ヴェルウォードの庭から
「スティちゃん……を、どうするんですか……?」
エシリースの目には疑念の色。
まぁ当然か。
王女の時と一緒である。
死に魅入られ、最早助かる見込みは無いとまで言われた人間を治そうというのだ。
常識的に考えて疑うなという方が無理からぬこと。
「言った通り、治療するんだよ。僕はこれからアルデルの方まで行ってくる。シェリアさん、ここで元に戻るので人払いをお願いします」
細かく説明はしない。
口では説明するだけ無駄だろう。
見てもらうことが何よりも早く、確実。
「わ、わかりました。ですが……アルディール領へ……? それはまた、どうして……」
「彼女を治療するには必要なんです。アンナ達はどうする? 遠いし、待っていてもいいよ?」
「当然行きます!」
「私たちが出会った町か……私も行きたいな。ポロには留守番しててもらうしかないだろうが……」
「(聞かずともわかるだろうに)」
三人の意思を確認し、頷くと、最後にエシリースに向き直る。
「……これから、いや、この先に起こること全てが、エシリースとスティカにとって重大なことになる。だけど、それなくして、スティカの運命が変わることはないだろう。
驚くかもしれないけど、今は信じてもらうしかない」
普通の人にとって、この変容は大きなものだ。
価値観そのものを根底から覆す。
人生が、ものの見方が、そして心の在りようが変わる。
人によっては受け入れられず、心を病んでしまうこともあるかもしれない。
それ程のものを突然押し付けられるのと、覚悟を以て当たるのでは違いも大きい。
「……正直、わかりません。クロ様が何を言っているのかも、全部……だけど! だけど……スティちゃんのためになるなら、例え僅かな希望でも……そのためなら、私の体でも何でも捧げます」
それで十分だ。
誰かのために。
その想いは強い。
「大丈夫! クロさんは優しいですから。私たちも最初は驚きましたけどすぐ受け入れられましたよ」
「そうそう。クロはクロだ」
「え? ええ? ち、治療するだけ……なんですよね?」
それだけなら簡単でいいんですがね……。
それにどれ程の驚嘆が伴うかはエシリース次第。
だけど騒がれると使用人さん達に迷惑がかかるかしれないか……ならここは……。
「アンナ、アンナ。エシリースがさ……ボソボソ」
「え? ……あ、はい。わかりました」
アンナに耳打ちをすると距離を取り、さっさと服を脱ぐ。
「!? ど、どうしたんですか?! 突然そんな!」
「まぁ見てもらう方が早いから。じゃあ離れてねー」
突然服を脱いで裸になったことでエシリースが慌てる。
……一応ちゃんと見えないように隠している。
露出癖はつけないようにせねば。
驚くエシリースの隙を見てアンナが背後に回り込んだ。
隠しているのでアンナにもメリエにも怒られることは無いが……青空の元で、しかも異性の目がある中で裸を晒すという状況……羞恥と脱力感を伴う複雑な心境になるのは相変わらずだった。
スゥと息を吸い込み、心の中で【元身】を唱えると、美しい緑と青空に彩られた静かな中庭に、突如黒い塊が出現する。
それは人を遥かに超える大きさとなり、やがて輪郭が明瞭になる。
元の体の調子を確認するかのようにのそりと体を起こし、翼を広げた。
ここで咆哮の一つでも上げれば威厳たっぷりなのだろうが、そんなことをすれば大騒ぎになるので声は出さない。
この後のことを考え、変身のついでに色を飛竜のものへと変えておくのも忘れない。
「ほ、ほあ……!」
「はいちょっと待って下さいね」
「ムグッ!?」
エシリースが自分を見上げて思わず悲鳴を上げそうになったが、背後に回っていたアンナがすかさず口を手で覆う。
初めてこれを見た人間は大体声を失うか、逆に悲鳴を上げるかのどちらかだ。
声を失ってくれるならいいが、悲鳴を上げられると困るのでアンナに頼んだのだった。
「よし。問題なし。
エシリースさんもびっくりしたと思うけど、僕人間じゃないんだ。今までは人間に化けていたの。ここにいるみんな僕の正体を知って、それでも信用してくれてる。
すぐには無理かもしれないけど、エシリースさんも早く慣れてね」
「んん!? んー! んんー!」
アンナに口を押さえられて何て言っているのかはわからないが、目を見るにこれまた定番の「竜が喋ってる!」と叫びたいようだ。
「大丈夫ですから。食べられたりは絶対ありません。クロさんは人と同じものしか食べませんし、私たちも助けてもらったんですよ。スティカさんもきっと助けてくれるはずです」
「うむ。私も大切な相棒を救ってくれた。それに今も私の願いのために協力してくれている。
