国境の町

「見えてきました。ニザの町です」


 カガミの声に目を向けると、街道の両脇に立ち並んでいた樹の影から都市の防壁が見えてくる。

 規模はアルデルよりも大きいかもしれない。


「ということは、ここがヴェルタとヤルナトヴァの国境?」


「ええ、そうです」


 ヴェルタ王都を出発して15日弱。

 予定よりも時間がかかったが、ようやく国境まで辿り着いた。

 街道が敷かれ、起伏もそれほど無い道程だったのだが、途中で5日も続く長雨があり、足止めを余儀なくされる場面があった。


 飛べれば早いのだが、カガミ達がいるのでそれも難しい。

 それに別に急ぐ旅でもないため、遅れを承知で観光がてら街道沿いの都市を見て回った。

 その都市ならではの名産品や景色もあって、この世界のそうしたことに疎い自分やアンナ、ライカには新鮮に映り、楽しいものだった。


 主要な街道を使ったこともあって野盗や魔物もほぼ出ず、出たとしてもライカがひと睨みすれば怖がって逃げていく程度。

 自分の出番はおろか、夜間の見張りも気にする必要が無い程だ。


 ただ魔物は平気でも、カガミ達の件があったため、そちらを警戒する意味で気は抜かずにおいた。

 さすがに初回の出会いが出会いだったため、ある程度の交流を持った今も背中を預ける程の信頼は持ててはいない。

 向こうもそれは承知のようで、そうした距離感を敢えて詰めてこようとはしていなかった。

 元々の印象が悪い相手に近寄るのは逆効果だということがわかっているのだろう。


「山間の町か。ということは、この峰が国の境目ということだな」


「ええ、あまり高くはありませんが、ここから先は魔物も活発になってくるので今までのようにはいかないでしょう」


 町を囲む壁の後ろには標高1000mから1500mくらいの山々が連なっている。

 街道はこのニザの町から先は大きく蛇行し、谷合を抜けるように続いているのだとか。


「今までは魔物って殆ど出てきませんでしたけど、ここからは増えちゃうんですか?」


 カガミの言葉にエシリースが不安そうに言う。

 それにドアニエルが淡々と答えた。


「ニザの山岳を越えるとすぐヤルナトヴァだが、同時に西側はすぐに未開地だ。この山岳の峰も西の未開地から続いている。未開地の魔物どもも峰を伝って入り込んでくるからな。ニザでは傭兵業も盛んになっている」


 商隊の護衛に需要が高くなるということか。

 ヤルナトヴァは地球で言うところのチリのように細長い国らしい。

 その西側は全て未開地に面しているそうだし、頷ける話だ。


「まずは入ろう。物資の補給もしないとな」


「そうですね。手持ちの食材も乏しくなってきました」


 メリエとアンナの言葉に全員が頷くと、ニザの町に向けて歩を進める。

 カガミ達のグループはさすがに疲労の色も見え始めているが、こちら側はアーティファクトの恩恵もあってまだ足取りも軽やかだった。

 あまり長時間の休息は取らなくても平気そうだ。


 都市の門が見えてくると、町の賑わいが伝わってくる。

 国境というだけあって商人の姿が多く、荷物を満載した走車がひっきりなしに出入りしていた。

 そんな人の波に乗り、税金を払ってから中に入った。


「ん? あれ?」


「どうしたんだ? クロ」


「今払ったのって、いつも都市で払っていた都市に入るための税金だよね?」


「そうだな」


「ここって国境でしょ? 国境を越えるための手続きとかって無いの?」


 地球ではパスポートを使ってちゃんと出入りを管理されている。

 そんなイメージを持っていたからか、すんなりと国境の町に入ってしまったことに違和感を禁じ得なかった。


「ああ、商人や貴族でもなければ国境の行き来は基本的に自由だ。別にこの街を通らなくてもヤルナトヴァには入れてしまうからな」


「あーそっか。国境線に壁とかはないから、不便でもいいなら好きな場所から山を越えればいいのか」


「そうだ。さすがに戦時中ともなれば厳しくなるだろうが、ヤルナトヴァはどことも戦争はしていない。商人は持ち込む商品によって税金が発生するから届け出の義務がある。その管理は国とギルドでやっている。大荷物を持っていてはどうしたって街道を使わなければならないから、交易品を走車で運んでいる商人は自然とこの都市を使うわけだな」


