エーレズの地下書庫 第一層

「お初にお目にかかります。僕は〝大書庫〟の潜行官ルインダイバー、アナベルです」


 椅子から立ち上がったのは青年。

 背格好は20歳かそこら。

 声と見た目はまだあどけない感があるが、喋り方は大人びている。

 しかし、街で見かけるような青年とは少し違った。


「(こいつ……目が見えないのか?)」


 ライカがポツリと言った通り、アナベルと名乗った青年は初めて出会ったレアのように両目を布で覆っている。

 付け方からしても完全に視界を覆っていて、普通なら何も見えないだろう。


「この度は僕が皆さんをご案内します。どうかよろしくお願いしますね」


「あ、よろしく……」


 ペコリと頭を下げたのに釣られ、こちらもそれぞれが頭を下げる。

 その様子が見えているかは甚だ疑問だが……。


「オッホン。私はここまでです。此度、お客人の要望に応えるため最高の人材を斡旋しました。年若いですが彼は我々が利用している区域ほぼ全てを暗記しておりますので、ご希望の書架にも辿り着けるでしょう。では、御武運を」


 ヒューナーはそれだけ言うと部屋を出て行く。

 普通に考えてこの国で最も安全な場所の一つであるはずの王城、その地下にある書庫に赴くだけなのに、御武運をとは、何とも物騒な不安が過る。


「では、早速行きましょうか」


 ヒューナーが出て行って一拍の間のあとに、アナベルが明るい声音で言う。

 ヒューナーの思わせぶりな言葉のあとだと、その明るさが逆に不安をかき立てた。

 アナベルはヒューナーが出て行ったのとは反対側にある重厚な扉を押し開け、そのまま中へと入っていく。

 それは普通に目が見えているかのような当たり前の動作だった。

 アナベルの後にアルバートが続き、その後にナルディーンが扉を潜る。


「……僕達も行こうか……」


「はい」


 こちらもそれぞれと目配せすると、三人の消えていった扉に足を踏み出す。

 狐姿のライカはヒョイと自分の背中に飛び乗り、また頭の上に顎を乗せて肩車の姿勢だ。

 アンナに抱かれている方が良さそうなものだが、周囲が良く見えるのでこっちの方がいいらしい。


 中は緩やかな下り階段。

 ひんやりとした空気が頬を撫でた。


「暗いので足元に注意を。でも、第三層までは罠などを気にする必要はないです。怖がらなくて大丈夫」


 少し前を行くアナベルがそう言うと、薄暗い階段に声が反響した。

 壁には発光する石が埋め込まれているらしく、淡い光が頼り無げに足元の影を薄くしていた。


「……ねぇ? 不躾で悪いけど、アナタ、目が見えないのよね?」


 アナベルの少し後ろを歩くナルディーンがアナベルに疑問を投げかける。

 普通に考えればあんな風に布を巻いていれば見えていない。

 でもアナベルの動きに迷いや躊躇いはない。

 足運びも物を避ける動きも普通に見えているようなのだ。


 初対面なら誰でも思うことだろう。

 しかしそれを出会ったばかりの相手にズバッと聞ける人間は少ない。

 ナルディーンはそうした感情より好奇心が勝ったようだ。


「ええ、僕は生まれついて両目が見えません」


「……本当に?」


「ええ、本当に僕は色を見たことがありません」


「にしてはスイスイと歩くわね。こんな階段を……」


「慣れですよ。僕はもう何百回もこの階段を上り下りしてますから」


「……見えないのに本を扱うことなんてできるの?」


「残念ながら読むことはできませんけど、僕は人よりちょっとだけ記憶力がいいんです。一度触った本ならどこに置いたかを記憶しておけるので、案内はできますよ」


「……ウソでしょ? 膨大な数の書架に、無数の本の位置全てを記憶してるっていうの?」


「ええ、僕が一度触っていれば」


 アナベルは事も無げに言っているが、普通に考えれば尋常な記憶力ではない。

 どの程度の規模の書庫なのかは知らないが、仮にも王城地下にあるのだ。

 半端な蔵書数ではないことだけは予想できる。


 一般的な人間の記憶力では覚えておくことすらできない数を、それも一度触っただけで場所を記憶し続ける。

 彼は恐らく、特殊認知能力者……所謂、サヴァン症候群のようなものではないだろうか。


 その理由は解明されていないが、自閉症や知的障害を持つ人間のうち、特定の分野に限り凄まじい能力を発揮する者達。

 こと記憶に関する分野に顕著に見られ、現代地球でも何人か確認されている。

 一度読んだ本を全て暗記できる者、一度見ただけで写真のように映像を記憶できる者、並外れた桁の暗算を瞬時に行うことができる者、一度聞いた音楽を即座に再現する者、様々な国の言語を自由に操ることができる者など、その種類は多岐に渡る。


 その反面、対象が少しでも変わると全くできなくなってしまうケースが多いのだとか。

 歴史上の天才と呼ばれた人間の中にも、サヴァン症候群ではないかと言われている者がいるらしい。

 今のところ彼の素振りにはそうした障害があるようには見えないが……それとも何か特殊なスキルのようなものを保有しているのだろうか。


「……信じられないわね」


「よく言われます。でも、こんな僕が王城地下の〝大書庫〟専属の潜行官になれている、というのが証拠じゃダメですかね? 

