星術の限界

「あ、あの。ここって貴族様のお屋敷がある地区では……?」


「そうだね。今部屋を借りている人達の家がこっちなんだよ」


「え? えぇ!?」


 貴族の屋敷が立ち並ぶ人通りの少ない道に入って行ったので、途中からエシリースがオドオドしはじめる。

 早速驚きの一つ目がエシリースに訪れるが、こんなものまだ序の口。

 ジャブにもなっていない軽いものだ。

 繁華街に比べて人通りは少ないが、逆に道幅は無駄に繁華街以上にある貴族の邸宅が立ち並ぶ道を歩き続ける。


 やがて一際広大な敷地を誇る屋敷が見えてきた。

 ヴェルウォード夫妻が王都で使用している屋敷だ。

 ヴェルウォードの領地にはこれよりも大きな屋敷……というよりも城を持っていると言っていたし、改めてスイ達が貴族令嬢なのだと思い知らされる。


「こここ、ここって……はわわ……」


「ここが今部屋を貸してくれている人達の家なんだ。ちゃんと断ってあるから入っても大丈夫だよ」


 既に門番の兵士には顔パスにしてもらっているので、近づいても何も言われない。

 そのままペコリと会釈をして通してもらう。

 門番の二人はニコリと笑うと綺麗な敬礼を返してくれた。

 彼らも自分達とヴェルウォード夫妻との事件や関係を知っているので、好意的に接してくれるのだ。


 敷地に入ってもまだ屋敷までは距離があった。

 整えられた芝の中に敷かれる石畳をゆっくり歩きながら、ふと考える。

 スティカを連れて貸してもらっている部屋に行こうかと思ったのだが、すぐに出かけることになるので屋敷には入らず中庭に向かうことにする。


 途中、玄関前で出迎えのために控えていたメイドさんに帰ってきた旨を伝えると、シェリアが戻ってきているので伝えてくると言って早足に屋敷に入っていった。

 伝言を残す手間を省けるので丁度いい。


「ああああの、ここって私の記憶が間違っていなければヴェルウォード公爵家のお屋敷……」


 何かに怯えるようにアンナの背後に隠れるエシリース。

 周囲をキョロキョロと見回し、はわわわと目を回しそうな表情で屋敷を見ながら言った。

 年下の少女の背に隠れる24歳……それでいいのか……。

 うーむ、やはり子供っぽく感じてしまうな。


「お、よく知ってるね。さすが元商人。そうだよ。ちょっと知り合いになってさ、厚意で部屋を貸してくれているんだ」


「そそそんなことって! 公爵! 王族の血を引く公爵様ですよ!? そんな方のお屋敷に堂々と! まさかクロ様は大貴族様なんですか!?」


 それどころじゃなく、下手したら王様よりもヤバイ存在なんです。

 しかしエシリースの驚きようを見ると正体知ったら倒れないか不安になるな……。


「いや、そんなんじゃないってば。身分も特にないし、ちょっと成り行きで助けたことがあったんだけど、それを切っ掛けに知り合いになって貸してくれているだけなんだ」


「は、はうう!?」


 慌てふためくエシリースを宥めながらゆっくりと中庭に向かう。

 芝と植木が美しい広い中庭に行くと、作業をしていたらしい使用人たちが静かに離れていった。

 客人を前に剪定や手入れをするのは失礼なのか、気を遣ってくれたのかはわからないが、今は有難かった。

 高い塀や生垣もあるし、大きな建物の陰にもなっているし、ここなら人目を気にする必要はない。

 芝の上に外套を敷き、抱えていたスティカを静かに下ろす。

 眠りで痛みを忘れているせいか、未だ穏やかに寝息を立てるスティカが目覚める様子はなかった。


「体、本当に軽い……死刑になってなかったら僕が代わりに踏み潰しに行ってるところだよ」


 撫でるように左目に充てられた布に優しく手を触れると、不安になる軽い感触が返ってくる。

 目を傷つけられたのではなく、眼球そのものを抉り取られているようだった。

 アンナと同い年のはずなのに、アンナの身長の半分も無くなってしまったスティカの体の有様を見ると、改めてはらわたが煮えくり返るような怒りが湧いてくる。


「クロさん……」


 アンナは祈るように手を握り、悲し気につぶやく。

 だがその表情にはスティカを見た当初にあった悲壮感はあまり見受けられなかった。

 レアのこともあり、アンナは治療できると思っているのだろう。

