眼下の森
「うーわー……」
「これは絶景だな」
「はえー……あんなの初めてですよ……」
思わず息をのむ。
せいぜい人の手が入っていない広大な森程度に思っていたが、眼下に広がる光景は文字通り、緑色をした海だった。
「エシリースは行商してたんでしょ? こういうのは見たこと無いの?」
「冗談言わないで下さいよ……未開地に入る商人なんてギルドランクMやSクラスの人たちですって。村々を回るのがせいぜいな私じゃあ危ない魔物の出る地域なんて夢のまた夢です。それにあんな風になってる森はどこの国にもないですって」
「私も、話に聞いたことがあるだけで初めて見ます。怖いけど、遠目に見るだけなら綺麗ですね」
緑の海原。
起伏も無く、ただただ見える限りを埋め尽くす不思議な樹々。
山の頂上からではどの程度の高さの木なのかはわからないが、バオバブのように上部が平坦に広がり密集しているために、本当に水面のように見える。
実際の海と違うのは色と陽光を反射しないこと、風が吹いても白波が立たないことくらいだ。
丸二日をかけて国境線であるニザの山岳の頂上まで辿り着く。
そこから見える光景に、登山の疲れも忘れて一同が見入った。
今のところ特筆するような魔物も出ず、天候も少し気温が下がったくらいで悪化することもない。
体力も物資も消耗は最低限だ。
「ユルミール
「こんな浅瀬で驚いていては話にならんぞ」
「浅瀬?」
「アタシたちはユミルの森と国との境界近くを〝浅瀬〟って呼んでるのよ。ギルドのハンターたちも浅瀬までは採集や討伐で入ることもあるわね」
「浅瀬の先は文字通り深海だ。光も届かず、ただ延々と同じ薄暗い緑の風景が続く。迷えばそのまま養分だな」
見慣れているカガミ達一行は特にそうした感慨も無いため、淡々と語る。
この異質な森の中に住んでいるということは、その辺にある森など庭と大差ないだろう。
そう思える程、眼前の緑の深みは底知れない何かがあった。
「……未開地の森にはいくつか入ったが、これは空恐ろしいな」
「俺達ハンターギルドが公開している危険度は浅瀬でもA、深部に至ってはS以上だ。一部氏族の集落に辿り着くだけでも最上位の護衛に熟知した案内役が必須となる」
「そんなところに……これから入るんですか? だ、大丈夫なんですよね?」
「申し訳ありませんが、我々でも絶対ではありません。この森海に居を構えている氏族の者でも、年間何人もの死者や行方不明者を出しているのです。
無論、出来得る限りの対策は講じていますが、それでも突発的に起こる事態や上位種の森海生物の襲撃にはこちらの対処にも限界があります」
「ひー!」
エシリースの顔が引き攣る。
しかし目的がその先にある以上、引き返すことはできない。
「どうする? そんなに嫌ならヤルナトヴァの都市のどこかで奴隷から解放しようか?」
元々地図の情報を読み取ったり各国の知識を貸してもらえればそこまで連れまわす必要は無い。
スティカも一人で行動できるようになったわけだし、あまりに嫌がるならそれも一つの選択肢だ。
無論アーティファクトは返してもらわなければならないが、一人で生活していくだけの資金を渡すことはできる。
セリスやシラルが鱗を換金してくれたので緑金貨もたんまりだ。
「う、う、う……いえ、付いて行きますとも! 私だってそれくらいの意地はありますから! ちょっとでも役に立てることがあるなら!」
「ま、まぁエシリースも旅慣れているし、野営の時とかはいてくれると嬉しいけど、危ないのを連れまわすのはこっちも気の毒というか……」
「いいえ! 大丈夫です!」
うーん。
やせ我慢しているのは明白なのだが……。
どうしたものかと首を捻っていると、今まで黙々と歩いていたポロがヒクヒクと鼻を動かした。
それに遅れて数瞬、ライカもアンナの腕の中で耳を欹そばだてる。
「(クロ殿、何か来ましたよ)」
「(ああ、何かが峰から近づいてきている)」
その指摘に視線を緑の海から尾根の方に動かす。
真剣な顔で視線を向けた自分に気付き、ドアニエル、メリエもそちらを見た。
丸い緑色の何かが真っ直ぐに向かってくる。
「……あれは何だ?」
「メリエも知らない?」
「知らないな。見たところ獣のようだが?」
全員が気付いた頃、ドアニエルが徐おもむろに背中の剣を引き抜いた。
向かってくる何かをじっと見たキリメが、カガミに視線を投げかける。
「もう、ドニーが聞いてきた通り、早速来たわね。カガミ、どうする?」
「仕方ありません。目をつけられたらずっと追ってきます。仲間を呼ばれても厄介ですし、夜になると更に手に負えなくなります」
「チッ。また面倒なヤツがでたな」
カガミ達は既に臨戦態勢を取っていた。