 それに、この〝大書庫〟では〝見えないこと〟が重要だったりするんですよ。だから僕がこの役目を仰せつかっているわけです」


「……貴族連中が考えそうなことだな。おっと失礼、ナルディーン殿も貴族だったな」


 アルバートが零した言葉に納得する。

 つまり簡単に言えば、目の見えないアナベルから王国の情報が漏れることは無い、ということだろう。

 王国にとってそれがどれだけ都合がいいか、想像に難くない。

 笑みを浮かべながら皮肉を言うアルバートが、興味深そうにアナベルを見詰めているのが印象的だった。

 そのまま階段を下り続けると、また扉が見えてくる。


「ここから先が第一層です」


 階段を下り切り、アナベルが扉を開くと、薄暗く長い一直線の通路が続いている。

 通路の両脇にはいくつもの扉が等間隔で並び、それぞれの扉に看板のようなものが掛けられていた。


「ふわー。ずっと向こうまで続いていますね」


「第一層は主に頻繁に出し入れされる文書が収められています。

 最近の学術書や研究録、帳簿類、各領地や貴族からの報告書、経理書類、各国での出版物、ギルド連合絡みの文書、会議録、議事録、法令、騎士団関連、事件簿、国民から寄せられる様々な文書、などなど。

 それが種類と年代ごとに分けられ、収められています」


 アナベルはそう言いながら一番近くにあった扉に近づくと、それを開いた。

 中は結構な大きさの部屋だ。

 学校の教室……くらいだろうか。


 その部屋に所狭しと書棚が詰め込まれており、隙間なく文書が収められている。

 製本されている本は少なく、紙束のようになっているものや巻物のようになっているものが殆どのようだ。

 一つの部屋でこれだけということは、第一層だけの蔵書量でも凄まじい数にのぼるだろう。

 その量もさることながら、それを余さず記憶しているというアナベルに一種の恐怖感を覚える。


「にしても……何とも、頭が痛くなる量だな」


「ここは国の中枢です。年間の資料も膨大ですからね。何年も経って古くなった資料は第二層へと送られていきます。

 えーっと、今回探している資料は何でしたっけ?」


 アナベルは悪びれる感じも無く聞いてきた。

 恐るべき記憶力を持つという割に、肝心なことを忘れているとは……やはり特定分野だけの記憶力ということなのか。

 記憶力に関するスキルを持っているのなら肝心なことを忘れるのはおかしいだろうし、やはりサヴァン症候群のような症例なのかもしれない。


「地図が見たいんです。できるだけ広域の。それから竜人種関係の資料、古竜種関係の資料ってありますか?」


 他にも知りたいことはあったが、まずはメリエの母親のことだ。

 アナベルは口元を引き締め、顎に手を当てて少しだけ考え込む。


「……今回は封印を解くことも許可されているんでしたっけ。封印された書架まで入れると……」


 独り言をつぶやく彼の次の言葉を待つ。

 心なしかメリエの表情も強張っており、それを察したアンナは心配そうな視線でメリエの背中を見詰めていた。


「……現在、戦時ということもあり、地理関係の資料は機密に類別されているので保管されている書架は第四層になります。

 それから竜人、古竜種関連の資料ですが……古竜種についての文献は歴史書、童話、口伝、事件簿、生体録、出没記録、研究記録なども含めて第三層にあります。

 問題なのが竜人種の記録で、禁秘文書であるため保管先は第六層から下になり、行くのはかなり大変ですよ」


「ねえねえ。私は今回魔導書を見せてもらう約束なんだけど、魔導書系はどこにあるのよ」


「魔導書ですか。普通の物なら学術書に混じって第一層から保管されていますが……」


「そんな物なら自分で持ってるわよ! 私が探しているのはもっと古くて希少度の高い物。今回私は色々面倒事を引き受ける代わりに封印された魔導書とかを見せてもらえる約束になってたはずよ。聞いているでしょう?」


「えーっと……あーそういえばそうでした。封印された魔導書ということは、第五層から下の書架です」


「その中にダンタリアンの書架は入ってる?」


「えー……そこまで潜るんですか……? それがあるのは第七層ですよ。今回僕はアンナさんとクロさんの案内で来ているんですけど……」


「いいじゃない! ここに来れることなんて滅多に無いんだし、ちょっとくらい付き合いなさい。ちゃんと封印を解く許可はもらっているんだから、悪いことしてるわけじゃないでしょう」


「そ、そういう問題ではなく……とても危ないから……」


「よし! じゃあ進みましょう。一層には探している本は無いんでしょう? 次に行くわよ、次!」


「ご、強引だなぁ……」


「やれやれ……」

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