悪なる空

(……!)


 行軍中のヴェルタ軍と思われる走車の車列を追い抜き、飛ぶこと数十分。

 なだらかな起伏のある大きな森を貫く街道の先に、広大な平原が広がっていた。

 飛行時間から考えても、恐らくここが王女の言っていたフォルオ平原だろう。

 美しい緑の絨毯が見渡す限り続いている。


 延々と続く平原から真下の街道に目を向けると、森を抜けたすぐの場所、平原の入り口に町があり、その町の周辺に無数の天幕が設営されていた。

 町の敷地よりも天幕の方が多くの面積を取っている。

 明らかに商人や旅人のものではない数だ。


(ヴェルタ側の補給地点、或いは後詰や輜重の待機場所ってところかな……?)


 何にせよ、この先が目的地で間違い無さそうだ。

 高度を維持したまま平原上空に入り、更に街道を辿る。


 空は夏のような積雲が浮かび、大地は陽光を浴びて鮮やかに波打つ緑の草原。

 思わず防護膜の術を解除し、速度を何段階か落として翼を広げる。

 途端にやや湿気を含みつつも、爽やかで気持ちのいい風が鱗越しに体を満たした。

 翼が風を切る音も心地良く、大平原の景色も相まって心が晴れ上がるような爽快感だった。


 空の高い位置にまで緑が匂って来そうな草の海原を、また十数分ほど進み続ける。

 補給拠点と思われる町から伸びる街道には、何台もの走車が行き交っていた。

 規模的にも大きな街道というわけではないにも拘らず、それに見合わない数の走車。


 前線にいる兵達は、そこにいるだけで物資を消耗していく。

 それを賄う補給線となっているのは間違い無さそうだ。

 いよいよ国境線が近付いてきたという緊張感を胸に、平原の先を見詰めて飛行する。


(! ……これか)


 やがて視界を横切る川と、いくつもの天幕の影が緑の草原に現れた。

 天幕の影の先には、川を前に兵隊と思しき人の群れが陣を敷いているのが見える。

 水深はそれほどでもなさそうな川だ。

 街道と交わる場所に一つだけ橋がかけられており、その先に向かって辿ってきた街道は延び続けている。

 その街道の先に目を向けると地平線の方に町並みのような影が見えた。


 橋には検問所のような小屋があるのだが、上空から見る限りではその近辺に人影は見受けられない。

 そしてその川の向こう側にも同じく、陣を敷いた人の群れが見える。

 どうも川を挟んで睨み合いをしているらしい。

 ということはこの川がヴェルタの国境線で間違いないだろう。


 王女と対峙した老人は、以前の戦いで領土を切り取られたと言っていた。

 推測だが、街道の先に見える町の影は、以前ヴェルタの領土だった都市なのかもしれない。


(結構な数の人間だな……隠れる場所の無い見晴らしのいい平原……奇襲や工作は難しく、情報は筒抜け。となれば正面からぶつかることになるけど、川があるため先制しようとすると渡河のリスクがある……。

 守り易く攻め難い、あの老人が言っていたように十分な準備が整わなければ川を越えて攻め上るのはかなり大変そうだ)


 ここに拠点となる砦でも築かれたら、攻略に数十年かかるというのも頷ける。

 躍起になるわけだ。

 上空から見た兵の数は大差無いように見える。


 橋はあるが一つだけ。

 とてもじゃないが万単位の人間が一気に渡ることはできない。

 川は流れも緩やかで、人が歩いて渡るのも不可能では無さそうに見えるが、それでも渡河中の隙は看過できないものだ。


 兵数に何倍もの大きな差があるならば、強引に渡って数で押し切るということもできるかもしれないが、同数程度の戦力でそれは無理だろう。

 ましてや魔法がある世界、どんな方法で攻めるか、そして守るかも多種多様になる。

 やはり今のままでは睨み合いが続くことになりそうだった。


 しかしヴェルタ側は援軍が向かっている最中、そしてここまでには出会わなかったが飛竜も来ているはず。

 均衡を崩すには十分すぎるカード。


(到着する前に開戦不能にしておくしかない……とはいえ皆殺しにする訳にはいかないし……さてどうするか)


 やや離れた位置で、上空を大きく旋回しながら暫し考え込む。

 生死を問わなければどうにでもできるが、兵を傷つけずに無力化となると途端に選択肢が狭まる。


(……ここは定番のやつでいきますか)


 悩んだが、一番安全そうで効果が高いものでいくことにする。

 高度を落とし、緑の平原の真っ只中に着地する。

 草に覆われたフカフカの緑の大地が体重で凹み、翼の風圧で草原がザワザワと騒いだ。


(!)


