変更
「んん? 俺を名指ししてくる奴が来たと聞いてきてみれば、いつぞやの……今日は……」
応接間に入ってきたのは、リアズラー奴隷商館の主であるリヒター・リアズラー。
齢を重ね、ハンターを引退して尚、筋骨隆々の体を維持する彼だが、ソファに座る自分を見て年相応に疲れた雰囲気を漂わせ、気だるげな溜め息を漏らす。
しかし、自分の背後に控えて立つスティカを目にした途端、硬直した。
「……こりゃ……ど、どういうこった……?」
戸惑いのつぶやきと共に扉を潜り、足元を一歩ずつ確かめるようにゆっくりと室内に入ってきたリヒター。
その視線は自分の背後に立つスティカに釘付けになっている。
「おめぇ……スティカ……か? ……あの?」
「はい。ここではお世話になりました、館主様。命を助けて頂いたことと合わせ、新たな主と巡りあわせて頂き、感謝の言葉もありません」
目を剥いて震える声を漏らすリヒターに感謝を述べ、微笑みながら丁寧に頭を下げるスティカ。
その二人の様子をニコニコしながら眺めるエシリース。
受け答えで生の声を聞いてもすぐに事実を受け入れられず、本当にあのスティカなのかとつま先から頭のてっぺんまで何度も見直すリヒターだったが、この反応は至極当然と言える。
四肢を失い、最早死を待つのみという有様だったかつてのスティカを知っている以上、今のように顔色良く、僅か数日で肉付きもある程度戻り、平然と腰を曲げて綺麗なお辞儀をする姿はさぞや自分の目を疑ったことだろう。
自分がその立場でも、魔法という超自然の技術がある世界であっても疑うはずだ。
「ハ、ハハ……な、なんだ……? どうなってんだ? なにがどうなりゃこうなるってんだよ? それとも夢か? ここ最近の疲れで俺ァ、少しばかり寝ぼけちまってるんか?」
スティカを凝視したまま動揺するリヒターだが、頭に生えてしまった角の事は気にしていないようだ。
まぁ小さくて髪に隠してしまうと殆ど目立たない程度ではあるのだが。
このままでは話も進められないし、さてどうするかと考え始める。
しかしこちらが口を出す前に、スティカとエシリースが目を剥いたままのリヒターに話しかけた。
「現実です。私はクロ様に、生きる意味を与えてもらいました。背負いきれない御恩を少しでもお返しするため、仕事に邁進したいと思います」
「店長ー。大丈夫ですかー? ほら、この通り、幽霊じゃないですよ。ちゃんと本物の足ですアダッ」
そう言いながらヴェルウォードの屋敷で借りている侍従メイド服をまくりながら、スティカの細い足をポンポンと叩くエシリースに、スティカが無言のチョップを入れる。
「ほ、本当に……か。まさか、教会の奇蹟……いや、禁忌に手を出したか?」
「それは言えません。商売では手の内を隠すものでしょう? 簡単には教えられませんよ。商売である以上、利益を求める。それを教えてくれたのは他でもないリヒターさんだったじゃないですか?」
「! ……クク、ハハハハ! 確かにな。商売じゃ手を隠し、裏を掻き、相手を出し抜いて利益を得る。まったく……どんなコネを使ったか知らんが、恐れ入ったぜ。一介のハンターごときじゃ到底無理だろうが、それがお前さんの力ってわけか。こちとら商売人、前の言葉に偽りはないぜ。無粋なことは無しだ。それに……」
前の調子を取り戻したらしいリヒターは、ドスドスとこちらまで歩いてくると、向かいのソファにドカッと腰を投げ出す。
そしてガシガシと禿頭を掻くと、どこか嬉しさと親しみを感じさせる声で続ける。
「俺の目に狂いは無かったな。あの時の直感、お前さんならって感覚。それを信じた俺は正しかった。二人をお前さんに任せて良かったぜ。下らねぇ探りはナシだ。とにかく何よりも……俺は……グハハハ! 最高の気分だ」
強面のリヒターのにやりと笑ったその顔は、下手なゴロツキなんかよりよっぽど怖いものがあったが、その内に秘める優しさを知っていると、やはりどこか粗野な父親のような感覚を覚えてしまう。
元々治療した手段については明かすつもりは無いし、スティカ達にも黙っているように口留めしてあったが、この様子なら詮索は心配しなくてよさそうだ。
「んで? 二人がこの様子ならどうしてまたここに? 次の奴隷でもってか?」
スティカを嬉しそうな目で見ながらそう聞くリヒターは、とても楽しそうだった。
そんな彼にこちらも笑顔で応対する。
「いえ、契約の事を変更したくて来たんですけど」
「ほう? 奴隷契約をか? フム、よしわかった。書類取ってくるから待っててくれ。それと本人確認があるからギルドカードも出しておいてくれ」