荷物を斜面に下ろすと、各々が武器を構える。
カガミは以前のように石を、ドアニエルは剣を握る。
シグレは何かの詰まった袋を両手に持ち、キリメは巻物のような紙の筒を取り出した。
「あれは何なの?」
「
「草? 動物じゃないんですか?」
「正直なところ、俺達もよくわからない。動物のような肉体は無いが、目や鼻はある」
徐々にはっきりとわかるくらいに近付いてきた緑の何かは、ガサガサという音を立てながら50mほどの距離のところで止まった。
近くで見るとやはり緑の丸にしか見えない。
巨大なマリモというか……。
「な、なんだか面白い……生き物? ですねぇ」
「(スンスン……我々のような動物とは違いそうです。草や木の匂いがします)」
鼻の良いポロによると植物のようだ。
今のところ襲い掛かってくる様子は無く、距離を取って静止している。
知らずにふと見ると、低木の茂みのように見えるだろう。
「襲っては来ないみたいだけど、危ない奴なの?」
「……見ていろ」
そう言うなり、ドアニエルが動く。
剣を下段に構えたまま、初速から瞬時に最高速に達する身のこなしで緑の塊に向かって突き進む。
「!!」
そのドアニエルと遜色ない反応速度で動き出した緑の塊は、猛スピードで後退した。
ザジャッと地を滑って急停止したドアニエルに合わせ、緑の塊もさっきと同じ50m程の距離を保って急停止する。
「……チッ」
ドアニエルが舌打ちしながらこちらに戻ると、同じように緑の塊も近寄ってくる。
「ああして距離を保ったまま、ずっとついてきます」
「ついてくるだけ?」
「獲物がピンピンしているうちはね。獲物が疲れ果てて眠ったり、怪我をしたりすると攻撃してくるわ。それに、今のを見たでしょ? ドニーの全速力にも対応できるだけの速さがあって、直接攻撃だとなかなか捉えられないの」
「未開地の魔物でも面倒な部類だ。ギルドが公表している危険度は単体でも討伐難易度7クラス、群体になると8クラスにはなる」
「ど、どうするんです?」
「いくつか対処法はある。全員が常に隙を見せないようにして向こうが諦めるまで根競べをするか、わざと隙を見せて攻撃してくる瞬間に合わせて仕留めるか」
「な、なーんだ。上手くやれば何とかなるんですね」
ほっと息を吐くエシリースを他所に、メリエは顎に手を当てて考え込む。
「……その程度の相手に疾竜や飛竜並みの危険度が付くか?」
「……こうした開けた場所ならまだいいが、奴に森で出会った時のことを考えてみろ」
「……そういうことか」
確かに、あの見た目で森の中では普通の植物と区別がつかない。
つまり気配を察するなどして気付けなければ、追われているのかどうか判断できないということだ。
常に〝いる〟と思って気を張り続けつつ、あの広大な森海を彷徨わなければならない。
考えただけでも気が滅入ってくる。
「それに、諦めるまで放っておこうとすると、知らず知らずのうちに他の攻撃的な生物を呼ばれることがあるんです。なので出来る限り早めに対処しなければなりません」
「ということは、隙を見せて向こうが攻撃してくるようにしなきゃならないの?」
「そうなんですが、それも一筋縄ではいかないんですよ」
「
地面から無音で根を伸ばして獲物を捕獲しようとする。不用意に孤立したり、立ち止まったりすると、次の瞬間には
「まあ根を張って攻撃しようとしている間は動けないから、根を切断して逃げようとする前に攻撃できれば倒すことは可能です。それでもかなり素早く行動しないと警戒されてしまいますが」
想像以上にタチが悪い手合いのようだ。
これが森の中で、しかも複数にでもなったら面倒どころの騒ぎではないだろう。
ライカの気配察知はともかく、森の中で他の木々の匂いがあってはポロでも気付けないかもしれない。
「ま、アタシたちは一応対処法があるんだけどね。これでもユミルの森に住んでるんだし」
「どうする? これから先の事を考えて、お前達で倒してみるか?」
確かに良い機会かもしれない。
話に因ればこのストーカーとやらが普通に出るのがこれから行くユルミール森海。
面倒な手合いではあるが、だからと言って避け続けることも難しいだろう。
自分だけならどうとでも出来るが、メリエやアンナ、スティカも対応法を学んでおいた方がいいかもしれない。
「(メリエたちで倒してみる? 僕やライカならやり様はいくつかあるんだけど、この先も出てくるみたいだし)」
「(クロ様、なら、私にやらせてもらえませんか?)」
そこでスッとスティカが手を上げた。
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