鍵言
「じゃあね。またおいでよ」
「はい。ありがとうございました」
「お世話になりました」
魔法商店での買い物が終わり、ドアベルを鳴らして外に出る。
空はもう青さが消え、濃い藍と残り火に焼かれるような朱のコントラストが頭上に現れていた。
陽の強さが地平の向こうに翳ったことで、立ち並ぶ建物の影が一層濃くなり、通りを行き交う人々は暗さが増す前に帰り着こうと足を速めている。
もう間もなく、黄昏れ時から
魔法商店の入り口まで見送ってくれた店主の老婆に会釈をし、来た時よりも人の数が減った大通りへと出る。
食事処は夜の書き入れ時に入ったらしく、店の前には人だかりができている場所もあった。
自分とアンナはこの後に学院に戻らなければならない。
竜舎に飛竜たちが戻ってくるまでにはこちらも戻っていなければまずいが、幸いなことに今日は夜間訓練がある日らしく、陽が落ちても暫くは余裕がある。
さすがに夕食を摂ってからでは間に合わないが、今から慌てて戻ることもない。
「これでみんな魔法が使えるようになったわけだね」
「はい。といっても、練習しないとダメですけどね」
「そうそう。技術もそうですけど、触媒になじむまでは少しかかると思いますよー。でもよかったんですか? 本当に私やスティちゃんも買ってもらっちゃって……」
エシリースは短めの杖型の触媒を、申し訳なさそうに手に持つ。
それと同じような顔でスティカも顔を伏せがちにこちらを見た。
周囲が暗くなっているので殊更に落ち込んでいるように見えてこちらが居た堪れなくなってしまう。
「いいよ。二人も使えた方が便利だし、ホラ、僕のアレを考えると多少の魔法は全然危なくもないし」
エシリースは杖型の触媒を、アンナとスティカは指輪型の触媒をそれぞれ選び、購入した。
金額は確かに安くはないものだった。
店主の話では入門用ということだったので、高くても金貨で収まるはずと考えたが、それは甘かった。
「でも触媒は高いよね」
「そうですね。魔力に親和性のある素材がまず高価ですし、それを出力調整しながら触媒に加工するのも
一気にたくさんは作れない上に、高度な技術も必要で、更に素材まで高価となると……仕方ない値段ではありますね」
三人分ではあったが、緑金貨で支払わなければならないくらいには高い買い物だったのだ。
使えれば戦闘のみならず、日常生活に於いても便利なわけだし、才能があるなら誰もが使っているはずだろうに、街中で魔法を大っぴらに使っている者は少ない。
魔力そのものは決して珍しいものではなく、魔力を保有している者も多いはずなのに、魔術師を名乗る者は限られている。
その理由が判明した訳だ。
素材は魔物から採れるものから鉱物類、植物類など様々だが、人間種の魔力に呼応できるものを見つけるのは大変なのだそうだ。
しかもただ強く魔力を放出できればいいというわけではなく、用途によって調整が必要になる。
素人に高出力の触媒を使わせれば制御ができず、一気に魔力を放散してしまったり、魔法が暴発し命を落とす危険もある。
ゲームなどと同じ持っていれば使えるという便利なものではなく、本人の力量に合わせて気を遣わなければならない繊細な物なのだそうだ。
店主の老婆はその辺も見越して、アンナ達に合ったものを時間をかけて見繕ってくれた。
今回買ったものは三人とも入門用なので、アンナ達の力量が上がればそれに合わせて買い替える必要があるだろう。
人が減り、篝火に火をつける衛兵が行き交い始めた中、ヴェルウォードの屋敷に向かって進む。
まだみんなの足取りは軽いようだったが、ライカだけはお腹がすいたのかちょっとだるそうだ。
まばらになったが、逆に暗くなって見えづらくなった通行人に注意しながら歩きつつ、ふと思ったことを聞いてみた。
「そういえばさ。人間の魔法ってどういう風に使うの? 僕、建物内の授業は聞けないからわからないんだよね」
実技系は外で行うため、竜の巨体でもアンナと一緒に話が聞ける。
しかし理論系は校内で行われるため、竜の姿の自分では聞くことができない。