そう言って来た時とは違い、足取り軽く応接間を出て行く。
「フフフ。やーっぱり驚いてましたね店長」
「そりゃそうだよ。それにエシーだってあの時凄い驚いてたじゃない。人のこと言えないからね」
「う、それもそうですね。寧ろ驚かない人がいたらそっちの方がびっくりか……あ、それと、私たちの契約に関するお話するんですよね? 私たち、外した方がいいですか?」
「いや、そのままでいいよ。というか、二人も聞いてよく考えておいて欲しい」
「……?」
そんなことを話していると、すぐにリヒターが戻ってくる。
先程と同じようにソファに腰を下ろすと、布の封筒のようなものに入っていた書類を取り出し、テーブルの上に並べた。
「これがお前さんの契約書だ。……スティカ達を外させないのか?」
「ええ」
本人の契約に関する内容を聞かせるのは、確かにどうなのだろうと思わないでもないが、今回はそれを聞いて考えてもらわなければならない。
しかしこちらの意図がわからないリヒターとエシリース、スティカの両名は不思議そうにこちらを見つめていた。
「そうか。じゃ、どんなふうに変更する? 登録内容の変更ってことは、所有者の移譲や譲渡ってことか?」
「いえ、そういうのではなく、登録日から一年したら契約を破棄し、解放するって明記しておいてもらえます?」
「何だと?」
ここを訪れた理由は二つ。
一つ目はスティカ達の契約内容の変更だ。
ヴェルタここを発つ前に済ませておきたかった。
「クロ様、それは……」
「変な誤解しないでね。別にスティカやエシリースがいらないってわけじゃない。でもこのままスティカ達をずっと奴隷にしておくつもりも無い。
今後この国を出て動き回ると、契約の破棄に戻ってくることもできなくなるかもしれないから、予めそういう契約にしておこうと思ったんだ」
奴隷商人もギルド連合に加盟しているので、出入金と同じようにどこかの国のギルド庁舎に行けば手続きはできるのかもしれないが、それだって手間には変わりない。
それなら最初から変えておいた方がいいだろう。
以前に少し話しておいたが、ずっと仕えたいと言っていたスティカは何やら複雑な様子だった。
当初の考え通り、自分は彼女達を契約で縛り続けるつもりはない。
「……いいのか? 売却ではなく、解放にしちまって。決して安い買い物ってわけじゃなかったはずだが……?」
「ええ。二人には二人の人生がある。僕はそう考えてるので、力を借り終わったら解放したいんですよ」
別にどこかに行けというわけではないことは以前にも伝えてある。
契約という軛が無くなって尚、仕え続けるという選択をするならそれもいい。
例え気持ちが変わらなくとも、何の柵しがらみも無く、自由に選ぶことができるようにしなければ意味が無い。
だから今のうちによく考えておいてもらいたかった。
「……変わってんな。いや、今更か。考えは人それぞれだしな。わかった。登録日からきっかり一年で契約は破棄される。二人の登録情報も同時に消滅するから、身分を証明する手段が無くなる。時期が来たら何か考えておけよ」
「わかりました」
「要件はそんだけか?」
「いえ、もう一つ───」
そう言って未だ困惑気味のエシリースとスティカに視線を向けた。
ここに来た理由の二つ目。
◆
「お待たせ、メリエ」
「随分早かったな。もう済んだのか?」
奴隷商館の前で待っていたメリエと合流する。
メリエはギルドでもらってきた依頼書に目を通していたようだが、こちらに気付くと顔を上げた。
「うん契約の変更はすぐ終わったよ」
「登録者本人だからな……二人は?」
「リヒターさんとか世話役のおばさんとかと話してる」
二つ目の理由は、彼女達に時間を作ることだ。
今後この都市を出れば話をすることもできなくなる。
積もる話もあるだろうし、お別れだって言いたいだろう。
この後事を考えると来てもらわなければ困るから、ずっとというわけにもいかないが、それでも少しは時間を作ってあげたかった。
「そうか。じゃあ今のうちにギルドの方もことも話しておけるな」
「そうだね。メリエのお師匠のこととか依頼のこととか、僕も聞いておきたい。丁度いいからちょっと散歩しながらにしない? 喉も乾いたし」
「お、いいな。香り水でも買うか」
「そうだね。スティカ達の分も買ってこよう」
二人が戻るまで、久しぶりにメリエと二人だけ歩く。
メリエの横顔はどこか嬉しそうだった。
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