呼び方

「───これで遺書の作成は完了だ」


 もう見慣れた殺風景な商談部屋。

 自分の死後の奴隷の扱いを決めるため、リヒターに奴隷商館に預ける遺書の説明を受けた。

 誰にも知られずに野垂れ死んだりしたらどうやってそれを知るのだろうかと思ったのだが、商人ギルドで行った奴隷商連盟の所有登録で登録者の生死の判別が可能になるらしい。


 所有者死亡後に所有者のギルドカードを確認することで所有奴隷の生死がわかるため、勝手に奴隷が逃げることはできないのだそうだ。

 所有者が死亡し、権利が失効した時点で遺書の効力が適用され、奴隷の処遇が決まるのだとか。


 遺書の内容は細かく決められるようだったが、今回は単純明快に死亡したら解放としておいた。

 かなり適当に決めたのも、自分がそう簡単に死ぬつもりがないからだ。

 少なくとも普通の人間であるエシリースやスティカより先に倒れることは無いだろう。

 ただ不慮の事故はどうしたって考えられる。

 それで奴隷まで道連れでは後味が悪いなんてものではない。

 生命保険と同じでその辺は考慮すべきだろう。

 立つ鳥跡を濁さずである。


「さて、これで主要手続きは終わったわけだが……本気でスティカを連れて帰るのか? さっきの臭いは理解してるだろう。彼女を宿に連れ込んだらたたき出されるぜ?」


「その辺は大丈夫です。考えてあるので」


「……そうか。ならいい。……まぁよ、彼女らは心底いい奴らだ。境遇はどうであれ、俺は最後の最後まで笑って逝ってほしいと願ってる」


 そう言ってからフウと溜息を吐くリヒター。


「だからよ、見捨てねぇでやってくれ。仕事とはいえ、売った俺から頼めた義理じゃねぇが、笑いかけてやってほしい。

 こんだけアレコレ言って世話焼いちまってから言うのも馬鹿らしいが、これでも商館の頭張ってる立場上、職員や他の奴隷から反感買うわけにもいかねぇんで、ほっとけねぇからって優遇しすぎるのもまずいんでな。これが精一杯だ」


 勿論、本人の意思ならまだしも、こちらから途中で投げ出すつもりはない。

 あんな状態のスティカを見て、それでも買うと決めたのだ。

 何も考えていないわけじゃない。

 ただ黙ってリヒターに真剣な眼差しを返した。

 それをどう受け取ったのか、リヒターは最後にフッと笑った。


「これで説明も手続きも終わりだな。ああ言ったが、俺がさっき独り言で言ったことは生きてる。気が変わったらいつでも来な。

 他にも奴隷購入を考えるならまたよろしく頼むぜ。遺言の変更をはじめ、色々なサポートなんかもしてっからよ、気軽に来てくれや」


「ええ、ありがとうございました」


「礼を言うのはこっちだぜ。ありがとうよ」


 そう言ってリヒターと握手を交わす。

 リヒターの手の温もりには、確かに父親の温かみがあった。


 その後、用意を済ませたエシリースとスティカを迎えに行き、全員で奴隷商館を後にする。

 エシリースが替えた真新しい包帯と清潔なシーツで包まれたスティカは自分が抱いているが、人間とは思えない軽さだ。

 手足も失い、やせ細っているので赤子を抱いているようだった。

 抱かれる彼女は、今は薬で眠っている。


 床ずれによる強烈な悪臭を抑えるために、星術を使って空気を操り、スティカの周囲の空気を上空に送っている。

 道を歩いても臭いで周囲の人間に迷惑をかけることはないだろう。

 治療も考えたが人目のあるここではできないし、とりあえずは後回しだ。


「……で、どうするんだ? これから」


 商館を出て通りに全員が出てきたところで、購入の話をしてから難しい顔のまま無言でいたメリエが問いかける。

 何も言っていないがアンナやライカも同じ気持ちのようだった。


 三人の聞きたいことはわかっている。

 彼女をどうするのか?

 治療はできるのか?

 何を考えているのか?

 そんなところだろう。


「とりあえずヴェルウォードの屋敷まで行こう」


「……クロのことだ。何か考えがあるのだろうが……やはり説明はしてほしい」


「まぁね。説明するにもここじゃまずいから、スイ達の家に行こう。ライカ、お腹すいてるかもしれないけどこっちが優先だからちょっと我慢してて。何ならどこかに食べに行ってもいいよ」