まだ学院で過ごして数日ではあるが、アンナは理論に関しても既に話を聞いたとのこと。
しかし今までは忙しく、その辺を詳しく聞いてはいなかった。
今なら聞いても良いだろうと話を振ってみた。
「そういえばそうでしたね。えっと、説明したいんですけど……どこから話せばいいか、私もまだ全部覚え切れているわけではないので……」
それもそうか。
自分だってたった一度の講義で完璧に理解できるタイプの人間だったかと言われれば否としか言えない。
人間種の魔法について確認しておきたかったが、学び始めて数日のアンナに説明しろはさすがに酷だ。
となると期待できるのは……。
「クロ様、私たちが基本として学ぶ四象魔法は端的に言うと、魔力、触媒、鍵言で成り立っているんです。
私も学科は文官養成系でしたが、魔術に関しては必修がありましたから、少しはお話しできます」
言い淀んだアンナに代わり、スティカが話し始める。
アンナはちょっと悔しそうにしたが、長く学んでいた経験のあるスティカには適わないとわかっているのか、何も言うことは無かった。
「フムフム。具体的にはどんな風に?」
「はい。まずは起こしたい魔法を決め、その分の魔力を触媒に通します。これは訓練して量を覚えなくてはなりません。それが出来たら今度は鍵言で魔法として編み上げ、現界させるんです」
話だけ聞くと単純だが、イメージしにくい部分もある。
魔力は星術の星素と似ているものと考えられるが、鍵言とやらは完全に違うシステムのようだ。
「つまりは使う分の魔力と、鍵言ってのが重要ってことかな?」
「はい。当然触媒を用意する財力も重要になりますが、個人の技量という意味では魔力と鍵言で合っていると思います」
「私も師匠に触媒を借り、魔法を使ってみようと練習したことがあったんだが、鍵言の仕組みが難しくてな。魔力が低いということもあって早々に諦めたんだ」
スティカの話を聞いていたメリエがちょっと懐かしそうに思い出を語る。
「鍵言って、つまりは呪文のことだよね? 覚えて言えばいいんじゃないの?」
魔力を調整し、呪文を唱える。
魔法といわれて一番しっくりくるのがコレだが……。
「えっと、大雑把に言うと間違ってはいません。ですが、鍵言で最も重要になるのは組み合わせなんです」
「組み合わせ?」
「はい。例えばですけど、四象魔法の属性の一つ、火を出すとします。───火よ」
スティカは歩きながら触媒の指輪を嵌めると指を立て、小さく唱える。
するとスティカの指先にポッと蝋燭のような小さなオレンジの火が灯った。
「おお」
思わずそれに見入る。
初めて星術を使って火を灯した時のことを思い出した。
「〝火〟という言葉、つまり鍵言のみだと、どんな人でもこの程度の火しか起こせません」
そう言ってスティカは指先の火を吹き消す。
「これを、例えば戦いで使える程に威力を高めるには、他の言葉と組み合わせたり、火を表す言葉を変えたりしなければなりません」
「……どういうこと?」
「火には、多少の意味の違いはあれど、それを表す様々な言葉がありますよね。火、炎、焔、燃……これら以外にも連想する意味で様々な言い回しができます」
この世界の言語についてはよく知らないし、自分は星術の【伝想】によって勝手に翻訳された情報を受け取っているから今まで考えてこなかったが、どうやら一つの事象でもその微妙な差異で複数の言葉を割り当てて使う言語のようだ。
実際スティカの言葉はそのように翻訳されているわけだから、間違ってはいないだろう。
そういう意味では日本語に似ているのかもしれない。
「ですが、言い回しを変えても起こる火にさほど違いは無いんです。───炎よ」
スティカはもう一度、今度は言葉を変えて火を起こした。
「……んー……さっきとそれ程変わらない?」
が、指先に灯ったのはさっきとほぼ同じくらいの小さな火だった。
「はい。四象魔法の強さを決めるのは、込める魔力の量と四象を表す語を修飾する言葉なんです。───大なる火よ」
スティカは再度言葉を紡ぐ。