「さすがに商品背負って危険な山道を魔物に怯えながら越えることはしないか」


「まぁ国によってはちゃんと身分証を確認する場所もあるな。この近辺だと未だヴェルタと関係が悪い状況にあるドナルカ、宗教国家セラネシラ、小国だが独自の文化を重視するローダなどは入国する時にちゃんと身分証を確認されると聞いたことがあるぞ」


 なるほど。

 いくら魔法があるとはいえ、この世界の文明的にもそこまで徹底的に管理を行き届かせるのは無理があるか。

 最低限犯罪者や敵国のスパイをふるいにかける程度をしていればそれ程困ることも無いのかもしれない。


 納得したところで歩を進める。

 都市の中を進むとやはり商人が多いことがわかる。

 ヴェルタから持ち込まれる交易品とヤルナトヴァから持ち込まれる交易品がそこかしこで取引され、露店も数多く並んでいた。


「ふわー、凄い活気ですね」


「何だ、お前たちは国境を越えるのは初めてなのか?」


「ぅえ!? あ、は、はい……」


 熱気に溜息を吐いたアンナが、突然ドアニエルに声をかけられてビクリと肩を強張らせた。

 旅を共にしてはきたが、ドアニエルは元々寡黙で積極的に喋ってくるタイプでもないし、そもそもあまり信が置けていなかったこともあって言葉を交わすことも最低限だったため、ドアニエルから話を振ってくるのはかなり珍しかった。