 大地に下りてみてわかった。

 この地域一帯は、星脈の流れる場所だ。

 これから使おうとしている星術には膨大な星素を必要とするが、これなら大した時間もかけずに必要量の星素を集めることができる。


 周囲に何もいないことを確認し、目立たないよう体を低くして集中し、星素を集める。

 それと同時に大量の星素が体の中、そして周囲に集まっていくのが感じられた。

 見た目通り、豊かな土地だ。

 心地良い星素の温かみに満ち溢れている。


 今回の星術は、イメージがしやすかった。

 それもそのはず。

 自分が人間だった頃、それも幼少の頃から見上げ続けた空のイメージ。

 意識してイメージする必要も無い。

 ただ思い返すだけでいい。


 目を閉じ、耳を擽くすぐる草原の風の中、暫しのあいだ、自分の原風景に想いを馳せた。


 やがて必要量の星素が溜まる。

 目を開けて空を見上げる。


(規模は……一帯と川の上流もかな。星素もたっぷり、イメージもしやすい。飛びながらでもいけそうだ)


 イメージするのは雨。

 それもただの雨ではなく、温暖化が進んだことで日本でも例年大きな被害を齎すようになった局所的大雨。

 俗に言う、ゲリラ豪雨だ。

 環境を改変する星術を使い、天候を操作する。


 水による妨害は、シンプルでありながらも効果は絶大だ。

 強い雨は視界を奪い、速度を鈍らせ、体温を奪う。

 溢れた水によって濡れた食料は腐り、火薬は使えなくなり、ぬかるんだ大地で補給も儘ならなくなる。

 これだけでも士気は大幅に低下する。


 人間の魔法では、広域に渡る豪雨による被害を押さえ込むことは難しいだろう。

 出来たとしても、補給、防衛、攻撃全てに渡ってカバーすることはできない。

 全員が魔術師でそれなりの使い手というならばまた話は変わってくるが、数万人全ての兵がそうであるはずもない。


 更に、今回は川がある。

 今なら渡れそうな程度の水位だが、豪雨によって水かさが増せば、両軍は接触することすら困難になる。

 増水した河川を、装備をつけたまま渡河することは自殺行為に近い。

 自分達のことで精一杯になり、それにプラスして相手にちょっかいをかけることを物理的に封殺できる。


 見晴らしのいい平原というのも好都合だ。

 見晴らしが良いという事は、起伏が乏しく、障害物が無いということ。

 そこに築かれた陣地も容易に水浸しにすることができる。


 食料などの物資を濡れないように高所に上げることもできず、寝床も水に浸かりその場に留まる事もできなくなる。

 普通に考えれば、すぐさま引き上げなければならなくなるだろう。

 長期間留まれば感染症のリスクも高まり、戦ってもいないのに被害が出始める。


(さっさと諦めてくれるといいけど……指揮官次第かなぁ)


 一抹の心配を抱きつつ、星術を発動する。

 途端に雲がぷかりぷかりと浮かぶだけだった清々しい青空に、異変が訪れる。

 浮いていた積雲が集まり出したかと思うと、徐々にその面積を広げていく。

 青かった空が灰に変わり、陽光が失われて世界の彩度が薄くなる。


 集まっていた雲が更に濃くなり、暗雲となる。

 そこから大粒の雨が落ち始めた。

 所謂、バケツをひっくり返したような雨というやつだ。


 一気に視界が失われ、雨音で耳に入る音が埋め尽くされる。

 これなら数分も待たずに地面は水浸し、川も増水し始める。

 人間に抗うことは難しいこの事態をひっくり返す可能性があるとすれば……。

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