指先に灯る程度だった火が、今度は松明くらいまで大きくなった。
「おお」
「このように、火という四象を表す言葉と、それの特性を表す言葉を組み合わせることで魔法が編まれます。本当はもっと複雑な理論があるんですけど、わかりやすく簡単に言うとこういうことです」
ちょっと得意気に説明するスティカの表情は楽しそうだった。
前も思ったが、スティカは先生向けの気質なのかもしれない。
「成程ね。でも覚えて組み合わせればいいんでしょ? 何が難しいの?」
「はい。実は言葉によっては組み合わせの効果が現れないんです。───大なる焔」
また言葉を変えてスティカが呪文を唱える。
「あれ? 小さい?」
しかし起こった火は最初と同じ、蝋燭程度のものだった。
「このように、言葉によっては組み合わせても効果が現れないことがあるんです。どうしてなのかはっきりとした原因は突き止められていないんですが、一説によると、この術式を考案した術者が単純な言葉のみで強大な力を放出できないように制限を設けたのではないかと言われています。
また組み合わせる言葉によって至適とされる魔力の量にも差があります。理論的にはたくさんの魔力を込められれば短い鍵言でも大きな効果を生むこともできるはずなんですが、実際は短い鍵言だけだと実用に足るだけの魔力は込められないことが多いそうです。
魔物と戦ったりできるだけの魔法を起こそうとするなら、適切ないくつかの言葉を組み合わせ、魔力の量や触媒の質を変えなくてはなりません」
……思った以上に複雑だ。
単純に呪文を覚えればいいというものではなく、たくさんの言葉の組み合わせに、その組み合わせに最適の魔力の量を合わせなければいけないということ。
無数にある言葉の中から膨大な組み合わせを探し出し、或いは新たに組み上げ、適切な魔力の量を割り出す。
成程、一つの学問として成立するわけだ。
「確かにこれは独学で覚えようとしたら大変だね。ある程度は先人の遺した知識を使わせてもらわないと」
「そうですね。私も講義を聴いていてそう思いました」
アンナは自分の言葉にうんうんと頷く。
アンナの頷きに合わせて頭の鳥精霊もカクカクと揺れた。
「基本的なことを覚えて、それに適した魔力操作を行えるように訓練するだけでも普通は長い時間を要しますから、学院で学ぶのが最も効率的と言われています。
中には鍵言なしに魔法を起こせたり、通常とは違う発動機序で魔法を使ったりといった例外もあるんですけど、これは個人の資質に影響されると言います」
「それに加え、個人の得手不得手も影響してくるんだ。地水火風の四象もそうだが、攻撃系か支援系かでも違ってくるし、魔力の操作技術でも変わってくる。使いたいと思う魔法が自分の得意分野ならいいが、苦手とする分野に当たるととことん苦戦するそうだ。それだって実際に使ってみなければ自分に合う合わないがわからないしな。
元々才能が乏しかったとはいえ、私が早々に武器一本に絞ったというのも分かるだろう?」
「うーわ。そりゃ大変だ」
「(ホントに、もっと単純なつくりにすればいいものを……技術とは万人が共有できるようにするためのものなのだろう? 随分と矛盾しているな)」
ライカが自分の溜め息に同調する。
メリエが諦めた気持ちも、星術の便利さも良くわかった。
安全上仕方が無いのかもしれないが、複雑さを考えると学問として修めようとしたら長い時間を要するだろう。
基礎的なことを学んだら、後は自分で修練していくしかないのかもしれない。
というよりアンナ達は魔法に拘らず、アーティファクトを含めた星術の方に重点を置く方がいいとさえ思えてしまう。
歩きながら簡単な魔法の講義を受けていると、貴族街に差し掛かる。
もう間もなくヴェルウォードの屋敷だ。
空もほぼ暗影に沈み、無数の星が暗闇に神秘的な彩を添えていた。
シラルかシェリアのどちらかに今日のことを伝えたら、アンナ、ライカと学院に戻ることにする。
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