だ。すまん、空になった。次の樽をくれないか?」


「あ、はい、えっと……大丈夫ですか? かなり飲んでますが……」


 そしてシグレと対照的に顔を真っ赤にしつつ、目の焦点も怪しくなってきているのがメリエだった。

 こちらもシグレに負けずかなりのペースで飲み続けているが、その酔い具合に給仕をしてくれていた獣人の女性がやや心配そうにしている。


「(ご、御主人、程々にしておいた方が……)」


「(んー? 何故だー? 私はーまだ全然いけるぞ)」


 ポロの進言にポヤーッとした表情で笑いながら答える様子は、もう完全にベロベロ状態のそれに見えるのだが……。

 まぁいざとなれば解毒の星術でアルコールを除去すればいいので、そこまで心配しなくても問題は無いだろう。

 それよりも酒の肴ついでに、ジーノに気になったことを聞いてみた。


「あの、どうしてここの人たちはこんな場所で生活しているんですか?」


「あん? そりゃどういうこった?」


 こちらの問いかけに、ジーノは酒を煽る手を止めて自分の方に向き直った。

 ここに来る途中でカガミ達が話していたことを思い出したのだ。


「いえ、これだけおいしい酒が造れるなら、普通に都市で生活しても困らないだろうし……」


「ああ、そうかもな」


「なら、どうしてこんな危険な場所に……?」


 その問いに一瞬考える素振りを見せたジーノ。

 しかし次に口を開く瞬間、その瞳はギラリと鋭く輝いた。


「……正直外の奴らには言いたくねえが……お前さん人間種じゃねえな?」


 それを聞いて、一瞬酔いが吹き飛んだ気がした。

 このジーノという男は、古竜種の変身を見抜いたのだ。

 幸いジーノは自分だけに語りかけていて、声も控えめ、更に酒宴の喧騒もあり、カガミ達には聞こえていないだろう。

 ジーノは獲物の隙を窺う肉食獣のような鋭い眼光でこちらを見つめ、それでいて闇に溶け込むような静まり返った気配を漂わせながら、静かに語る。


「人間種なら絶対に言わねえが、お前さんならいいだろう。人ってケダモノとは違うからな。

 俺達は、はみだしモンさ。どの獣人の種族からもハジかれてんだよ。

 獣人ってのは、同じ獣の特性を持った種族にはある意味家族よりも強い集団意識ってのが働くんだ。だがたまに、そんな仲間の輪に入れないヤツが出る。そういう奴は群れからハジかれて、孤独に生きるしかなくなんのさ。

 おめぇさん、獣人の町ってのを見たことはあるか?」


「……いいえ」


「獣人種は単一種で一つの町を作っている場合が多いんだ。そん中から自分の意思で外の世界に出て行くやつは腐る程いるが、ハジかれて追い出されるヤツは少ねぇ。

 別に見た目が変なわけでもないし、オカシな考えをするってこともねぇ。そいつ自身は何も悪くねえはずなんだが、どういうわけか周囲のやつらには異常に見えるらしくてよ。排斥されちまうんだ。

 そういう過去を持つヤツは人目が気になってな。こういう場所で外と関わらずに生きる方が気楽でいいのさ」


「……」


「見りゃわかると思うが、ここには色々な獣人がいる。単一の種族で街をつくる獣人としちゃ異例だ。それはつまり、ここの奴らは皆、ハジかれちまったヤツらだからだ。俺も含めてな。傷のなめ合いじゃねえが、そう言う意味では俺達はそこらの獣人よりも仲間は大切にするぜ」


「なら、せめてもっと安全な場所に住んでは?」


「そりゃな。だが、国の中に町を作るってのは色々と面倒なんだ。それこそ関わりたくない外の連中ともツラ突き合せなきゃならなくなる。ここは危険だが、そういうしがらみも無いからよ」


「成程。ではもう一つ、どうして頭領を頻繁に変えてるんですか?」


「あん? そりゃおめぇ、獣人の本能ってやつよ」


「本能?」


「俺達は強いヤツが頭を執る。単一種の群れなら一度決まったらそれは簡単には覆らねぇが、俺達はいろんな特性の奴らがいる。早期成熟の種の奴もいれば、大器晩成の種の奴もいる。だから俺達は定期的に腕を競い合う。その時点で一番強ええヤツが頭領になんのさ。それにこんな場所だからよ。己を守れる力は磨いておくに越したことは無い。

 人じゃねぇのに、俺の酒を旨いと言ってくれたお前さんだから話してやったんだぜ。他言しねぇでくれよ?」


「……わかりました。ありがとうございます」


「ま、あとはみんなハデなのが好きってだけだな! こうして楽しみたいからってのがデカいんだ! 辛気臭え場所だからこそ! 祭りは楽しまないとな! ハハハ! さあ飲もうぜ!」


 ジーノはまた明るい調子に戻り、杯を煽った。

 この薄暗い森の中、ひっそりと暮らす人々には何かしらの理由があるのだろうとは思ったが……。

 あまり関わったことのない獣人種だが、その内情は複雑なようだ。

 しかしここでジーノ達を見たからこそ、獣人という種族に興味が湧いた。

 落ち着いたら獣人の町を見に行くのもいいかもしれない。


「く~~~~ろぉ~~~~」


「うわっ!?」


 しんみりと杯を煽ろうとしたところ、背後から重さがのしかかる。

 その重みに一瞬遅れて鼻を突く酒の匂い……ベロベロになったメリエだった。

 しなだれかかったメリエはこちらの肩に顎を乗せると頬ずりしてくる。

 ……こりゃ完全に出来上がっておりますな……。


「メリエ、飲みすぎだよ」


「(すいませんクロ殿……止めたんですが……)」


 ポロが申し訳なさそうにこちらに来て、背中に抱き付くメリエの服の裾を噛んで引っ張ろうとするも、メリエは剥がれない。


「くーろーはー、あんまりー、のんでないなー?」


 うわ酒くさ!

 メリエが喋ると酒気が鼻を突く。


「よーおし……わたしが飲ませてやるぞぉ」


 そう言ってメリエは自分の杯を口につけ……。


「むぐ!?」


「「あああああーーーーーーーーーーーーー!!!!」」


「ゲホゴホ! ちょ! メリエ!?」


 メリエの口から流し込まれた濃い酒精にむせる。

 それを見たアンナとスティカが、酔いも醒める形相で駆け寄ってきた。


「メリエさんなにしてんですか!?」


「く、くく……口移し何てそんな! 私だって!! 私だって!!!」


「スティカさんどさくさに紛れて何しようとしてんですか!? メリエさん離れて下さい! クロさん、ちょっと! 離れてってば!!」


「あ、あ、アンナ痛いって……引っ張らないで引っ張らないで」


「うひーひ……くーろー、うまいかー?」


「ハハハ! いいな! 酒宴ってのはこうでなくちゃな!」


 カガミ達はこちらの惨状を肴にしつつ、まるで喜劇でも見るかのような目で鑑賞しながら杯を傾けていた。

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