 さすがに重症のスティカを放置して食事は気が咎める。

 まずは彼女を何とかしてあげたかった。


「(……いや、私はクロの方に付いていくさ)」


 ライカは食事よりこちらについてくることを選んだ。

 意外にもと思ってしまったが、言ったら怒られそうなので黙って飲み込む。

 三人にそう言ったところでエシリースが一歩前に出た。


「あ、あの! ご主人様。これから宜しくお願いします。私たち、精一杯頑張ります」


 そう言って改めて頭を下げる。

 やはり緊張しているようで声が震えている。


「うん、色々びっくりすることも多いと思うけど、よろしくね。改めて、僕はクロ」


 一体どれ程の驚きが待っているか、今の彼女に知る由も無いだろう。

 早速この後すぐ、彼女の表情は驚きに変わることになるのだが、言っても仕方ないので今は言わずにおく。


「あ、私、アンナです。クロさんと旅をしてきました。年とか気にせず、仲良くして下さいね。それと、この子はライカって言います」


「ハンターをしているメリエだ。同じくクロと旅をしている」


「はい! 宜しくお願いします! ご主人様! 若奥様方!」


「「若奥様!?」」


 突然飛び出たびっくりワードに、アンナとメリエがピキリと固まった。

 エシリースは主人となった自分と一緒に居るのでそう呼んだのだろう。

 これが男性なら若旦那とでも呼んでいたのだろうか。

 にしても若奥様とは……普通にしていたら絶対に呼ばれることが無い呼称である。


「あ、あれ……? 私またやっちゃいました……?」


「あー、気にしないでいいよ。エシリースは悪くないから。それからご主人様って呼ばれるのはすごく抵抗があるから、できれば名前で呼んでくれない?」


「え……ですが、リヒターさんからはそう呼ぶようにと……」


「まぁ普通はそうなのかもしれないけど、僕たちはそういうの気にしないからさ。堅苦しいと疲れるしそっちの方が嬉しいな」


「そうですか……わかりました。では……クロ様……で、いいでしょうか?」


 ポロのような呼び方だったが、まあそれでいいか。

 ご主人様よりは数倍マシである。

 一生懸命ではあるが、どこか子供っぽい感じがして年上という感じがしない。


 む……人間だった頃の時間も含めれば自分の方が年上なのか。

 そう思ったら子供っぽく感じるのも頷ける。

 仕事も経験しているし24なら結構大人な感じがするかと思っていたが……そんな感じ方も慣れてくれば変わってくるのだろうか。


「それでいいよ。えーっと、おーい、お二人さん。突っ立ってたら通行人の迷惑だよ」


 ポンポンと硬直した二人の肩を叩く。

 するとビクンと反応した。


「う!? 奥様!? 私が!? そそそそんな! 私たちはまだ正式に……!」


「はっ!? 私がクロの!? いや! だがまだイロイロと準備もだな!?」


「何言ってるの……?」


「「え!? いやその、何でもない!」です!」


 見事なハモリである。

 確かに世間一般的には呼ばれることが無いような呼称ではあるが、そんなにショックを受けるような呼び方だっただろうか。

 気を取り直した二人は赤い顔をしつつも取り繕うように咳ばらいをし、何とか真顔に戻ろうと不思議な表情で目を泳がせた。


「えーと、私もアンナって呼んでください。早く仲良くなりたいですし、その方が打ち解けられますよね」


「う、うむ。私もメリエでいい。我々は奴隷だからとか主人だからとかは気にしない。名前で呼んでくれていい」


「そ、そうですか、わかりました。私もエシーと呼んで下さって構いません。早く慣れてお仕事に邁進したいと思います」


 うーむ。

 リヒターの言う通り人間ができている。

 見てくれも悪くないし、これで体力があって仕事もばっちりなら貴族に買われてもおかしくはなかっただろう。


 あ、そうだ。

 買うと言えばそろそろお金の工面をしておくべきか。

 装備やら奴隷やらで結構減ったし。


「で、では、お荷物をお持ちしますね!」


「ああ、大丈夫だ。私たちはそういうのを気にしていない。それにハンターとして常に持っていなければならないものも多いからな。極力自分の荷物は自分で管理するんだ」


「えっ……で、でもそれだと私の仕事が……」


「大丈夫。これからたくさん助けてもらうことになるから、それまでちょっとリラックスしながらいこうよ」


 今から気を張っていたらすぐ限界にきてしまうだろう。

 旅のこと、戦いのこと、そしてスティカのことも含め、エシリースにはこれからやってもらうことがある。


「そ、そうなんですか……?」


「そうそう。まずは慣れてもらうことが先かな。じゃあ移動しよう。日が暮れる前にやりたいことがあるんだ」


 スティカの様子に気を払いながら、足早にヴェルウォードの屋敷へと向かう。

 日用品や服などの買い出しもあるが、今日は無理だろう。

 メリエの言った通り、奴隷の購入と装備などの買い足しで丸一日つぶれてしまうことになる。


 しかしそれではまずい。

 瀕死だった王女程ではないが、スティカに残された時間は少ないのだ。

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