進度

 青。

 自分にとっては目を焼くほど、焦がれを誘う色。


 未だ日は高く、中天を僅かに過ぎたくらいだろうか。

 白い綿のような雲が、青一色の空に彩を添えている。


 眼下には王城の尖塔が立ち並び、更にその下に自分が飛び出してきた建物が見える。

 巨大な城を中心に、いくつもの建物が併設されている、その一つ。

 王城から延びる大きな渡り廊下が繋がり、天窓のガラスが陽光を反射して一際煌いて見えるのが、合議の大広間として使われている場所だ。


 一度大きく円を描くように、王城の上空を旋回しながら高度を上げる。

 今は【飛翔】以外の星術を使っていないので、風を切る音が耳に心地いい。

 これからのことを忘れるほどに、心が癒される光景。


 やがて王城だけではなく、周辺の町並み、そして更にその向こうに見える王都を囲む防壁までが容易に見渡せる高さに達した。


 こうしてみるとやはり王都は広大だった。

 さすがは国の中心というだけはある規模だ。

 王都の中には川も流れ、一部丘のようになっている場所もある。

 都市を貫く何本もの大きな道。

 細胞のように犇き、密集する家々。

 そして威容を誇示する美しい城。


 今までは、竜の姿で明るい都市の上を自由に飛ぶということはできなかった。

 飛べても夜の暗闇の中、人目を気にしながらひっそりと飛んだくらいか。

 一応王女を乗せて王城に戻る際にも飛んできたが、地上からの攻撃や併走する飛竜に目を光らせ、更にあまり高度を取れずに飛んできたので、景色を眺めている余裕など無かった。

 今だけはそれを気にすることなく、堂々と、この世界の人間の営みの場である、広大な町を眺めることが出来た。


(いやーこれはアンナ達にも見せてあげたいな)


 やはり見知っている現代地球の町並みとは大分違う。

 地球で言う工場のような大きな建物や、高い建物はほんの僅か。

 ほとんどが高くても三階建てくらいの建物に溢れているので、平坦に見える。

 電気的な設備もないため、シンプルでいて美しい。


 人の町並みを上空から眺めるというのも、大空に溶けて舞うことと並ぶくらいに惹きつけられた。

 しかし、今は他にやるべきことがあるのだ。


(さて……方角は……)


 王女が指し示した方向。

 視線を走らせると、地平近くに都市の防壁、そして更にその奥、遠くに山並みのようなものが見える。


(あっちか)


 方角は……間違っていない。

 目指す方向はわかった。

 そちらに首を向け、速度を上げていく。

 今日のやや低い雲の高さより少しだけ下に高度を取って姿勢を整える。

 ここならば地上の様子もよく見えるし、逆に地上からは見難いはず。


 位置を調整しながら飛ぶと、すぐに都市の切れ目が近付いてくる。

 都市は広大だったが、それでも竜種の飛行速度ならあっという間だ。

 王都の外れ付近、都市を囲う大きな防壁に近付いたところで、王女が言っていた街道を探す。

 王都には四方に出入り用の大きな門があり、そこから各都市に向けて街道が延び、この国の交通の動脈となっている。


 目指すのは北東、向かう方角に一番近い出口は北門。

 王女の言った通り、北門から延びる街道は出てすぐに三叉路の分岐があり、一本が目指す北東に向けて曲がりくねりながら敷かれている。

 さすがに歩く人まではっきりと見るには大変な距離だが、走車などは意外と良く見える。

 上空からでも見失うことが無いほどに、しっかりとした石畳の街道だった。


(これか……森の中とかに入らなければ大丈夫そうだ。あとは辿るだけ……そうだ)


 ここで思い立つ。

 今までに【飛翔】の星術での最高速度を試したことが無かった。

 向かうのは遥か先。

 イーリアスの話が本当ならば、軽く見積もっても距離は2000kmはあるはず。

 今なら最高速度に挑戦するにはいい機会だろう。


 途端に、好奇心が湧き上がる。

 高さには挑戦した。

 では速さはどうだろうか。


 好奇心に囚われて行軍する師団を見落とすわけには行かないが、注意を怠らなければ大丈夫なはず。

 【飛翔】を調整し、体の周囲を防護膜で包み込む。

 高速飛行は古竜の体にもそれなりの負担をかけることが考えられるので、防護膜の強度を高める。

 風を受けて飛ぶわけではないので翼は必要ない。

 なので翼をやや折り畳んでおく。

 翼はバランスを取るためだけの使用でいい。


(よし!)


 準備が出来た。

 街道を見失わないようにしつつ、早速速度を上げる。


 イメージするのはジェット戦闘機。

 亜音速、遷音速を超え、超音速の世界を駆け抜ける現代兵器の花形だ。


 イメージと共に星術に使う星素の量を増やすと、眼下を流れていく景色の速度が上がっていく。

 防護膜によって遮蔽されているので、風の音が無くなり、飛んでいるというよりも流れる景色の映像を眺めているような錯覚に陥りそうになる。

 しかし、体にかかるG……重力による負担は確実に大きくなっているのを感じられた。


 人間は強いGに対し、瞬間的ならばまだしも、長時間晒されることには耐えられない。

 強いGに晒され続けると、心臓が脳に向かって血液を送り出すことが出来ず、脳虚血により気絶してしまうからだ。


 ジェット戦闘機で超音速の世界に入るパイロットは、特別な訓練に特別な呼吸法、そして下半身を締め付けるスーツによって血液が下半身に下がることを防ぎながら、超音速の世界で意識を保っている。

 何の訓練も受けていない人間では、3Gを30秒も耐えられずに気絶するとも言われている。


 一般人が乗る旅客機で体にかかるGはせいぜい1.1G~1.2G程度。

 これなら普通の人でもそんなに影響は出ない。

 しかし、ジェット戦闘機は通常航行で3G、空中機動をする際には最大で8~10Gもの負担がパイロットの体にかかる。


 防護膜では空気や温度を遮断できても、重力的な負荷までは遮断することはできない。

 古竜の体がどこまでのGに耐えられるかはわからないので、無理は禁物だ。


 様子を探りながら徐々に速度を上げていく。

 目に見えて眼下を流れていく景色の速度が早くなる。

 まだソニックブームによる衝撃はきていない。

 つまり、約1200km/hという音速は超えていないということだ。

 それでも、体感的にかなりの速度が出ている。


(ぐぐ……)


 速度を上げて飛び始めて数分。

 まだ星術には余裕がある。

 出そうと思えば今の4倍、後先考えない全力であれば更に数倍は出すだけの余力を残している。

 しかし今の段階でも正直、恐怖を感じる程度には速い。

 高さによる恐怖とはまた違う恐怖感。


 速さに対する好奇心も萎み、更に高速を目指そうという気すら折りにくる速さ。

 それ程に、肉体一つで出す速さの精神的衝撃は強いものだった。

 これを嬉々として受け入れるには、まだ時間を要するだろう。


 街道を歩く人間には、自分はどう見えているのだろうか。

 一瞬で頭上を通り過ぎる、正体不明の黒い点。

 せいぜいそんなところだろう。


 雲よりも下、旅客機の巡航高度である1万mよりも大分低い位置を、かなりの速度で飛んでいるので、爆音こそ無いものの目で見える体感的な速さは凄まじいはずだ。

 恐怖に負けて速度を上げることをやめ、暫くはその速度を維持して眼下の街道を目で追い続ける。


 蛇行し、時折森などの影に隠れる街道は、いつの間にか石畳から土の道へと変わり、道幅もやや狭くなっていた。

 それを見失わないようにするにはこの速度が限界近いくらいだ。


 まだ王都を発って数十分。

 しかし街道沿いのいくつもの宿場を通り過ぎている。

 コテージのような小屋だけしかない休息所。

 村のような集落。

 他の小さな街道が交わる場所にある、大きな町。


 そのまま進み続けると丘や峠も越えた。

 湖もあった。

 王都から遠くに見えた山並みは割と低く、すぐに越えてしまったようだ。


 地上だけではなく、上空の様子も目まぐるしく変わっていく。

 切れ切れだった雲が厚くなるかと思いきや、すぐに開けて青空になる。

 ともすればすぐにまた曇天の中、といったように楽しむ暇も無い。


 時折雨や氷の塊のようなものが防護膜に当たることもあった。

 気候は穏やかだが、天気の変化が無いわけではない。

 曇れば雨も降る。

 高空では雪やあられも珍しくは無い。


(……!)


 街道を目で辿り、雲の波を避け、飛び続けること一時間ほどだろうか。

 やがて見つける。

 土を跳ね上げながら街道を進む、大規模な流れ。

 目を凝らすと、大型の走車の行列だということがわかる。

 列の中には荷物を積んだ走車や馬、獣のような影もあり、かなり長く続いている。

 師団というだけあってかなりの規模のようだ。


 それにしても行軍速度が速い。

 初めに王女と老人の会話を聞いた時にも思ったが、徒歩でこれだけの距離を移動するとなればかなりの時間を要する。

 移動手段の乏しいこの世界では、数十日単位の時間がかかるのではないかとも思ったが、その辺は考えられているようだ。


 魔物のような大型の獣が、何十人も乗れそうな大型の走車を軽々と牽いて走っている。

 一般の人間や商隊などでは見かけない、師団規模の人員、物資を輸送するための走車。

 現代地球ほどではないにしても、これだけの輸送力と速度が出せるのならかなりのものだ。


 行軍している部隊の周辺に飛竜の姿はなかった。

 言っていた通り、既に国境付近まで移動しているのだろう。

 眼下を行く走車の群れを一気に追い抜き、更に先を目指して飛び続けた。

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