 しかし、事はそう簡単ではない。


「あの、ごしゅ……じゃない、クロ様。スティカをどうするのでしょう?」


 どういう意図で彼女を買ったのかわからないエシリースは、暗い怒りに身を焼き、スティカを見下ろしている自分を不安げに見ていた。

 勿論、建前は彼女の知識を借りたいからだが、やはり彼女の境遇を知ってそれだけであろうはずもない。

 全てを救うことはできなくても、せめて、自分の目に留まる人くらいは……。

 黙ったままこの後の流れを考えていると、屋敷から気配が近づいてくる。


「クロ様、おかえりなさい」


 特徴的な長い耳の女性。

 シェリアだった。

 今朝起きた時には既にいなかったが、シラルよりも先に帰ってきていたようだ。


「戻りました。けど、この後すぐに出かけます」


「あら、それはどういう……。っ!?」


 近づいてきたシェリアは言いかけた言葉を飲み込み、自分の目の前に横たわるスティカを見て驚愕した。

 将軍の妻として戦場や死を身近に感じてきた彼女は、アンナ程に取り乱すということは無かった。

 しかしそれでもそのショックは大きいようで、その場に縫い付けられたように歩を止める。


「……その、彼女は……?」


「新しい仲間です。アンナの後ろにいるのがエシリース、眠っているのがスティカ。奴隷商館で仲間として購入してきました。今後、彼女たちも客間に入れていいですか?」


 スティカの姿に目を奪われ、エシリースに気付いた様子が無かったのでそれとなく紹介する。

 エシリースはシェリアのことまでは知らないようだったが、それでも高い身分の人間なのは感じ取ったらしく、直立不動になっていた。


「あ、ええ。それは、問題ありませんが……しかし……」


 やはりアンナ達と同じで、シェリアも色々なものを綯い交ぜにした疑問の瞳をこちらに投げかける。

 そしてスティカと自分を何度か交互に見やり、おずおずと申し出た。


「……医者を、お呼びしましょうか?」


「いえ、必要ありません。これから連れて出かけるので」


「こんな状態の娘を、ですか?」


「ええ、ここじゃ治療できないので」


 治療という言葉を聞いたエシリースが驚いたように口を開け、アンナも思わず顔を綻ばせる。


「ク、クロさん、やっぱりクロさんの術なら治してあげられるんですか!?」


 期待と安堵に満ちた声だったが、こちらは逆に真剣な声で返した。


「……いや、今までに使ってきた星術では彼女を治せない」


「「え!?」」


 癒しの星術は、確かに重症でも癒せる。

 手遅れでなければ眼球損傷による失明でも、重度の内臓破裂でも完治させることができるだろう。

 しかしそれは、治すべき臓器や身体の部位が残っていればの話だ。


 壊れてしまっただけのものを癒すのと、失ってゼロになってしまったものを元通りに復元するのは違いが大きすぎる。

 スティカのように眼球そのものを失ってしまったり、手足を切り取られてしまったりすれば、それは今までに使ってきた癒しの星術では元通りにはできない。

 切り取られた傷口を完治させるくらいしかできないのだ。


「じゃあ……やっぱり……」


 大貴族の前に立った緊張もどこへやら。

 スティカの行く末を改めて突き付けられたエシリースは俯き、唇を噛んだ。

 レアのように治せるはずと思っていたらしいアンナも意外な答えに落胆し、メリエもギリッと歯を食い縛っている。

 別に落ち込ませようと嘘を言ったわけではないのだが、言葉が足りなかった。

 何の手立ても無しにスティカを抱え込んだりはしない。


「手が無いわけじゃない……術じゃなくて他の方法を使う。だけど、それにはスティカの体にも反動があるかもしれないし、時間もかかる」


 スイの失明を治した癒しの星術でかかった時間は極僅かなものだった。

 数十秒あれば事足りた。

 でも、スティカは違う。

 完全に無くなってしまったものをゼロから元通りにする。

 それは古竜種の常軌を逸した力を以てしても簡単なことではない。


 だが、不可能ではない。

 不可能ではないが、それにはリスクが伴う。

 しかし、座して死を待つよりはいいだろう。

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