寝耳に水
「あ、あのぉ……?」
黙って跪く騎士達の姿に、アンナがおどおどしていると、中央の一人が口を開いた。
「御初に御目にかかります。ヴェルタ近衛騎士団副団長、ロイド・バクラークと申します」
「ひえ!? あ、そ、その、よ……宜しくお願いします?」
「(アンナ、落ち着いて……普通にしてて平気だよ。……たぶん)」
恐らく王女が連絡してくれと言っていた近衛騎士の人。
威厳のある、渋い声の男だった。
さっぱりとしたグレーの短髪に、筋骨隆々な身体。
声と皺の刻まれた顔からすると、歳は40くらいだろうか。
口ひげが似合う、チョイワルオヤジな感じの人である。
事情を聞かされて自分達が王女の仲間だと知っているため、こうした丁寧な礼を取ったのだろう。
今までは王女やイーリアスが応対していたが、今は二人とも取り込み中。
となると、今まで殆ど見ているだけだったアンナが話さざるを得なくなる。
一応自分の手綱を握っている竜騎士役はアンナだし、アンナよりも更に幼い姿のライカよりは、アンナの方が話が通じると思ってしまうのは仕方が無いことだ。
「アレサンドロ団長は、護衛として陛下の御傍を離れることが出来ません。ゆえに僭越ではありますが、副団長の私めが現場指揮を務めさせて頂いております。
セリス王女殿下からの指示により、我々近衛騎士団は城内全ての出入り口を封鎖し、合議の大広間周囲に団員を配置しました。これより先は殿下の仰せの通り、我々は逃亡者の捕縛と無力化に注力します」
「は、はぁ……お疲れ様です……」
何とも気の抜けた、失礼とも取れるアンナの返しだったが、近衛の副長とやらは特に苦言を呈することも無く、顔も上げずに同じ態度で言葉を続ける。
「本来であれば、これは我が国が、そして我等が払わなければならない火の粉……それを為すのは我ら兵の役目。可能であれば聖女様の御手伝いをと思うのですが、如何に精強な近衛といえど、戦力を散開させていては広間内の私兵や神殿騎士全てを押さえ込むことはできません。もしやもすると、聖女様と古竜様の足手纏いとなってしまうでしょう。
……畏れながら、聖女様には王女殿下の援護と、広間内の者共の牽制を御願い致したく」
「……………………は?」
狼狽したアンナを更に困惑させる言葉が放たれ、それを聞いたアンナがポカンと口を開けた。
「(……古竜はどう考えてもクロのことだろうが、セイジョとは何だ? クロは知っているか?)」
「(え? いや、えーと……偉い女の人……みたいな?)」
普段使うことなど皆無な言葉なので、突然聞かれるとどう説明したらいいのかわからなくなる。
偉い……は、少し違うか。
何と言えばいいのだろう。
確か宗教的な意味合いが強い言葉だった気がするのだが……。
「(偉い? アンナが? あの王女も人間の中では偉いのだろう? それとは違うのか?)」
「(うーん。そういう偉いとは違うかな。何と言えばいいか……清らかな女性とか、そういう女性に対する尊称……そんな意味だった気がするけど)」
「(よくわからんな。確かにアンナもメリエも風呂には毎日入っているし、服も汚れておらん。だが綺麗な身形をしている女なら他にもいるぞ? 綺麗な身形だとみんな偉いのか? もしそうなら、風呂に入った私も偉いのか?)」
清らかをそう取りますか……。
まぁライカからすれば、人間が使う清らかという言葉なんてそんなもんか。
信仰心とも無縁のようだし、善行を道徳的というよりも種に貢献するという意味で捉えるライカでは、なかなか理解しにくい概念なのかもしれない。
「(いや、汚れのことを言っている訳ではなくて……んー説明が難しいな……。生涯を何かに尽くした女性とか、神に仕えるような仕事をする神聖な女性のことを指した言葉だったと思う……)」
「(神……人間の創り出した、宗教とかいう不可解な観念に関係するんだったか……尽くすというのも群れや同胞にではなく、自らが神聖視する者に対して、ということになるな。自らを育んだ親や自然ではないそんなものを敬うとは、やはり人間は変わっているよな。
ん? するとアンナはそうした崇敬されるような人物だったのか?)」
「(……普通の村人だったってアンナは言ってたから、違うんじゃないかなぁ……)」
「(今まで出会った人間達は、別にアンナを特別視しているようには見えなかったがな……なぜここにきて突然?)」
ライカの言う通り、アンナは今までにそんな素振りは見せたこともないし、周囲の人間もそうした反応はしていない。
今までにもそうしたことは一切言っていなかった。
もしもそんな重要人物なら奴隷に落とされるようなこともないはず。
……当の本人はどう感じているのかというと……。
「(お、おーい、ア、アンナアンナ? 大丈夫? 気をしっかり持って)」
「……」
完全に固まっている。
疑問を並べるライカに対し、アンナの方はそんな余裕もないようだ。
呆けた顔で硬直しているアンナの反応を否定的なものと受け取ったらしい近衛の騎士が、焦りを含んだ声音で付け足した。
「……申し訳ありません。我々がこのようなことを懇願できる立場ではないのは百も承知。ですが、今は聖女様の御力添えが必要です。我らを含め、平穏を望む多くの民のため、どうか……」
「ふぇあ…………セイジョ……? は? わたし?」
「(ア、アンナ、顔、顔。素、素になっちゃってるよ)」
普段聞くことなど在り得ない呼称で呼ばれた衝撃か、アンナの顔がとても人様にお見せできないようなものになってしまっている。
寝て起きたばかりで半分夢の中のような寝ボケ顔というか……ちょっとアホの子みたいな顔に……。
「は……過去に倣い、契約者は竜の姫……国によっては竜の巫女、竜母など名称は異なりますが、その冒されざる神聖は共通です。
かつての竜の姫君は、固く結ばれた古竜様との絆と、その清らかな御心で乱世に平穏を齎した英雄。あなた様は逸話に謳われた竜の姫の名を継ぐ、今代の竜の姫君……聖女様であらせられる。我々は陛下や王女殿下と同等の礼を以って接するように、と言い付けられております。
……ご安心下さい。誰にも漏れることがないようにとのセリス様からの御達し故、聖女様についての事柄は全て近衛の中だけに秘めます。捕らえた者達にも封じの法を以って厳重に対処しましょう。どうか、この国を……いえ、セリス様をお願い致します」
「え? ……は、はぁ…………は?」
ダメだ。
この様子では話が頭に入っていない……言葉が右から左へと抜けて行っている顔だ。
普通の少女のアンナが、いきなり聖女呼ばわりされた挙句、王女や国王と同等に扱うなどといわれればそうもなるか……。
寝耳に水もいいところである。
話しの端々から推察するに、どうやら古竜種である自分と一緒にいるために何やら面倒なものと勘違いされているらしい。
この人が言っているのと同じ、契約者という言葉を使っていたことからして、王女は事情を知っているはず。
これ以上面倒にならないうちに何とかしてもらわなくては。
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