今回奴隷商館に赴いてエシリースとスティカを購入したのも、私の願いを叶えるためなんだ。それくらい、仲間を大切にしてくれている。どうか怖がらないでやってくれ」
「んん。モゴ……」
アンナの手から逃れようとしていたエシリースだったが、アンナとメリエの言葉を静かに受け止め、落ち着いてきたようだった。
じっとメリエの目を見ていたエシリース。
慌てた様子もなくなったのでアンナが手を離すと、神妙な顔で黙り込んでいる。
まぁすぐに打ち解けろは無理があるのはわかる。
しかし、今はじっとしているわけにもいかない。
「今は納得できなくても、時間が無いんだ。アンナ、メリエ、スティカを背中に乗せてくれる?」
「はい」
「わかった」
「あ、待って下さい!」
アンナとメリエにそう頼んだところで、エシリースが止めに入った。
それを聞いて二人が立ち止まる。
「……私が、乗せます。どうか、スティちゃんをお願いします」
「勿論だよ」
それを聞いたアンナは顔を綻ばせる。
メリエも口元を緩めて一つ頷いた。
恐る恐るといった感じだったが、止まることなくスティカを運んで自分の背中に固定していく。
スティカを乗せる前に応急手当として癒しの星術をかけておいたので、体力的に問題が出ることは無いだろう。
アンナとメリエは荷物を背中に括り付け、手綱をつけた。
その後メリエはポロに事情を説明しに、屋敷に備え付けられている走厩舎に駆けていく。
ライカは無言のままヒョイと背中に飛び乗り、最早ライカの特等席と化した首の裏側に陣取る。
「道中お気をつけて。それと、これを」
シェリアは屋敷から出てきた執事持ってきた装飾の綺麗な筒を受け取ると、そのままこちらに差し出す。
渡した執事はすぐに踵を返し、屋敷に戻っていった。
「……これは?」
「アルディール伯へ書簡を用意しました。もし何かあれば訪ねて下さい。助力を得られるはずです。王女殿下との謁見も迫っていますが、時間がかかるようでしたらアルディール伯に申し出て頂ければ早馬を出してくれるでしょう」
アルディールは元々戦争推進派から逃げようとしていたシェリア達が、助けを求めに行こうとしていた穏健派の貴族だ。
信用できるということだろう。
まぁ何かあるということは無いと思うが。
そういえば、アスィの村で出会った自分を買おうとした貴族もアルディールの一族だっけ……気まずいから会いたくはないな……。
「ありがとうございます。何かあったら使わせてもらいますね。まぁ早ければ今夜か明日には帰ってくると思いますけど」
「成程、では必要ないかもしれませんね」
それよりも遠い国境まで二時間弱で行ってきたのだ。
いくら人を乗せていてもかかる時間は数時間である。
書簡はアンナが受け取ってしまってくれた。
話も終わり、それぞれが背中に乗っていく。
アンナはいつも通り手綱を握り、ライカはソワソワとしながら飛び立つのを待っている。
ポロのところから戻ってきたメリエが一番後ろで荷物とスティカを担当、最後におっかなびっくりとエシリースがアンナの後ろに乗った。
エシリースは恐怖より決意と義務感が勝っているようで、弱音を吐くことも無く背後のスティカを気遣いながらアンナに掴まっている。
「よし。じゃあ行きますか」
ヒュンと尾を一振りし、バッサと翼を広げる。
防護膜の準備も万全。
向かう方角も確認した。
「いってらっしゃいませ。スイ達には伝えておきますので」
「はーい。すいませんね、庭を荒らしちゃって」
「大丈夫ですよ。庭師には魔術師もおりますから、すぐに元通りにできます」
成程、その手があったか。
納得したところで【飛翔】を起動し、空へと舞い上がる。
手を振るシェリアはすぐに豆粒より小さくなり、広大な王都に立ち並ぶ家々の陰に見えなくなった。
「(クロ、これからどこへ行くんだ?)」
「(ああ、僕が生まれたところ)」
ライカの意外そうな目ににやりとしながら、首を母上と暮らした森の方へと向け、速度を上げた。
◆◆◆
「……間違いありません。今飛び立った飛竜から反応がありました」
「速い……いっちゃった……」
「飛竜まで使えるってことは、この国ではかなり権力を持ってるってことよね? そんなのが何であんなところで野宿してたのかしら……ハァ……一体何者なのよ」
「巫女の呪があったとはいえ、やっと戻ってきて見つけたと思いきや……どうする巫女?」
「あーんたねぇ! 元はと言えばあんたが話をややこしくしたんでしょーがぁ! 他人事みたいに言ってんじゃないわよ!」
「……」
「あ! コラ! 無視すんな! この筋肉バカ!」
「はいはい、二人とも。とりあえず追うか待つか決めましょう。追うならもう一度呪を掛け直さないと追いつけませんね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます