雨の中

 時折轟く雷鳴。

 空には真っ黒で重そうな雲が立ち込め、いつ終わるとも知れない雨を落とし続ける。

 むせ返るようだった濃い緑の匂いは、湿った土と雨の匂いに変わる。


 強い雨が黒い竜鱗を叩き、勢い良く流れ落ちていく感触が、皮膚よりも硬い竜鱗越しでも伝わってくる。

 鼻先を流れ落ちる雫がくすぐったいが、人間の手のように拭うことはできないのでもどかしかった。


 雨脚は時間を経るごとに強くなり、雨粒に打たれる草は悲しげに頭を垂れている。

 上空には星術によって強引に引き起こされた強い低気圧。

 気圧の急激な低下と雨によって、気温もだいぶ下がった。

 開けた平原で冷たい雨に冷えた風、金属製の鎧に身を包んだ兵隊達にはさぞ堪えることだろう。

 対してこちらは冷気や熱気に強い竜種の体。

 この程度の温度差など誤差の範囲だ。


 豪雨の中で待つこと十分ほど。

 既に草原は沼地のように変わり、足元は泥だらけ。

 視界も得られず、人間達の動向も探りにくい。


(……一回降り出せば暫くは降り続けるはずだし……)


 ここは一度天候を操作している星術を解除し、以前使用した索敵タイプの星術を使うことにする。

 下がった気圧がいきなり元通りになることはないので、雨雲も解除してすぐに消えるということはない。

 弱まりそうならまた使えばいいだけだ。


 案の定、天候を操作している星術を解除しても、雨雲は変わりなく重い雨粒を大地に落とし続けた。

 問題ないことを確認し、星術を切り替える。

 索敵タイプの星術を使うと脳裏に周囲の状況が浮かび上がってくる。

 俯瞰しているとまでは言わないが、それでも目で見るより圧倒的に多い情報が肌で感じるようにわかるのだった。


 そのまま認識可能範囲を広げていくと軍の陣地も確認できた。

 距離的に数kmくらい離れているので、細かい人数や動きまではぼやけてしまってわからないが、大雑把な動きを感知するだけならまだまだ余裕で確認できる範囲だ。


(……さすがにすぐは動かないか……いや、それよりも今は……)


 多少の雨ですぐに撤退とは行かないだろうとは自分でも思う。

 まだ突然強い雨が降ってきて足元が悪くなった程度だ。

 川もそこまで増水していない。

 撤退と判断せざるを得なくなるのはもっと状況が悪化してからだろう。

 人間の動向も気になるところだが、今はもっと注意を払っておかなければならない存在を探すことに集中する。


(……!! いた)


 索敵範囲を広げていくと、軍の陣地よりもかなり離れた場所に反応があった。

 大きな竜の影に、数十人程度の人間達の反応。

 竜騎士だ。


 野生の竜種なら近くに人間がいることはない。

 いたらそれは戦闘中ということだ。

 それもないし、陣地からの距離を考えてもヴェルタの竜騎士だろう。


 数は三騎。

 大きさから見ても、王女奪還時に追いかけてきた竜で間違い無さそうだ。

 今は大地に座り、動く様子はない。


 昨夜意外とあっさり引き下がり、その後にも出くわさなかったのは少し疑問に思ったものだが、消耗を抑え前線に駆けつけることを優先したと考えれば合点がいく。

 放っておけば死ぬ王女と、戦の勝敗を分ける戦力では後者の方が勝るのは当然だ。


(大雨で困窮した軍、そして竜騎士……これから考えられるのは……)


 まず一番まずいのは竜騎士が前線に出て攻撃を開始することだ。

 何もせずに消耗して引き上げるくらいなら総力を投入し、短期決着を目論んで開戦に踏み切ると判断する低能な指揮官という可能性もある。


 敵側だって奥の手は隠しているはず。

 竜騎士がいたとしても、同等の地上戦力に敵の奥の手が不明でこれは限りなく愚策に近いが、有り得なくはない。


 これをされるとこちらの目的である開戦阻止が難しくなる。

 巨大な竜騎士三騎に地上から攻める軍の両方を同時に止めるとなれば、最早相手の生死を気にしていられないだろう。

 殺してでもいいなら止める事は出来るが、王女の意向もあるし、できればしたくない。


 次に面倒なのがヴェルタ軍ではなく、敵国の軍が先に痺れを切らすパターンだ。

 ヴェルタ軍の方ならば多少手荒に止めても王女が何とかしてくれるとは思うが、相手側の軍となるとそうはいかない。

 話がこじれることは目に見えているし、止めようにも戦力の把握が完全には出来ていない。

 ヴェルタ軍のように、どこかに竜騎士などの別戦力を潜ませている可能性もある。


 ヴェルタ軍が粘ってしまうと敵国側が痺れを切らす可能性が高くなるので、できるだけ早めに諦めてもらわなければならないのだ。

 これは追加で追い詰める手を考えておく必要があるかもしれない。


(まあどちらも可能性は低いか……一番考えられるのは……)


 素人である自分が適当に予想した限りでも、多くの兵を預かる立場として考えればやはり攻撃は悪手だと判断できる。

 となると最悪のパターンである無闇な攻撃に踏み切る可能性は低い方だろう。

 しかし攻撃や撤退をそう簡単に判断できなくても、状況を打開する為に動くことは考えられる。

 そこで重要になるのが空輸だ。


(竜騎士を使って留まり続ける為に必要な物資を運ぶってのが一番ありそうなんだよね……)


 物資はどんな状況になろうとも、常に消費され続ける。

 雨で街道の使用が困難になるとすれば、物資を運ぶ手段は人海戦術で運ぶか、魔法を駆使するか、竜騎士を使うかのどれかになるが……敵に睨みを利かせる兵達を使うということはまず有り得ない。

 前線の数も減るし体力も消耗して戦いに障る。


 そして魔法も魔術師の数が限られる上に、無限に使い続けられるものではない。

 メリエが言っていた様に魔力を使って魔法を使うとするなら、物資の運搬に使いすぎれば戦力の低下を招くことは必至だ。

 そうなると悪路も無視でき、リソースをさほど使わずに大量の物資を運搬できるのは竜騎士くらいになる。


(これを断てば補給が儘ならなくなって撤退を余儀なくされる。それを早期に判断させる為にも、竜騎士は叩いておかなければならない)


 竜騎士が動き出すまで悠長に待っている時間はない。

 指揮官も竜騎士が使えないと報告を受ければ撤退の判断を早めるしかなくなるだろう。

 軍が困窮するよりも先に、竜騎士を叩き潰す。


 【飛翔】を使って飛び上がり、豪雨の叩きつける中、上昇する。

 雨に煙る中では地上の様子はよくわからない。

 さすがにかなりの集中を要する索敵の術を使いながら【飛翔】も難しい。


 今なら雨と曇天による暗さで自身の竜の体でも目立たない。

 なので先程よりもぐっと高度を低く取って飛ぶ。

 索敵の術には及ばないが、身体強化の術で視力を強化し、できるだけ低く飛ぶことで地上の様子を窺う。

 川のあたりにさしかかると、茶色く濁った水が流れる様が見えてくる。


(増水はしてきているけど……溢れるにはまだもう少しかな)


 増水した川の水が、兵達が陣を敷く付近へと近付いているようだった。

 もう数十分も待てば濁流が陣を削り始めるだろう。

 順調なことを確認すると、飛竜のいた方角へと首を向けた。


(……いた。あれか)


 陣地から離れること数km。

 降りしきる雨の中、大地に座っている竜三匹を見つける。

 見覚えのある竜鎧、間違いなくヴェルタの竜騎士だ。

 雨のせいか、頭上を飛ぶ自分に気付いている様子はない。


(さて。あちらさんの出方次第だけど、昨夜のブレスのお礼もしなくちゃね。悪いけどやる気なら手加減はしない)


 飛竜達の眼前目掛けて降下する。

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