 それでアンナも驚いたのだろう。


「わ、私はちゃんと国を越えるのは初めてと言うか……」


「ちゃんと?」


「あ、えっと、私前は奴隷で、気付かないうちにこの国に運ばれたので……えっと」


 しどろもどろに説明する困った顔のアンナを見て、ドアニエルは口を真一文字に結ぶと気の毒そうにアンナを見る。


「そうだったか。悪かった。嫌なことを思い出させたか?」


「あ、いえ、全然。大変な思いもしましたけど、クロさん達のお陰でこうして笑えていますから」


 そう言ってアンナはドアニエルに微笑んだ。

 そんなアンナを見たドアニエルは、意味深な視線を自分に向けてくる。

 視線には気付いたが、どんな意味の視線なのかがわからなかった。

 見たところ悪意的なものではないようだが……まさか趣味でアンナのような奴隷を買ったとか思われていないだろうな……。


 ちょっと気まずい思いもしつつ、露店を楽しみながら足りなくなった食料の補給も済ませておく。

 国境だけあってヴェルタでは見かけない食材や料理なども多くあり、事あるごとに立ち止まってドアニエルがイライラする場面もあった。

 カガミやキリメは怒るでもなく、そんな自分たちのペースに合わせてくれているが、ドアニエルはどうも人に合わせるのが苦手なようだ。


「(おー、あれは何の肉だ? 変わった匂いだな)」


「(カギルの肉だな。小型の魔物だ。匂いに癖はあるが慣れると肉の味が濃厚でうまい。ヴェルタではあまり見かけないからヤルナトヴァから持ち込まれているんだろう)」


「(ふむ。クロ、クロ。食べたいぞ。買ってくれ)」


「(あーはいはい)」


 ライカが鼻をヒクつかせると大体この流れになる。

 肉、魚、珍しい果物など、食欲をくすぐる誘惑に素直なライカらしかった。


「何だ、またか」


 ドアニエルが後ろで溜息を吐いているが、最早気にしない。

 ライカとポロ用に焼かれた肉を大量に買い込んだ。

 何も言わないがアンナ達も差し出せば食べるので全員分買うのも忘れない。


「ドアさん、いいじゃないですか。ドアさんもどうですか? この先暫くはこうした料理は食べられませんよ」


「俺はいらん」


「そうですか、キリメとシグレは?」


「ん……食べる」


「あったしもー!」


 カガミ達も便乗し、露店の肉を頬張る面々。

 今までも都市につくと大体こんな感じである。


「で、どうする? ここで一泊するか?」


「いや、2日前の町でも泊ったし、ここはすぐ出発でもいいよ。そっちが疲れていなければ」


「だそうだが、カガミ。どうする?」


「そうですね、進んでしまいましょうか。山を越えたところにすぐまた休める都市がありますから、疲れを癒すなら山越えのあとでいいでしょう」


 というわけで買い物だけ済ませたらすぐに出発という流れになった。


「わかった。私は一度ギルド庁舎に行きたい。ヤルナトヴァのギルドに手続きをしておかなければならないんでな。ついでにクロの手続きもしておく」


「お、ありがとう」


「む、俺もだな」


「じゃあドアさんとメリエさんがギルドに行っている間、旅品の最終確認をしておきましょうか」


 珍しい交易品を楽しむのも程々に、早速国境を越える準備に入る。

 主要な国境というだけあって山に入っても泊れる小屋などが点在しているらしく、多くの人々が間もなく日が中天を過ぎるという時間でも躊躇いなく山に向かって出発していた。


 宿泊所には泊まるつもりも無いので、しっかりと簡易天幕の確認をし、夜露を凌げるようにしておく。

 魔物除けや火種も市販のものを買い込む。

 カガミ達がいるので自由にアーティファクトを使えないのが困りものだが、それも15日も旅をすれば慣れるというものだ。


「待たせた」


 荷物をしまっているとメリエ達が帰ってきた。


「お帰り、いつでも出られるよ」


「そうか。ついでにギルドでこの近辺の様子を聞いてきたんだが、どうも魔物の動きが活発になっているらしい。クロ達が居れば滅多なことは無いと思うが、危険度の高い魔物も出るかもしれないそうだぞ」


 メリエが言うとドアニエルも頷く。


「なら警戒は怠らないようにしないとね」


「(フン。出てくれた方が暇つぶしになるのだがな)」


「(ライカはそれでいいかもしれないけど、普通の人はそうもいかないでしょ)」


「(私やお前も含めて、この集団に普通の者などいるか? 古竜と張り合える鬼、不可思議な術師、古竜の血を分けた者に精霊、疾竜使いに果てはアーティファクトで完全武装。文字通り古竜種が出るくらいじゃなければどうにでもなるだろうに)」


 改めて言われると凄まじい集団である。

 安心できるかというと、それは別問題かもしれないが……。


「(あ、あのー……私って一般人……で、いいですよね?)」


 エシリースだけが不安そうに手を上げたが、そのエシリースにもアーティファクトを配ってあるので一般人ではないだろう。

 皆それを理解しているのでエシリースの言葉を肯定する意見は出なかった。


「それでは十分注意して出発しましょう。ああ、それと、よければ谷合ではなく直接山越えの道で行きませんか? 多少険しいですが、ちゃんと道も引かれていますし」


「ん? どうして?」


「まず時間短縮になるということがあります。谷合の街道は大きく蛇行しているので一日ほど余分にかかると思います。あとは山頂付近から、これから目指すユルミール森海が見えるはずなんです。天候が良ければどんな場所なのかを見ておけるのではないかと思いまして」


「成程ね。そこまで峻嶮しゅんけんってわけじゃないし、僕はそれでもいいよ」


「ふむ、走車があっては無理だが、我々は走車も無いしな。街道よりも人が減るから人目を気にする必要もなくなるのはいいかもしれない」


 疲労もそこまでではないし、カガミの提案通り山越えの道でヤルナトヴァへ入ることにした。

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