リヒターの想い
「(……ライカ? どうしたの?)」
エシリースが入ってきても、自己紹介を始めても興味なしといった具合にお菓子に夢中になっていたライカだったが、途中から鼻をヒクヒクさせると鋭い眼差しでじっとエシリースを見詰めはじめた。
そんなライカの異変にアンナ達は気付いていない。
「(におうな……この女……ただ事ではないぞ)」
「(え?)」
真剣な口調で告げたライカ。
その真意を聞く前に、リヒターが被せた。
「つーわけだ。他にあるかい?」
いつも余裕をうかがわせるライカの変化に気を惹かれたが、狐姿のライカと視線を交わし続けるわけにもいかず、リヒターに向き直る。
「いえ、じゃあ最後の人にも会わせてもらえます?」
「……いいだろう。だが、ここに連れてくることはできねぇ。悪いが一緒に来てくれ。……それから、あくまで善意から言うが、一緒に来るのは所有権を持つニィちゃんだけにした方がいいぜ」
こちらを一瞥し、ばつが悪そうにアンナとメリエを見たリヒター。
アンナは首を傾げ、メリエは訝し気に問い返す。
「……なぜだ?」
「……まぁさっきからそれっぽく言ってたのは察してんだろ?
ちっと訳ありでよ。条件にはちゃんと当てはまってるが、本当ならあまり勧められたもんじゃねぇ。
先に言っちまうと彼女はな、労働力どころか何かの役に立つってこと自体が難しい。さっきチラッと言ったが、旅に同行するってのもな。
金貨5枚って値段も原価割れどころじゃねぇ、奴隷としては捨て値もいいところだ」
「……ならなぜ候補に挙げた? 言い方は悪いが、そんな奴隷を勧める店となれば評判を落とすんじゃないか?」
「これもさっき言ったが、俺は人が好きなんだ。どんな奴隷でも誰かの役に立つチャンスがあるなら、そのチャンスは生かしてやりてぇと思ってる……だからさ。
彼女は、知識を求めるおめぇさんらみたいな客じゃなきゃ買われるどころか、会ってもらうこともできないだろう。だからよ、僅かな時間でも誰かに必要とされることができるなら、店の評判が落ちようとも、そのチャンスを与えてやりてぇんだ。
それに単純だがよ、俺はおめぇさんらが気に入った。ただの勘だが、おめぇさんらはいい奴だと思うし、何よりその瞳に宿る光が今の彼女を変えてくれるんじゃねぇかって思えたんだよ」
「……」
リヒターの言葉を聞いた全員が黙り込み、暫しの沈黙が場を満たした。
そんな雰囲気を払うためか、リヒターが少し声の調子を上げてエシリースに言った。
「ああ、そうだ。エシーも一緒に来てくれ。エシーは彼女の世話も積極的に買って出てくれてるんだ。そういう意味では凄く助かっているんだがな」
「あ、はい。その、スティカちゃんにも会ってもらえるんですか?」
「ああ」
「えっと、はい……わかりました。お供します」
スティカという名前らしい。
しかしリヒターがエシリースに言った途端、エシリースの表情から穏やかな笑みが消えた。
替わりに瞳に宿ったのは、悲しみの色と、
「まぁ買う買わないの判断は客であるそっちに任せる。紹介すんのも条件に合致してるからであって別に騙そうとかってつもりもねぇ。気に入らねぇなら断ってくれていいさ。
で、どうする? あまり勧めねぇが全員で行くかい? 気が変わったのなら今断ってくれてもいいぜ」
「僕は会ってこようと思うけど、みんなはどうする?」
買う買わないを抜きにして、自分は興味を惹かれていた。
少し話してわかったが、リヒターはいい人だ。
そのリヒターがここまで言う彼女に会ってみたいと思っていた。
リヒターの言葉にアンナとメリエは無言で顔を見合わせ、その後二人は自分に視線を向けた。
表情を見るに一緒に行くつもりのようだ。
ライカは何も言わなかったが、行こうとするアンナの腕に戻って降りないところを見ると、同じく行くつもりなのだろう。
「……まぁ一緒に旅することになるかもしれないなら全員で会わないといけないし、みんなで行きます」
「……そうか。じゃあこっちだ」
リヒターが席を立ち、ドアを開けて廊下に出る。
それに続いて自分たちも個室を後にした。
一番後ろからエシリースとおばさんが付いてくる。
ライカも真剣な表情のまま、アンナの腕の中で耳をぴくぴくと動かした。
個室を出るとリヒターは階段を上がった。
それを見たメリエが問いかける。
「……宿舎にいるんじゃないのか?」
「ああ、彼女は商館の部屋にいる」
「なぜだ?」
「……とてもじゃねぇが、宿舎に置いておけねぇ」
「……」
素行が悪い……ということだろうか?
だがリヒターの話によればそういった輩は檻に閉じ込めると言っていた。
なら違うか。
「(……アンナ、お前はやめておいた方がいい)」
リヒターに続いて階段を上がり切ったところで、ライカがアンナに向けて諭すように言った。
それを聞いたアンナが立ち止まる。
「(……どうしてですか?)」
「(あのエシリースという女だがな……いや、私の予想が当たっていれば、荒事に慣れていないアンナでは心を蝕まれるかもしれんぞ)」
「(……)」
腕の中から顔を見上げるライカを、アンナは悩むように暫し見詰めた。
しかし、すぐに目つきを変える。
「(いいえ、私も行きます。私も皆さんと一緒に前に進むって決めましたから。それにやっぱり、共に旅をするなら会っておきたいです)」
「(……そうか)」
ライカは強くは言わず、すぐに引き下がった。
ライカなりにアンナを心配しているようだったが、アンナの決意を優先したようだ。
気遣いつつも相手の意思を尊重する。
ライカもアンナ達に仲間意識を持ってくれているということだろう。
それが素直に嬉しかった。
再びリヒターの後を追い、廊下を進み続ける。
リヒターは一番奥の扉の前で立ち止まった。
「ここだ」
扉は普通のもので、逃亡防止になるような補強もされていない、至って普通の木のドア。
リヒターがドアを引くと、鍵もかかっていないのか、すぐに開いた。
そのままリヒターが中に入るのを見届け、続いて歩を進める。
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